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能登比咩神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年3月6日 (土)

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能登比咩神社(のとひめ・じんじゃ)は石川県鹿島郡中能登町能登部下(能登国鹿島郡)にある神社。祭神は能登比咩神淳名城入比咩命県社気多大社旧境外摂社。妙天神。兄宮の能登部神社に対して妹宮ともいう。気多大社関連旧跡

歴史

気多大社祭神大己貴命が能登国内を巡行した時、能登比古神と能登比咩神が濁酒と稗粥を出して迎えた。大己貴命はこれを賞して2神を気多大社の苗裔神とされた。能登比咩神は機織を人々に伝え能登麻織物の起源となったという。その後、神社が祀られたようだ。のち崇神天皇皇女の淳名城入比咩命(渟名城入姫命)がこの地に来て能登比咩神の遺業を継ぎ織物を発展させた。淳名城入比咩命が織機を背負って山を超える途中、山賊に逢い、織機を放り投げてしまった。海に落ちた織機が石川県羽咋郡志賀町七海の機具岩という。 淳名城入比咩命はこの地でなくなり、神社の裏の山に葬られ、神社に合祀した。陵墓を姫塚(御陵山)という。裏山には古墳25基があり、姫塚古墳群と呼ばれる。その1号墳が祭神の陵墓で頂部に「能登比咩宮」碑がある。

中世には別当として天台宗専願寺、東明専寺、西明専寺などがあった。 永正年間、守護畠山義総が300石を寄進。天正年間、前田利家が能楽を奉納した。 1817年(文化14年)本殿造営(1899年(明治32年)石川県鹿島郡鹿西町下後山の神明神社に移築)。 1926年(昭和1年)7月、県社昇格。

(日本歴史地名大系ほか)

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