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讃岐先賢堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月23日 (金)
先賢堂(せんけんどう)は香川県高松市の表誠館にあった祖霊社。戦後、香川・乃木神社に合祀された。
祭神
- 神櫛王(生没年不詳):景行天皇皇子。
- 空海():真言宗開祖。讃岐出身。
- 円珍():天台宗寺門派開祖。讃岐出身。
- 菅原道真():天満天神。讃岐国司。
- 岡田牛養(生没年不詳):奈良時代~平安時代の学者。讃岐出身。大学博士。大学で空海に『春秋左氏伝』を講義。
- 松平頼恭(1711-1771):高松藩主。陸奥守山藩主松平頼貞の子。松平頼桓の養子。藩の財政の立て直しに成功し殖産興業を重視し、高松藩中興とされる。
- 松平頼恕(1798-1842):高松藩主。水戸藩主徳川治紀の次男。松平頼儀の養子。天保の改革を進めて財政再建に努める。藩校講道館に聖廟を建立。『歴朝要紀』を編纂。
- 松平頼纘():
- 松平頼重():
- 松平左近():
- 松平大膳():
- 柴野栗山():
- 柴野平次郎():
- 木内順二():
- 村岡宗四郎():
- 美馬援造():
- 藤川将監():
- 奈良専二():
- 太田次郎():
- 後藤弥兵衛():
- 長町徳兵衛():
- 長谷川速水():
- 友安良介():
- 生駒親正():
- 西島八兵衛():
- 梶原九郎右衛門():
- 木村亘():
- 玉楮敬造():
- 松崎渋右衛門():
- 長谷川宗右衛門():
- 青葉士弘():
ほか
歴史
1911年(明治44年)、商議員会で建議され、県会と高松市会の補助金を得て1917年(大正6年)11月3日、香川県教育会の表誠館の建設と同時に創建された。設計建設は久保田富五郎。 1913年(大正2年)10月17日制定の「讃岐先賢堂規定」によって祭祀基準が定められた。創建時の祭神は51柱だった。1924年(大正13年)11月3日、松平頼恕、柴野平次郎、木内順二、村岡宗四郎、美馬援造、藤川将監、奈良専二、太田次郎の8柱を合祀。1929年(昭和4年)3月6日、松平大膳ら7柱を合祀。
1938年(昭和13年)11月15日、屋根葺き替えのため、中野天満宮に仮遷座。 1939年(昭和14年)4月22日、正遷座した。
1933年(昭和8年)の『高松市史』には66柱、1939年(昭和14年)の『香川県教育会五十年史』では73柱とある。
1945年(昭和20年)、空襲で焼失。1946年(昭和21年)に善通寺乃木神社に合祀された。 明治100年の1968年(昭和43年)にも合祀が行われた。 平成末の時点で103柱を祀る。 山口県山口市には防長先賢堂、広島県には郷賢祠がある。
資料
- 『讃岐高松名勝図絵』[1]
- 『讃岐郷土研究』
- 1933『高松市史』[2]
- 1935『讃岐先賢堂祭神小伝』
- 1936「香川県教育会先賢堂祭神」『讃岐史談』1-1
- 1939『香川県教育会五十年史』[3]
- 1939『讃岐先賢堂追祀先哲小伝』
- 1961「村上源氏中院少将源雅平卿 御事績の概要 : 香川県善通寺市に鎮座讃岐宮先賢堂祭神」
- 1966『新修高松市史第2巻』:一覧がある。
- 「讃岐宮先賢堂と新祭神五柱」『讃岐公論』49-4
- 「讃岐宮先賢堂の祭神」『讃岐公論』49-5
- 「讃岐先賢堂祭神(続)」『讃岐公論』49-6
- 「香川県郷土教育史研究序説」[4]