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蒙疆神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月6日 (木)
蒙疆神社は、蒙古聯合自治政府の首都張家口にあった神社。祭神は天照大神・国魂大神・明治天皇・北白川宮永久王。張家口忠霊塔が隣接。戦後、廃絶。植民地創建神社。皇族奉斎神社。永久王の神霊は靖国神社に合祀された。
死後一年で神社に祀られるのは異例であり、この神社が神社行政上どのように位置付けられたのかははっきりしない。
計画にあたってはチンギスハンを祭神とすべきだという神社界からの意見があったが聞き入れられなかった
歴史
- 1939年(昭和14年)11月19日:造営計画中の張家口神社を蒙疆神社と改称[1][2]
- 1940年(昭和15年)3月7日:在張家口総領事を委員長として蒙疆神社御造営奉賛会を結成。(北支・蒙疆年鑑昭和16年版[3]、蒙古[4]、蒙古[5])
- 1940年(昭和15年)4月:忠霊顕彰会設立(蒙疆年鑑昭和18年版)[6]
- 1940年(昭和15年)8月:起工(蒙疆年鑑昭和18年版)
- 1940年(昭和15年)9月5日:北白川宮永久王、飛行機事故で戦死。
- 1940年(昭和15年)9月27日:陸軍省に入電。蒙疆神社に永久王合祀について問い合わせ[7]
- 1941年(昭和16年)3月11日:蒙疆神社の神職となるために北白川宮家属の梅田次郎が辞任。4月に赴任。時事年鑑[8]
- 1941年(昭和16年)9月4日:北白川宮永久王一年祭。戦跡碑除幕式。(蒙疆年鑑昭和18年版)
- 1941年(昭和16年)10月1日:御霊代を井上石原両奉戴使により張家口に安置。(蒙疆年鑑昭和18年版)
- 1941年(昭和16年)10月6日:鎮座祭(蒙疆年鑑昭和18年版)。7日とも[9]
- 1941年(昭和16年)12月2日:境内に頌徳碑除幕(蒙疆年鑑昭和18年版)
- 1942年(昭和17年)9月5日:上野輪王寺の長沢徳玄、永久王を回向[10]
- 1942年(昭和17年)10月16日:張家口忠霊塔竣工。(蒙疆年鑑昭和18年版)
- 1942年(昭和17年)10月19日:張家口忠霊塔遷座祭(蒙疆年鑑昭和18年版)
- 1942年(昭和17年)10月20日:張家口忠霊塔臨時大祭(蒙疆年鑑昭和18年版)
- 1945年(昭和20年)8月20日:御霊代を梅田次郎が奉じて航空機で張家口を出発。24日北京を経て日本に奉遷。赤坂氷川神社(大宮氷川神社とも)に奉安する。[11][12]
- 1952年(昭和27年)10月3日:永久王の御霊代を大宮氷川神社から靖国神社元宮に奉遷。(靖国神社百年史事歴年表[13])
- 1959年(昭和34年)7月7日:昭和天皇、能久親王と永久王の靖国神社合祀を聴許(新訂増補靖国神社略年表)
- 1959年(昭和34年)10月3日:皇居で宮内庁長官から靖国神社宮司へ能久親王と永久王の御霊代の神鏡を伝達。(新訂増補靖国神社略年表)
- 1959年(昭和34年)10月4日:北白川宮永久王の神霊を改めて招魂し、新たに御霊代を奉製して北白川宮能久親王と共に靖国神社に合祀。
- 1959年(昭和34年)10月26日:元宮に奉安していた蒙疆神社を昇神。(新訂増補靖国神社略年表)