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賀茂別雷神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年6月6日 (木)

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賀茂別雷神社(かも・わけいかずち・じんじゃ)は、京都府京都市北区にある、賀茂神社を構成する神社の一つ。上賀茂神社(かみがも・じんじゃ)として知られる。主祭神は別雷神。親神を祀る賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂信仰の総本社である。官社名神大社山城国一宮二十二社官幣大社別表神社勅祭社賀茂神社関連旧跡も参照。

目次

概要

奉斎

歴史

上賀茂神社中心部(国土地理院空中写真より)
上賀茂神社(国土地理院空中写真より)
上賀茂神社と下鴨神社(国土地理院空中写真より)
上賀茂神社・下鴨神社の周辺部(国土地理院空中写真より)
  • 677年(天武6年)2月:天武天皇、山背国に命じて社殿を造営したという。
  • 698年(文武2年)3月21日:朝廷、賀茂祭の日の騎射を禁じる(続日本紀)。史料上の初出。
  • 702年(大宝2年)4月3日:朝廷、再び賀茂祭の日の騎射を禁じる(続日本紀)。
  • 711年(和銅4年)4月20日:朝廷、国司に賀茂祭に毎年臨検するように命じる。続日本紀
  • 784年(延暦3年)11月:長岡京遷都にともない上下賀茂神社に従二位。続日本紀
  • 793年(延暦12年)2月2日:桓武天皇、壱志濃王らを派遣して平安京遷都を奉告
  • 794年(延暦13年)11月:正二位勲一等
  • 794年(延暦13年)12月:桓武天皇行幸。
  • 806年(大同1年):賀茂祭(葵祭)、勅祭となる。4月中酉日。
  • 807年(大同2年)5月3日:正一位。伊勢神宮の継ぐ地位を与えられたという。
  • 810年(弘仁1年):有智子内親王を斎王に任命。賀茂斎院の始まり。
  • 889年(寛平1年)11月:賀茂臨時祭始まる。11月下酉。
  • 971年(天禄2年):摂家による「御賀茂詣」始まる
  • 1017年(寛仁1年)11月:後一条天皇行幸。愛宕郡ほとんどを賀茂神社に寄進。
  • 1036年(長元9年):後一条天皇の勅で、式年造営を実施したという。
  • 1076年(承保3年)3月4日:毎年4月中酉を行幸の式日とする。扶桑略記
  • 1093年(寛治7年):競馬が始まる
  • 1204年(元久1年):最後の賀茂斎院任命。
  • 1467年(応仁1年):応仁の乱。この頃、賀茂祭断絶。
  • 1589年(天正17年)頃:豊臣秀吉、2572石寄進。
  • 1694年(元禄7年)4月:賀茂祭復興。
  • 1628年(寛永5年):社殿造営。
  • 1708年(宝永5年)3月:内裏炎上に際して天皇・皇太子・中宮・女院らが一時避難。
  • 1814年(文化11年):賀茂臨時祭復興。
  • 1863年(文久3年):現在の本殿を造営。
  • 1863年(文久3年)3月:孝明天皇、行幸。将軍徳川家茂、徳川慶喜が供奉。
  • 1868年(明治1年)8月:明治天皇行幸。
  • 1870年(明治3年)3月4日:賀茂臨時祭廃止
  • 1871年(明治4年)5月14日:官幣大社に列格。

境内

名称 エリア 種別 祭神 概要
本殿
賀茂別雷神社・D本社本殿001.jpeg
中門内 本社 賀茂別雷大神
権殿
Nophoto.jpg
中門内 その他
直会殿 中門内 その他
楽所 中門内 その他
御籍舎 中門内 その他
祝詞舎 中門内 その他
西御供所 中門内 その他
東御供所 中門内 その他
若宮神社
Nophoto.jpg
中門内 摂社 若宮神 摂社。
新宮神社
賀茂別雷神社・D新宮神社001.jpeg
中門内 摂社 高〓神 摂社。貴船信仰。賀茂祭の御阿礼神事の斎場の一つとなる。
土師尾神社
賀茂別雷神社・D土師尾神社001.jpeg
中門内 末社 賀茂玉依比古命
杉尾神社
Nophoto.jpg
中門内 末社 杉尾神
山尾神社
賀茂別雷神社・D山尾神社001.jpeg
中門内 末社 大山津見神
棚尾神社
D棚尾神社.jpg
中門内 末社 櫛石窓神・豊石窓神 中門の前にある。賀茂祭の御阿礼神事で御榊2本が立てられる。
楼門
D楼門03.jpg
楼門内 その他
幣殿
D祈祷殿.jpg
楼門内 その他
忌子殿 楼門内 その他
高倉殿 楼門内 その他
片岡御子神社
C片岡御子神社・本殿02.jpg
片岡社周辺 摂社 賀茂玉依姫命 摂社。官社。正二位。片岡社。地主神。
岩上
C岩上01.jpg
片岡社周辺 その他 「がんじょう」
須波神社
C須波神社01.jpg
片岡社周辺 摂社 阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神 摂社。官社。諏訪神社とも。現在は坐摩神を祭神とするが、諏訪神とも考えられていた。
橋本神社
C橋本神社.jpg
片岡社周辺 末社 衣通姫神
川尾神社
C川尾神社01.jpg
片岡社周辺 末社 罔象女神
伊勢神宮遙拝所
C伊勢神宮遙拝所.jpg
片岡社周辺 その他 伊勢神宮の遙拝所
細殿
B拝殿01.jpg
細殿周辺 その他 拝殿とも。
土屋
B土屋01.jpg
細殿周辺 その他
橋殿
B橋殿01.jpg
細殿周辺 その他 賀茂祭(葵祭)で勅使が御祭文を奏上する場所となる。
楽舎
B楽舎2.jpg
細殿周辺 その他
賀茂山口神社
上賀茂神社015.jpg
沢田社周辺 摂社 御歳神 摂社。官社。沢田社。
岩本神社
E岩本神社01.jpg
沢田社周辺 末社 底筒男神・中筒男神・表筒男神 住吉信仰の神社。
二葉姫稲荷神社
上賀茂神社・境内・二葉姫稲荷神社-02.jpg
沢田社周辺 稲荷信仰の神社。
馬場
A馬場・全景01.jpg
馬場周辺 その他
神馬舎 馬場周辺 その他
外幣殿
A外幣殿・正面01.jpg
馬場周辺 その他
頓宮用地
A馬場・頓宮用地.jpg
馬場周辺 その他
御阿礼所遥拝所 馬場周辺 その他 馬場に設けられる。賀茂祭の御阿礼神事で御榊3本が立てられる。
聖神寺馬場周辺 その他 上賀茂神社の神宮寺。御読経所か。
庁舎
F奈良神社・庁舎・正面04.jpg
庁舎周辺 その他
奈良神社
F奈良神社・本殿02.jpg
庁舎周辺 摂社 奈良刀自神 祭神は奈良刀自神。摂社。官社。神饌調理を司る神。散飯神。
校倉
F校倉01.jpg
庁舎周辺 その他
井戸舎
F井戸舎02.jpg
庁舎周辺 その他
山森神社
F山森神社03.jpg
庁舎周辺 末社 素盞鳴神奇稲田姫神・田心姫神
梶田神社
F梶田神社02.jpg
庁舎周辺 末社 瀬織津姫神
(神宮寺) 庁舎周辺 その他 片山御子神社の神宮寺。
社務所 社務所周辺 その他
勅使殿 社務所周辺 その他
貴船神社
Kifune-jinja (20).jpg
境外 (旧摂社) 明治に独立。
大田神社
京都太田神社007.jpg
境外 摂社 天鈿女命 境外摂社。官社。大田山の麓に鎮座。地主神。
白髭神社
京都太田神社006.jpg
境外 末社 猿田彦命 大田神社境内。境外末社。
百大夫神社
京都太田神社004.jpg
境外 末社 船玉神 大田神社境内。境外末社。
鎮守神社
京都太田神社005.jpg
境外 末社 大国主神少彦名神 大田神社境内。境外末社。
福徳神社
京都太田神社009.jpg
境外 末社 福徳神 大田神社門前。境外末社。
藤木神社
上賀茂神社・境外・藤木社-02.jpg
境外 末社 瀬織津姫神
社家町
上賀茂神社・境外・梅辻家邸宅-01.jpg
境外 その他 梅辻家旧宅などがある
久我神社
上賀茂神社・境外・久我神社-09.jpg
境外 摂社 賀茂建角身命 境外摂社。官社。
(賀茂建角身命墓) 境外 その他 廃絶。
小森神社
上賀茂神社・境外・小森社-02.jpg
境外 末社 水分神 境外末社。
半木神社
半木神社-04.jpg
境外 末社 天太玉命 境外末社。
神山
上賀茂・神山001.jpg
境外 その他 本社本殿の北2kmにある。神体山とされる。「こうやま」。
丸山 境外 その他 本社本殿の東北550mにある。賀茂祭の御阿礼神事で「御阿礼所」が設けられ、神霊を降臨させる場となる。
神館 境外 その他 本社本殿の北300mにある。廃絶。
片岡山 境外 その他 片山御子神社の神体山。
静原神社 関連旧跡 京都府京都市左京区静市静原町。旧末社。村社。氏人を静原沙汰人と称し、葵祭のために葵を集めて奉納していた。
紫竹貴船神社
紫竹貴船神社-05.jpg
関連旧跡 京都府京都市北区紫竹西北町
柊野貴船神社 関連旧跡 京都府京都市北区上賀茂西後藤町
深泥池貴舩神社
深泥池貴舩神社001.jpg
関連旧跡 京都府京都市北区上賀茂深泥池町
正伝寺
正伝寺001.jpg
関連旧跡 京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町。臨済宗南禅寺派
西方寺 関連旧跡 京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町。浄土宗
神光院
神光院001.jpg
関連旧跡 京都府京都市北区西賀茂神光院町。真言宗単立。
総神社
総神社-03.jpg
関連旧跡 京都府京都市北区紫竹西南町。御読経所の鎮守?
川上大神宮社 関連旧跡 京都府京都市北区西賀茂川上町。

組織

神主

  • 「神主」を長官とした。社務とも呼ばれた?
  • 歴代には諸説ある。歴代数は「賀茂神主補任誌」(ママ)による
  • 未見:賀茂県主同族会DB『賀茂禰宜神主系図』[1]
    • 賀茂禰宜神主系図[2]:古系図:1巻。鎌倉時代書写。室町時代初期ごろまで追記された。賀茂県主同族会所蔵。
    • 賀茂禰宜神主系図[3]:中古系図:2巻賀茂県主同族会所蔵。
    • 賀茂禰宜神主系図[4]:新古系図:13巻。1710年(宝永7年)の岡本清茂らが編纂。三手文庫に奉納。明治初年まで追記された。賀茂県主同族会所蔵。
  • 1賀茂在実(生没年不詳)<997->:997年(長徳3年)12月23日神主(異説あり)。在実を祖とするのは近世の「新古系図」以降のことという。「賀茂注進雑記」や「古系図」や「中古系図」によると958年(天徳2年)死去で、年代が合わない。1907年(明治40年)4月28日に賀茂在実卿900年祭。2007年(平成19年)11月17日、1000年祭。
  • 2賀茂安頼(?-1047)<1038->:新古系図によると1038年(長暦2年)神主。1047年(永承2年)死去。
  • 3賀茂成真()<1047->:「賀茂注進雑記」や「古系図」や「中古系図」によると初代神主。新古系図によると1047年(永承2年)の安頼の死去で神主となる。
  • 4
  • 5賀茂成助()<1051->:鳥居大路家の祖。1051年(永承6年)12月19日神主。
  • 6賀茂成経()<>:
  • 7賀茂成継()<>:
  • 8賀茂重助()<>:林家の祖。
  • 9賀茂
  • 10賀茂成平()<>:
  • 11賀茂
  • 12賀茂
  • 13賀茂保久()<>:
  • 14賀茂
  • 15賀茂保久()<>:
  • 16賀茂重忠()<>:
  • 17賀茂家平()<>:
  • 18賀茂
  • 19賀茂
  • 20賀茂資保()<>:
  • 21賀茂幸平()<>:
  • 22賀茂能久(1171−1223)<1214->:1171年(承安1年)生。1214年(建保2年)神主。後鳥羽上皇の近臣。大宰府に流罪。
  • 23賀茂重政(1142−1225)<1223->:歌人。1142年(康治1年)生。1223年(貞応2年)神主。1225年(嘉禄1年)死去。
  • 24賀茂惟平
  • 25賀茂
  • 26賀茂
  • 27賀茂能継()<>:
  • 28賀茂氏久(1211-1288)<1262->:後鳥羽天皇の落胤という。1211年(建暦1年)生。1262年(弘長2年)8月14日神主。1286年(弘安9年)3月16日神主再任。1288年(正応1年)9月6日死去。78歳。
  • 29賀茂
  • 30賀茂
  • 31賀茂氏久(1211-1288)<1286-1286>:再任
  • 32賀茂久世(生没年不詳)<1286->:1286年(弘安9年)12月神主。
  • 33賀茂経久(1252-1309)<1293->:1252年(建長4年)生。1293年(永仁1年)神主。1309年(延慶2年)死去。58歳。
  • 34賀茂遠久(生没年不詳)<>:松下家の祖。神主就任年不詳。
  • 35賀茂景久(生没年不詳)<>:神主就任年不詳。
  • 36賀茂久宗()<>:
  • 37賀茂忠久()<>:
  • 38賀茂久俊()<>:
  • 39賀茂基久(生没年不詳)<>:森家の祖。
  • 40賀茂能雄()<>:
  • 41賀茂信久()<>:
  • 42賀茂惟久()<>:
  • 43賀茂信久()<>:再任。
  • 44賀茂
  • 45賀茂基久()<>:再任。
  • 46賀茂
  • 47賀茂
  • 48賀茂員平()<>:
  • 49賀茂
  • 50賀茂久俊()<>:再任。
  • 51賀茂
  • 52賀茂員平()<>:再任。
  • 53賀茂雅久()<>:
  • 54賀茂
  • 55賀茂
  • 56賀茂
  • 57賀茂
  • 58賀茂
  • 59賀茂久俊()<>:再任。
  • 60賀茂雅久()<>:再任。
  • 61賀茂員平()<>:再任。
  • 62賀茂
  • 63賀茂敏久()<>:
  • 64賀茂
  • 65賀茂宗平()<>:
  • 66賀茂
  • 67賀茂
  • 68賀茂
  • 69賀茂
  • 70賀茂床久()<>:牀久
  • 71賀茂音平()<>:市家の祖。
  • 72賀茂脩久()<>:
  • 73賀茂
  • 74賀茂脩久()<>:再任。
  • 75賀茂
  • 76賀茂脩久()<>:再任。
  • 77賀茂豊久
  • 78賀茂
  • 79賀茂豊久()<>:再任。
  • 80賀茂
  • 81賀茂夏平()<>:
  • 82賀茂
  • 83賀茂脩久()<>:再任。
  • 84賀茂
  • 85賀茂広久()<>:
  • 86賀茂豊平()<>:
  • 87賀茂広久()<>:再任。
  • 88賀茂季久()<>:
  • 89賀茂
  • 90賀茂
  • 91賀茂
  • 92賀茂
  • 93賀茂増平()<>:
  • 94賀茂富久()<>:冨久。
  • 95賀茂夏久()<>:
  • 96賀茂脩平()<>:
  • 97賀茂秀久()<>:
  • 98賀茂益久()<>:
  • 99賀茂貞久()<>:
  • 100賀茂
  • 101賀茂
  • 102賀茂
  • 103賀茂遠平()<>:
  • 104賀茂敏平()<>:
  • 105賀茂
  • 106賀茂棟久()<>:
  • 107賀茂
  • 108賀茂
  • 109賀茂
  • 110賀茂継平()<>:
  • 111賀茂
  • 112賀茂保平()<>:
  • 113賀茂諸平()<>:
  • 114賀茂継平()<>:再任。
  • 115賀茂繁久()<>:
  • 116賀茂棟久()<>:再任。
  • 117賀茂諸平()<>:再任。
  • 118賀茂
  • 119賀茂泰久()<>:
  • 120賀茂友平()<>:
  • 121賀茂
  • 122賀茂
  • 123賀茂
  • 124賀茂明久()<>:
  • 125賀茂数久()<>:
  • 126賀茂嘉久()<>:
  • 127賀茂明久()<>:再任。
  • 128賀茂為平()<>:
  • 129賀茂明久()<>:再任。
  • 130賀茂賀久()<>:
  • 131賀茂明久()<>:再任。
  • 132賀茂尊久()<>:
  • 133賀茂規久()<>:
  • 134賀茂規久()<>:再任。
  • 135賀茂尊久()<>:再任。
  • 136賀茂基久()<>:
  • 137賀茂尊久()<>:再任。
  • 138賀茂基久()<>:再任。
  • 139賀茂尚久()<>:
  • 140賀茂以久()<>:
  • 141賀茂尚久()<>:再任。
  • 142賀茂以久()<>:再任。
  • 143賀茂用久(1599-1655)<1610->:1599年(慶長4年)生。1610年(慶長15年)2月18日神主。1628年(寛永5年)12月21日神主再任。1655年(明暦1年)8月27日死去。57歳。
  • 144賀茂高久()<>:矩久とも。
  • 145賀茂用久(1599-1655)<1628->:再任。
  • 146賀茂
  • 147賀茂
  • 148賀茂
  • 149賀茂
  • 150賀茂
  • 151賀茂誠平(1607-1667)<1665->:1607年(慶長12年)生。1665年(寛文5年)12月23日神主。1667年(寛文7年)閏2月25日死去。61歳。

社司家七家

  • 鳥居大路
  • 松下
  • 岡本
  • 梅辻
  • 富野

大宮司・宮司

  • 久我建通(1815-1903)<1872-?>:幕末朝廷で一時期実権を握った公武合体派の公卿。久我家34代当主。一条家の出身。一条忠良の子。久我通明の養子。1815年(文化12年)生。権大納言を経て、1822年(文政5年)侍従。1854年(安政1年)議奏。1862年(文久2年)1月、内大臣。朝廷と幕府との関係調整を主導し、公武合体を勧め、徳川家への和宮の降嫁に尽力。尊王派に「四奸」の一人とみなされ、辞職。出家。1867年(慶応3年)12月8日、赦免され還俗。1870年(明治3年)華族触頭。1871年(明治4年)12月2日から1872年(明治5年)3月25日まで「賀茂別雷神社賀茂御祖神社松尾神社貴船神社等御改革御用掛」(太政官日誌・太政類典)。1872年(明治5年)6月15日、賀茂別雷神社大宮司となり、賀茂御祖神社大宮司、松尾大社大宮司を兼務。6月18日、貴船神社宮司を兼務。7月22日、教導職権少教正。1873年(明治6年)3月4日、賀茂御祖神社大宮司・松尾大社大宮司・貴船神社宮司の兼務を解かれる。4月25日家督を久我通久に譲る(大宮司の辞職は認められず)。1874年(明治7年)3月20日、賀茂別雷神社の御用金盗難事件により進退伺を提出(8月8日、司法省罪なしと判断)。6月14日、教導職大教正(明治新史)。1876年(明治9年)1月12日、神道事務局第二部管長。1877年(明治10年)6月19日から1878年(明治11年)9月11日まで宮内省御用掛。同年の和宮の死去にあたっては中山忠能と嵯峨実愛と共に「祭祀を悠久に絶たさる御取扱」を願っている。1879年(明治12年)宸翰御用掛・文学御用掛。1882年(明治15年)9月25日、皇典講究所副総裁。1887年(明治20年)従一位。1897年(明治30年)英照皇太后葬祭斎主。1903年(明治36年)9月26日死去。89歳。四男北畠通城(1849-1888)が北畠の名を継ぎ男爵北畠家を起こし、霊山神社宮司となる。1875年(明治8年)久我環渓(永平寺61世)を猶子とする。
  • 六条有容(1814-1890)<?-1889>:六条家23代。六条有言の子。1851年(嘉永4年)12月、従三位。1855年(安政2年)1月正三位。1859年(安政6年)2月11日、参議。1858年(安政5年)3月12日、勤王八十八廷臣事件に加わる。1860年(万延1年)12月従二位。1862年(文久2年)5月11日、国事御用書記。閏8月5日議奏加勢。1863年(文久3年)4月27日、伊勢神宮の公卿勅使に任命され(柳原光愛と交代で)、5月4日に出発(7月4日に橋本実麗と交代の命)。12月27日、議奏。1864年(元治1年)4月9日、正親町三条実愛、阿野公誠、久世通誠と共に国事について意見書を各自提出。7月18日、山口藩退去の朝議の決定の伝達役を担う。24日、武家伝奏に山口藩征討の旨を伝える。9月17日、賀茂社奉幣のため派遣される。12月19日、正三位。1865年(慶応1年)4月4日、朝彦親王に公武合体を建議。6月11日、賀茂下上伝奏。1866年(慶応2年)1月、賀茂社の社家総代から物価高騰のため米下行の増額を請願される。3月、伊勢神宮に派遣。1867年(慶応3年)3月8日、神武天皇陵奉幣の勅使として出発。11日奉幣。13日帰京。4月16日議奏辞職。1871年(明治4年)12月2日、北野神社八坂神社等改革御用掛(太政官日誌。八坂神社報告書では8日)。大教正。1877年(明治10年)4月4日、第二部教導職事務。1880年(明治13年)6月以前に賀茂別雷神社宮司。1887年(明治20年)4月5日、賀茂別雷神社宮司を本務として賀茂御祖神社宮司と梨木神社宮司を兼務(官報。制度改正による再任と思われる)。賀茂別雷神社宮司と賀茂御祖神社宮司は1889年(明治22年)4月26日まで(官報)。1890年(明治23年)3月19日、死去。同日従一位(官報)。
  • 六条有煕(1861-1941)<1889-1890>:子爵。1861年(文久1年)生。1889年(明治22年)4月26日、賀茂別雷神社宮司を本務として賀茂御祖神社宮司を兼務。1890年(明治23年)7月17日、両社宮司退任。1924年(大正13年)10月15日隠居。1941年(昭和16年)3月14日死去。
  • 伏原宣足(1845-1930)<1890-1891>:子爵。伏原宣諭の長男。1845年(弘化2年)生。1876年(明治9年)10月家督相続。1870年(明治3年)侍従。式部寮出仕、掌典補などを歴任。1882年(明治15年)12月26日太政官六等属。1884年(明治17年)子爵。1885年(明治18年)7月9日五等属。同年12月25日官制改革のため非職。1888年(明治21年)12月24日非職満期。1890年(明治23年)、賀茂別雷神社宮司となり賀茂御祖神社宮司を兼務。1891年(明治24年)退任。1893年(明治26年)貴族院議員。1930年(昭和5年)2月19日死去(官報)。86歳。

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  • 多村知興(?-1916)<1898-1916>:東京出身。1874年(明治7年)10月31日、吉田神社権宮司。中講義[5]。権宮司廃止につき1877年(明治10年)12月18日、吉田神社禰宜。権大講義[6]。1883年(明治16年)3月24日、吉田神社宮司。1884年(明治17年)10月14日、熊野坐神社宮司[7]。1885年(明治18年)4月28日、伊太祁曽神社宮司[8]。1896年(明治29年)3月21日、大和神社宮司。1898年(明治31年)10月19日、賀茂別雷神社宮司。1916年(大正5年)9月9日、在職で死去[9]。同日正五位。著書『賀茂別雷神社御由緒略記』。田村知興?
  • 青木陳実(1854-1918)<1916-1918>:1916年(大正5年)10月2日、賀茂別雷神社宮司。1918年(大正7年)6月3日在職で死去。4日正五位。(略歴は宮崎神宮#組織を参照)
  • 木野戸勝隆(1854-1929)<1918-1929>:国学者。1918年(大正7年)7月8日、賀茂別雷神社宮司。1929年(昭和4年)3月5日退職。同年11月13日死去。(略歴は伊勢神宮#組織を参照)
  • 桑原芳樹(1861-1943)<1929-1930>:1929年(昭和4年)3月5日、賀茂別雷神社宮司。1930年(昭和5年)11月、熱田神宮宮司。(略歴は、熱田神宮#組織を参照)
  • 山田新一郎(1864-1946)<1934-1936>:1934年(昭和9年)4月11日から1936年(昭和11年)12月19日まで賀茂別雷神社宮司。(略歴は、北野天満宮#組織を参照)
  • 矢野豁(1881-1945)<1936-1945>:愛媛県出身の神職。1936年(昭和11年)12月19日賀茂別雷神社宮司。1945年(昭和20年)7月7日在職で死去。(略歴は、玉前神社#組織を参照)
  • 阪本広太郎(1880-1946)<1945-1946>:奈良県桜井出身。1880年(明治13年)生。柳坊全香の次男。1905年(明治38年)神宮皇学館本科卒。1908年(明治41年)東京帝国大学国史学科専科卒。同年東京帝国大学史料編纂官補。1913年(大正2年)9月23日、神宮皇学館教授。1922年(大正11年)神宮禰宜・儀式課長。1924年(大正13年)神宮神部署署長。1934年(昭和9年)臨時神宮施設調査会幹事。同年、神社局考証課長。同年、神社制度調査会幹事。1940年(昭和15年)神祇院考証課長兼祭務課長。1945年(昭和20年)7月30日、賀茂別雷神社宮司。1946年(昭和21年)1月1日死去。主著『神宮祭祀概説』。
  • 松平静(1876-1971)<1946-1948>:1946年(昭和21年)6月30日から1948年(昭和23年)6月28日まで賀茂別雷神社宮司。(略歴は、北野天満宮#組織を参照)
  • 座田司氏(1885-1962)<1954-1962>:神社本庁神祇部長。神奈川県神社庁長。1954年(昭和29年)1月30日賀茂別雷神社宮司。1962年(昭和37年)5月27日、在職で死去。78歳。(略歴は、鶴岡八幡宮#組織を参照)
  • 井出岩多()<1969-1976>:1963年(昭和38年)権宮司。1969年(昭和44年)3月17日宮司。1976年(昭和51年)9月30日免職。
  • 阿部信(1905-2011)<1976-1995>:福島稲荷神社宮司。国学院大学高等師範部卒。1936年(昭和11年)福島稲荷神社社司。福島県祭務官補。地方祭務官。1966年(昭和41年)神社本庁事務副総長。1976年(昭和51年)11月2日から1995年(平成7年)10月31日まで賀茂別雷神社宮司。1981年(昭和56年)神社本庁長老。2011年(平成23年)死去。
  • 203建内光儀(1934-)<1995-2003>:石清水八幡宮白峰神宮を経て1982年(昭和57年)神社本庁参事。調査部部長、教学部長、秘書部長、本宗奉賛部長を歴任。1990年(平成2年)賀茂別雷神社権宮司。1995年(平成7年)11月1日から2003年(平成15年)8月27日まで賀茂別雷神社宮司。
  • 204田中安比呂(1942-)<2003->:伊勢神宮少宮司田中喜芳の四男。1942年(昭和17年)生。1965年(昭和40年)、国学院大学専攻科卒。同年明治神宮に奉職。1997年(平成9年)4月、明治神宮権宮司。2003年(平成15年)8月28日から賀茂別雷神社宮司。京都古文化保存協会理事長、国学院大学評議員、全国賀茂社連合理事長、神社本庁参与。

少宮司・権宮司

  • 岡本経春(1819-1880)<?-1873>:賀茂別雷神社少宮司兼大講義。1873年(明治6年)3月4日、賀茂御祖神社大宮司兼権少教正。(略歴は賀茂御祖神社#組織を参照)
  • 鳥居亮信(1836-1906?)<1873-1874>:1873年(明治6年)3月28日から1874年(明治7年)4月12日まで賀茂別雷神社少宮司。(略歴は八坂神社#組織を参照)
  • 加藤桜老(1811-1884)<1874-1875>:山口藩明倫館の儒学者。笠間藩出身。1811年(文化8年)生。会沢正志斎、藤田東湖に学ぶ。1851年(嘉永4年)隠居し、尊王運動に関与し、高杉晋作らと交わる。1863年(文久3年)山口藩明倫館教授。1869年(明治2年)1月、漢学所御用掛。1872年(明治5年)6月、安房神社少宮司兼教導職大講義。1874年(明治7年)2月、湊川神社権宮司となるが、赴任せず。5月、賀茂別雷神社少宮司。1875年(明治8年)2月、少宮司辞職し、教導職に専任。同月、教部省出仕。1880年(明治13年)10月、東京に学神社(礫川神社)を創建。1884年(明治17年)11月12日死去。74歳。墓所は谷中霊園
  • 山根愨輔()<1876-1977>:1876年(明治9年)10月18日、賀茂別雷神社少宮司。1877年(明治10年)12月8日、制度改正で少宮司廃官。12日、賀茂別雷神社禰宜。のち橿原神宮初代宮司。山根温知。(略歴は、橿原神宮#組織を参照)
  • 小野寺五十橿(1908-1987)<1948-1948>:栃木県出身。1908年(明治41年)生。1927年(昭和2年)京都国学院卒。賀茂別雷神社奉職。1946年(昭和21年)貴船神社宮司。1948年(昭和23年)権宮司。同年退任。1961年(昭和36年)日光鹿島神社宮司。1987年(昭和62年)11月5日死去。79歳。(略歴は、貴船神社#組織を参照)
  • 山田武二()<1954-1954>:1954年(昭和29年)権宮司。同年退任。
  • 井出岩多()<1963-1969>:宮司。1963年(昭和38年)権宮司。
  • 竹原貞三()<1981-1989>:1981年(昭和56年)から1989年(平成1年)まで権宮司。
  • 建内光儀(1934-)<1990-1995>:宮司。1990年(平成2年)から1995年(平成7年)まで権宮司。
  • 今井守()<2006-2021>:2006年(平成18年)から2021年(令和3年)9月30日まで権宮司。

画像

資料

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