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自雲霊神信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年12月29日 (金)

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生誕地の兵庫県宝塚市の本妙寺にある碑

自雲霊神(じうん・れいじん)は、江戸時代の人物・岡田孫右衛門(1700-1744)のことで、痔病平癒祈願の神として信仰されている。日蓮宗の護法神の一神。秋山自雲(しゅうざんじうん)。秋山自雲功雄霊神

岡田孫右衛門は摂津国川辺郡小浜(兵庫県宝塚市小浜)の生まれで、善兵衛といった。江戸に下り、新川の酒問屋の岡田孫右衛門に奉公する。勤勉な働きが認められて、岡田家の跡取りとなり、岡田孫右衛門の名を継いだ。熱心な日蓮宗信者で、常に題目を唱えていた。浅草本性寺の題目堂に籠もって唱題していたとも。38歳の時から痔に病み、7年間苦しんで1744年(延享1年)9月21日に死去した。没年が45歳としたら1700年(元禄13年)生まれということになる。本性寺に葬られた。秀山智想居士。(『武江年表』など)

後年、同じく痔に病んで瀕死の状態になった友人が、岡田孫右衛門が生前「もし自分が死んだら、痔に苦しみ者を救う」と誓っていたのを思い出し、祠(既に祠があった?)に祈願を続けると2カ月もせずに治ったという。これが世間に広がって信仰が集めるようになった。そして1763年(宝暦13年)9月から流行り神として急速に信仰が広がったという。(『東都歳時記』『遊歴雑記』など)

経緯は未確認だが、秋山自雲霊神、秋山自雲尊者、自雲坊と呼ばれるようになった。

『共古随筆』によれば1831年(天保2年)名古屋藩主が痔に苦しみ、家臣の勧めで祈願して平癒。白川家に頼んで「功雄」の2字を加え秋山自雲功雄霊神の号を贈られたという。同書では尾張だけでも霊神を祀る寺院が4カ所あると記す。『尾張八丈』という書に経緯が詳しく述べられているという。

白川家からの神号授与は二条斉信が信仰したためともいう。


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その他各地に祀られている。

画像

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