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解脱会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月15日 (木)
解脱会(げだつかい)は、岡野聖憲(1881-1948)を開祖とし、東京都新宿区に本部を、埼玉県北本市に聖地御霊地を置く、密教・修験道系新宗教。
目次 |
一覧
- 御霊地
- 天神地祇太神社殿
- 万霊魂祭塔
- 太陽精神碑
- 頌徳碑
- 五智如来堂
- 解脱金剛五輪宝塔
- 寂光堂
- 冨士浅間両龍王神
- 守護大神社
年表
- 1925年(大正14年)3月:岡野聖憲、急性肺炎を患い、母親の飲ませた甘茶で回復するという神秘体験。
- 1928年(昭和3年):岡野、下高井戸の別荘に来訪した皇族との交流で、模索してきた道が明確化する体験
- 1929年(昭和4年)1月:岡野、故郷の北本宿に初詣の際、生家ちかくの一本松の小祠そばで「太神を世に出せ」との啓示。
- 1929年(昭和4年)5月8日:岡野、書き物をしている時、「圧倒的な力」に打たれ、金色の霊文字を見る。その文字は菩提寺であった多聞寺の宝篋印塔に刻まれていた文字と一致した。
- 1930年(昭和5年)12月:解脱会と称す(『事典』では1929年(昭和4年)とある)。本部を四谷荒木町の自宅に置く(現在の本部の地か)
- 1931年(昭和6年)4月18日:岡野、醍醐寺三宝院で得度。
- 1933年(昭和8年)10月:真言宗醍醐派教会解脱分教会と称す。
- 1934年(昭和9年):五法則をまとめる
- 1936年(昭和11年)11月10日:万霊魂祭塔を建立。
- 1940年(昭和15年)2月11日:太陽精神碑を建立。
- 1940年(昭和15年)4月:宗教団体法に基づく宗教結社となり、解脱報恩感謝会と称す。
- 1941年(昭和16年)4月1日:伊勢神宮、橿原神宮、泉涌寺への巡拝開始。以後毎年。
- 1941年(昭和16年)11月28日:頌徳碑を建立。
- 1947年(昭和22年)3月13日:宗教法人解脱報恩感謝会を設立?(ウェブサイト)。
- 1948年(昭和23年)11月4日:岡野死去。12日、醍醐寺三宝院より「解脱金剛」号が贈られる。
- 1949年(昭和24年)3月13日:宗教法人令による宗教法人
- 1952年(昭和27年):真言宗醍醐派から独立?(石井論文)
- 1953年(昭和28年)1月9日:宗教法人法による宗教法人
- 1954年(昭和29年):泉涌寺に解脱金剛宝塔建立。
- 1955年(昭和30年):本部道場建立。
- 1956年(昭和31年):湘南道場建立。
- 1957年(昭和32年):御霊地の社殿を建立。
- 1961年(昭和36年):解脱会と改称
- 1969年(昭和44年)9月7日:米国解脱霊廟、建立。
- 1978年(昭和53年):太神社殿再建
組織
歴代
- 1会祖:岡野聖憲(おかの・せいけん):俗名は英蔵。会祖。諡号は解脱金剛尊者で尊者様、金剛様と呼ばれる。
- 2法主:岡野聖法(おかの・せいほう):
- (会長)永田貴明<1957年(昭和32年)~1962年(昭和37年)>
- (教統)岸田英山<1962年(昭和37年)~>
参考文献
- 『新宗教教団・人物事典』
- 解脱会ウェブサイト