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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

興福寺大乗院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月19日 (金)

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大乗院(だいじょういん)は、奈良県奈良市の法相宗興福寺の別当を務めた門跡寺院。廃絶。「飛鳥御殿」と呼ばれた。本尊は十一面観音釈迦如来阿弥陀如来(「興福寺諸堂縁起」)。興福寺関連旧跡。(参考 同名寺院大乗院

歴史

隆禅が寛治1年(1087)2月に創建。元は現在の奈良県庁あたりにあった。尋範が入寺して以来、摂家門跡となる。治承4年(1180)の平重衡の南都焼討で焼失。元興寺禅定院を譲り受けて移転。以後、元興寺郷を支配。宝徳3年(1451)、徳政一揆で再び灰燼に帰した。翌年、関白一条兼良の子、尋尊が22歳で晋山。建物や庭園を復興させる様子は『大乗院寺社雑事記』に記録されている。 寛正6年(1465)から、将軍・足利義政の命で、善阿弥が作庭し、数十年かけて作られ、南都随一の名園と言われた。

明治維新で門跡は還俗し、松園男爵家となる。明治10年(1877)に土地建物が売却され、小学校や奈良ホテルの敷地となる。一部は大乗院庭園として復元され、当初の庭園が残存している。平成7年から発掘調査が行われた。

宮門跡であった一乗院と交互に興福寺別当を務めたが、石高を見ても、一乗院の下位にあったと思われる。「飛鳥御殿」と呼ばれたのは、禅定院の本坊である元興寺法興寺)の旧名飛鳥寺に依るのだろうか。 (大乗院庭園しおり)

一条家、九条家、二条家が管領した。長谷寺を末寺とした。 南北朝時代には武家側に付いた。

組織

住職

  • 1隆禅(1038-1100):藤原政兼の子。大乗院開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。
  • 2頼実内山永久寺を創建。
  • 3尋範(1101-1174):藤原師実の子。興福寺別当40世。内山永久寺を継承。内山僧正。1164年(長寛2年)5月11日興福寺別当就任。1174年(承安4年)4月9日死去。
  • 4信円(1153-1224):藤原忠通の4男で慈円の兄。一乗院10世と大乗院の両門跡を兼務する。金峰山検校。興福寺別当44世。正暦寺を再興。菩提山本願僧正
  • 5実尊(1180-1236):藤原基房の子。興福寺別当55世。興福寺と多武峰寺との抗争の責任をとって辞任するがすぐに復職。
  • 6円実(1214-1272):九条道家の子。興福寺別当59世・69世。丹波配流。
  • 7実信:一乗院門跡12世??興福寺別当?
  • 8尊信(1226-1283):九条教実の子。大乗院門跡8世。興福寺別当70世・75世。長谷寺別当44世。
  • 9慈信(生没年不詳):法相宗の僧。藤原実経の子。尊信に師事。長谷寺別当、橘寺別当。金峰山寺検校。興福寺別当77世・80世・83世・85世・90世・113世。大乗院門跡9世。宝積寺開山の同名僧とは別人。(『日本仏家人名辞書』)
  • 10尋覚(1282-1318):一条家経の子。興福寺別当94世・99世・103世。
  • 11尋尊:興福寺別当?。望月仏教大辞典では「覚尊」
  • 12聖信
  • 13孝覚(1319-1368):九条房実の子。長谷寺別当53世。薬師寺別当、橘寺別当。興福寺別当124世・127世・129世。
  • 14孝尊(生没年不詳):九条道教の子。
  • 15孝尋(?-1428):鷹司冬通の子。興福寺別当。興福寺別当146世・148世。望月仏教大辞典では孝信の次。
  • 16孝信(生没年不詳):九条経教の子。配流となった。
  • 17孝円(1378-1410):九条経教の子。長谷寺別当・橘寺別当・薬師寺別当。興福寺別当153世。
  • 18経覚(1395-1473):望月仏教大辞典になし。九条経教の子。興福寺別当165世・168世・182世・186世。本願寺蓮如の師。
  • 19尋実:望月仏教大辞典になし。
  • 20尋尊(1430-1508):望月仏教大辞典になし。一条兼良の子。興福寺別当180世。長谷寺別当59世・61世、薬師寺別当。『大乗院寺社雑事記』『大乗院日記目録』を著す。
  • 21政覚:興福寺別当190世。長谷寺別当60世。望月仏教大辞典になし。
  • 22慈尋:望月仏教大辞典になし。
  • 23経尋(1499-1526):九条尚経の子。興福寺別当196世。
  • 24尋円:興福寺別当203世・208世。
  • 25尋憲(1529-1585):二条尹房の子。興福寺別当209世。
  • 26義尋(1572-1605):15代将軍足利義昭の子。
  • 27信尊(?-1676):興福寺別当214世・216世・218世。鷹司信房の子。1619年(元和5年)3月10日興福寺別当就任(「仏家次第」)。1676年(延宝4年)4月3日死去(「基礎講座」)。
  • 28信賀(?-1690):鷹司教平の子。大乗院門跡28世。興福寺別当221世。1690年(元禄3年)8月19日死去(「基礎講座」)。信雅とも。
  • 29信覚(?-1701):鷹司房輔の子。興福寺別当223世。大乗院門跡29世。1701年(元禄14年)5月2日死去(「基礎講座」)。
  • 30隆尊(?-1764):鷹司房輔の子。大乗院門跡30世。興福寺別当225世・227世。1764年(明和1年)4月18日死去(「基礎講座」)。
  • 31隆遍(1721-1777):二条吉忠の子。兄弟に園城寺長吏の祐常。学問所を設置して古文書整理を行う。興福寺別当228世。1739年(元文4年)3月19日興福寺別当就任(「仏家次第」)。
  • 32隆範(1773-1829):鷹司輔平の子。興福寺別当230世・232世。
  • 33隆実
  • 34隆温(1811-1875):二条治孝の子。興福寺別当234世・236世。大乗院門跡34世。還俗して松園隆温。男爵。
  • 35隆芳(1840-1903):九条尚忠の次男。興福寺別当237世。薬師寺別当。還俗して松園尚嘉。春日大社神職。松園男爵家初代。生国魂神社大宮司。広田神社大宮司。丹生川上神社大宮司。

(望月信亨『仏教大辞典 付録』、『日本仏家人名辞書』など。番号は新たに便宜上付した)

  • 「大乗院門跡相承次第」『諸門跡承伝系図』[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%99%A2」より作成

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