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豊烈神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年7月21日 (日)
豊烈神社(ほうれつ・じんじゃ)は、山形県山形市桜町にある水野忠元・水野忠邦を祀る霊社。祭神は豊烈霊神(水野忠元)、英烈霊神(水野忠邦)、八坂大神、稲荷大神、山ノ神、明治維新殉難者24柱(人名不詳)。領主奉斎神社。村社。市街地化した山形城三の丸の氏神とされたため、この種の神社としては珍しく氏子を持つ。官軍賊軍問わずに戊辰戦争の殉難者を合祀したことで賊軍殉難者奉斎招魂社の性格も持っている。山形藩殉難者招魂碑がある。打毬を伝承する。
歴史
- 1821年:水野忠邦は浜松城内に藩祖水野忠元の霊を祀り、吉田家から「豊烈霊神」の号を授けられたという。
- 1848年:山形移封で山形城内に遷座。
- 1870年:水野家の発祥地の下総山川の下総・万松寺跡に遷座。
- 1880年:旧臣らが下総山川から分霊を祀り、現在地に豊烈神社を創建。
- 1891年9月:山形藩殉難者招魂碑を建立。
- 1902年9月:水野元宣像を建立。[1]
- 1908年:八坂神社と山神社を合祀。[2]
- 1913年:本社であった下総山川の豊烈霊神を合祀合併。
- 1921年:水野忠邦を合祀。
- 1937年:神饌幣帛料供進神社に指定。[3]
- 1955年10月5日:官軍に処刑された家老水野元宣ら維新殉難者を合祀。[4]
- 2022年:水野元宣銅像を再建。
(神社ウェブサイトほか)