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親鸞旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年12月24日 (日)

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親鸞(しんらん)(1173-1262)は、浄土真宗の開祖。法然の弟子。見真大師。忌日法要を報恩講(御正忌報恩講)と呼ぶ。ご開山


目次

信仰

御影(彫像など)

一般には御影を「みえい」と読むが真宗では「ごえい」と読む。

  • 骨肉の御影:西本願寺の本尊。
  • 常葉の御影:真宗本廟(旧東本願寺)の本尊。
  • 箱根の御真影:東京・東本願寺の本尊。
  • 時雨の御影:高野山巴陵院
  • そばくい御影
  • 植髪の御影:青蓮院植髪堂に祀られる。
  • 草鞋の御影:頂法寺親鸞堂に祀られる。2体のうちの1体。
  • 夢想像:頂法寺親鸞堂に祀られる。2体のうちの1体。
  • 満足の御影:錦織寺御影堂本尊。
  • 鎌田の御影:善通寺に伝来。下総国鎌田で親鸞の命で描かれたと伝わる。
  • 常敬寺の御影:最初に大谷廟堂に奉安された御影像という説もある。下総・常敬寺蔵。
  • 黒箱の御影:
  • 居多の御影:

御影(画像)

  • 鏡御影:画像。白地に墨書にした素朴なデッサン。線描で立ち姿を描く。藤原信実の子の専阿弥陀仏が描いた。1310年(延慶3年)に修理をした時に覚如が賛を加えた。縦74.4cm。横33.0cm。西本願寺蔵。
  • 安城の御影:1255年(建長7年)制作の寿像。画像。朝円が描いた。獣皮の上に坐す。高僧が獣皮の上に坐す図様は浄土真宗の伝承で法然が大原談義の時に門弟が慌てて敷物として獣皮を用意したことに由来するという。親鸞自筆の賛。『袖日記』によると専信房専海が所持。蓮如の裏書がある。口をすぼめた様子から「嘯の御影」とも呼ばれる。西本願寺蔵。縦129.5cm。横40.7cm。1479年(文明11年)制作の模作(蓮如筆の賛がある)も著名。
  • 安城の御影:1255年(建長7年)制作の寿像。画像。親鸞自筆の賛。『反故裏書』に「京都金宝寺より一幅献上されたがこれも安城の御影である」と記述されるものとされる。縦128.7cm。横40.7cm。真宗本廟蔵。
  • 熊皮の御影:獣皮の上に坐す。鎌倉時代の制作と言われてきたが、現在は室町時代の制作とみられる。真宗大谷派京都常福寺旧蔵。奈良国立博物館蔵。
  • 花の御影:画像。存覚が制作。正面を向いて合掌する姿を描く。京都・常楽寺蔵。1354年(正平9年/文和3年)制作。康楽寺浄耀が描いた。1667年(寛文7年)に親鸞の舎利を軸に収めたという。
  • 等身の御影:画像。正面を向く。有力末寺に限定して下付する「等身の御影(真向きの御影)」の原本。1477年(文明9年)の制作。蓮如が顕証寺順如に下付したもので、1776年(安永5年)新たな御影下付の際に本山に返還されたとみられる。西本願寺蔵。

伝絵

伝記を描いた絵巻。「親鸞聖人伝絵」などと呼ばれる。名称や構成は様々。本文部分は『御伝鈔』、絵だけを独立させて4幅の掛軸にしたのが「親鸞聖人絵伝」と呼ばれる。

  • 原本:現存せず。1295年(永仁3年)、覚如が制作させる。
  • 高田本:原本を1295年(永仁3年)12月に模写したもの。詞書は覚如筆。
  • 琳阿本:詞書は覚如筆。鎌倉の時宗向福寺の琳阿弥陀仏が所持していた。西本願寺蔵。
  • 康永本:1343年(興国4年/康永2年)覚如が再制作させた。のちの伝絵と御伝鈔(伝絵の詞書の部分)の基本形となる。詞書は覚如筆。真宗本廟蔵。
  • 弘願本:真宗本廟蔵。1346年(正平1年/貞和2年)の制作。詞書は善如筆。下総常光寺(廃絶)の伝来していた。
  • 定専坊本:定専坊蔵。『袖日記』にある「錦織寺絵」に該当する。南北朝時代。詞書は存覚筆。
  • 仏光寺本:仏光寺蔵。他にない「一切経校合」の段がある。親鸞帰洛説も記す。
  • 万福寺本:等々力・万福寺に伝来。西本願寺蔵。善光寺を大きく描く。
  • 願照寺本:愛知願照寺蔵。三幅仕立てが特徴で初期三河真宗の実態を伝える。
  • 「法然上人絵伝ならびに親鸞聖人絵伝」:備後・光照寺蔵。1338年(延元3年/暦応1年)制作。

墓廟

旧跡

京都時代

配流1

  • 犬上・西明寺:滋賀県犬上郡甲良町池寺。近江国犬上郡。
  • 誠照寺:福井県鯖江市本町。越前国今立郡。真宗誠照寺派本山。配流途中の親鸞が教えを説いたという。創建の地は上野別堂
  • 木浦(このうら):新潟県糸魚川市木浦。越後国頸城郡。親鸞の乗船の地。大谷派西性寺の門前に「親鸞聖人御旧跡」碑が建つ。

配流2

  • 居多ケ浜:新潟県上越市五智。越後国頸城郡。上陸の地。「親鸞聖人御上陸之地」碑がある。
    • 居多神社:新潟県上越市五智。越後国頸城郡。
    • 居多ケ浜見真堂:新潟県上越市五智。越後国頸城郡。1971年創建。2015年5月17日、再建。「居多の御影」を祀る。林正寺が管理。
    • 居多ケ浜記念堂:新潟県上越市五智。越後国頸城郡。1967年建立。「念仏発祥之地」碑。
  • 竹之内の草庵:新潟県上越市五智。越後国頸城郡。
    • 五智国分寺:新潟県上越市五智。越後国頸城郡。天台宗。
    • 五智国分寺親鸞堂:新潟県上越市五智。越後国頸城郡。草庵の跡地という。親鸞が草庵を去る時に鏡ケ池に姿を映して刻んだと伝わる親鸞坐像を祀る。現在の堂は1873年の造営。
  • 光源寺:新潟県上越市国府。越後国頸城郡。配流中の親鸞に帰依した最信が創建したという。「流罪勅免御満悦御真影」を本尊とし、脇に阿弥陀如来を祀り、御影堂と本堂を併設する特殊な建築様式を持つ。 真宗大谷派。国府御坊。配所国府御坊。
  • 本願寺国府別院:新潟県上越市国府。越後国頸城郡。親鸞が竹之内草庵の後に滞在した竹ケ前の草庵の地という。浄土真宗本願寺派。
  • 恵信尼墓):新潟県上越市板倉区米増。越後国頸城郡。国府別院の飛地境内。
  • 鳥屋野の草庵:新潟県新潟市中央区鳥屋野。
  • 越後・西方寺:新潟県新潟市中央区鳥屋野。真宗大谷派。
  • 浄善寺:新潟県上越市柿崎区柿崎。柿崎御坊。浄土真宗本願寺派。

配流3

東国布教

京都帰還の道

晩年の京都

年表

略年譜

  • 1173年(承安3年):日野で誕生(日野誕生院)。
  • 1181年(養和1年):慈円の下で出家。範宴と名乗る。
  • 1182年(寿永1年):恵信尼誕生。
  • 1201年(建仁1年):延暦寺を下山。六角堂に参籠して、聖徳太子の夢告を得た。法然に入門。
  • 1205年(元久2年):法然から選択本願念仏集の書写を許され、法然御影を授けられた。
  • 1207年(承元1年):承元の法難で、越後に流罪。
  • 1207年(承元1年)頃:恵信尼と結婚。
  • 1211年(建暦1年):赦免。
  • 1212年(建暦2年):法然死去。
  • 1214年(建保2年)頃:常陸に向かう。
  • 1224年(元仁1年):覚信尼誕生。
  • 1224年(元仁1年)頃:『教行信証』執筆。
  • 1232年(貞永1年)頃:京都帰還。
  • 1248年(宝治2年):『浄土和讃』、『高僧和讃』を著す。
  • 1255年(建長7年):安城御影を描く。
  • 1256年(康元1年):息子善鸞を義絶。
  • この頃、名号本尊を祀り始める。
  • 1257年(正嘉1年):『正像末和讃』を著す。
  • 1262年(弘長2年)11月28日:未刻、善法坊で死去。90歳。

死後の年表

  • 1262年(弘長2年)11月29日:延仁寺で火葬。鳥辺野の北大谷に埋葬された。
  • 1272年(文永9年):西の吉水の北辺に改葬。現在の崇泰院の地。
  • 1294年(永仁2年):親鸞33回忌。覚如、『報恩講式』を著す。
  • 1295年(永仁3年):覚如、『親鸞聖人伝絵』の原本を作成。
  • 1461年(寛正2年):蓮如、親鸞200回忌。
  • 1561年(永禄4年):300回忌。
  • 1611年(慶長16年):350回忌。
  • 1661年(寛文1年):400回忌。
  • 1711年(正徳1年):450回忌。
  • 1761年(宝暦11年):500回忌。
  • 1811年(文化8年):550回忌。
  • 1861年(文久1年):600回忌。
  • 1876年(明治9年)11月28日:明治天皇、親鸞に見真大師号宣下。
  • 1911年(明治44年):650回忌。
  • 1962年(昭和37年):700回忌。
  • 2011年(平成23年):750回忌。
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