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讃岐・金倉寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月23日 (金)

讃岐・金蔵寺から転送)
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金堂
金蔵寺駅の前にある石碑

金倉寺(こんぞうじ)は、香川県善通寺市金蔵寺町(讃岐国那珂郡)にある円珍旧跡天台宗寺院。本尊は薬師如来天台宗寺門派開祖の円珍の生誕地。日本で最初に訶梨帝母を祀った地という。和気氏の氏寺だった。四国八十八所霊場第76番札所。幕末には聖護院門跡院室だった。現在は天台寺門宗別格本山。宝幢院。山号は鶏足山。(参考:同名寺院金蔵寺

目次

歴史

訶梨帝堂
乃木希典妻返しの松

714年(和銅7年)、円珍の祖父に当たる和気道善が如意輪観音を造立し、自在王堂に祀った。851年(仁寿1年)、円珍の父の和気宅成が官寺とすることを請願して許可され、道善寺と称した。唐から帰国した円珍が兄の和気善甄に勧められ、伽藍を整備し861年(貞観3年)に落慶。この時、金倉郷の地名から金倉寺としたという。あるいは寺名の改称は928年(延長6年)のことともいう。

天暦年間、寺領寄進。1203年(建仁3年)金倉郷が園城寺領となり、金倉庄が成立。鎌倉時代は地頭の悪行が続き、伽藍のほとんどが南北朝時代初期までに破壊されたという。1308年(延慶1年)3月1日、落雷で金堂、新御影堂、講堂などが焼失。30年以上経っても再建できなかった。 のち年次不詳だが、良勢が院主の時代に本堂・誕生院・新御影堂が造営された。

南北朝・室町時代には隆盛する。 1347年(正平2年/貞和3年)、足利尊氏が地頭職を寄進。 1363年(正平18年/貞治2年)、平政平が社領を金倉寺八幡宮に寄進。たびたび領主の庇護を受けた。 しかし戦国時代の1537年(天文6年)の兵乱で焼失。伽藍や寺宝は灰燼に帰した。 その跡に草庵があった真言宗の僧が守っていた。

江戸時代になり1642年(寛永19年)、天海が円珍ゆかりの寺の荒廃を惜しんで復興。 1651年(慶安4年)藩主松平頼重が住職だった真言宗の了翁に命じて天台宗に復帰させ、聖護院門跡の末寺とした。天海の学友の算海が中興した。 頼重は寺領30石を寄進した。

1732年(享保17年)頃から円珍850年忌の準備を始め、 祥当の1740年(元文5年)9月27日から29日まで執行された。 江戸時代末、聖護院門跡の院室となっていた(院家院室末寺修験頭分書上帳)。

1898年(明治31年)から1901年(明治34年)まで乃木希典が金倉寺書院を宿舎とした。 1925年(大正14年)の金蔵寺小作争議では小作料の引き下げを要求する農家2000人が境内に集合し、地主側や警官と衝突。36人が起訴された。

伽藍

金蔵寺駅の前にある石碑
仁王門
昭和御大典記念碑
金堂
  • 金堂:本尊は秘仏薬師如来。円珍作と伝わる。不動明王(円珍作)と阿弥陀如来円仁作)も祀る。1983年(昭和58年)11月再建の金堂は近江・西明寺の本堂を模して設計された。
  • 祖師堂:本尊は智証大師円珍、伝教大師最澄、弘法大師空海、天台大師智顗役行者神変大菩薩。四国霊場で五祖師を合祀するのは唯一という。大師堂ともいう。現在の堂宇は1769年(明和6年)に造営した旧金堂で、1982年(昭和57年)に移築したもの。旧祖師堂も後方に移築されて現存する。
  • 訶梨帝堂:本尊は訶梨帝母。818年(弘仁9年)に5歳の円珍の前に出現した日本最初の訶梨帝母を祀る。入唐して帰国後に像を刻み訶梨帝堂を建立したという。神社建築に準じ本殿と拝殿から構成。現在の本殿は1716年(享保1年)高松藩主松平家が寄進造営したもの。拝殿は1881年(明治14年)に造営したもの。
  • 観音堂:本尊は秘仏十一面観音。円珍作。近くの樫藪という地にあった観音堂を1937年(昭和12年)に移築されたもの。納骨堂・位牌堂となっている。
  • 入山大師像:1989年(平成1年)造立。
  • 天神宮:祭神は菅原道真
  • 金色不動堂:本尊は金色不動。金色不動(黄不動)は円珍が感得した異形の不動尊。100体以上祀る。1989年(平成1年)建立。
  • 三重塔:跡地
  • 算海墓:金倉寺中興の喜楽院算海の墓。
  • 忠魂社:
  • 御神木:楠
  • 龍神宮:
  • 聖天堂:
  • 新羅神社:新羅明神。現在は別組織。遠津大明神と呼ばれた山王権現を慶安年間に合祀。
  • 金倉寺八幡宮:廃絶。
  • 仁王門:金剛力士を祀る。1733年(享保18年)の造営。「鶏足山」額を掲げる。
  • 四国霊場お砂踏み道場:瀬戸大橋開通記念に記念公園内に設置されたものを1989年(平成1年)に移設した。
  • 鐘楼:江戸時代中期の建立。
  • 乃木希典像:
  • 乃木希典妻返しの松:金倉寺を宿舎にしていた乃木希典のもとに1898年(明治31年)の大晦日、東京から妻静子が訪ねてきたが、会わずにこの松の下で佇んでいたが、意を汲んでやがて帰京したという。
  • 古訶梨帝堂:訶梨帝堂の旧鎮座地にある祠。金倉寺の南東660mにある。中世までこの地にあった。現在の石祠は1984年(昭和59年)3月再建。
  • 初湯之井:円珍の産湯の井。金倉寺の東1.5kmにある。円珍を本尊とする仏名寺という寺があったが1872年(明治5年)に廃絶した。この本尊は近くの玉泉院に現存するという。
  • 書院:1898年(明治31年)から1901年(明治34年)まで乃木希典が宿舎とした。

子院

本坊
本坊
本坊
  • 法幢坊:南北朝時代初期から中心となる。法幢院。廃絶。
  • 蔵妙坊:廃絶。
  • 宝蔵坊:廃絶。
  • 光寂坊:廃絶。

組織

祖師堂
祖師堂
祖師堂
訶梨帝堂
地蔵尊
観音堂
聖天堂
忠魂碑
忠魂社
入山大師像
境内
龍神宮
新羅神社
新羅神社
新羅神社
新羅神社
新羅神社
新羅神社
新羅神社

住職

  • 円珍
  • 良勢()<>:
  • 了翁()<>:真言宗。
  • 1算海()<>:金倉寺中興。天台宗に復す。喜楽院
  • 了春(1695-1750)<>:学僧。園城寺勧学院などで講じる。覚芳とも。『鶏足山金倉寺縁起』を著す。
  • 10弘順
  • 11
  • 12松田俊順(1822-1884)<1874->:
  • 13松田俊良()<>:1885年(明治18年)金倉寺住職。
  • 14松田俊雄()<>:天台寺門宗管長。
  • 15大岡俊謙()<>:天台寺門宗管長。
  • 16村上法照()<>:天台寺門宗管長。

資料

  • 『鶏足山金倉寺縁起』[1]
  • 『金蔵寺縁起条書』:
  • 『金倉寺文書』:金蔵寺文書とも。一部、金剛三昧院蔵となっている。
  • 『金倉寺古記録』:
  • 「智証大師八百五十年忌御法会之記事」:1740年(元文5年)。『香川県史』[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%AE%83%E5%B2%90%E3%83%BB%E9%87%91%E5%80%89%E5%AF%BA」より作成

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