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近江・総見寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月15日 (火)
総見寺(そうけんじ)は、滋賀県近江八幡市安土町(近江国蒲生郡)の安土城跡にある織田信長ゆかりの臨済宗寺院。本尊は十一面観音。臨済宗妙心寺派。摠見寺とも。山号は遠景山。(参考:同名寺院総見院)歴史
天正年間、織田信長が創建。ルイス・フロイスの『日本史』によると信長は自らを神のように崇めるための寺院として創建したというが不詳。 天主と城下町をつなぐ百々橋口道の途中に位置した。
開山は織田家一族の正仲剛可。1582年(天正10年)元旦、信長に出仕する大勢の家臣が総見寺に集まったため、石垣が崩れ、死者が出たという記録があり、この時までには創建されていた。当初は仏殿・書院・庫裏・仁王門・三重塔・熱田社などがあったという。これらの堂宇は近江国各地から移築したもの。 旧本堂は密教式の本堂だった。 本堂の前方両脇に三重塔と鐘楼を配する配置も中世密教寺院の形式という。 三重塔は元は近江・長寿寺にあったもので1454年(享徳3年)建立のもの。1555年(弘治1年)に修理された。 仁王門は1571年(元亀2年)建立の墨書があり元は甲賀郡にあったという。仁王像はさらに古く1467年(応仁1年)のもの。
同年の「本能寺の変」直後の火災で安土城の天主や本丸は焼失したが総見寺は被災を免れた。1583年(天正11年)2月、安土城二の丸に信長の廟が設けられ、総見寺が管理することになった。
1604年(慶長9年)、豊臣秀頼が三重塔、熱田社を修理。書院・庫裏など増築。
1617年(元和3年)には徳川秀忠から朱印地227石が認められた。 1617年(元和3年)、信長の甥の雪庭寿珪が2世となり、以後、織田家ゆかりの僧侶が住職を務めた。
1854年(安政1年)11月16日の大火で楼門と三重塔を残して焼失。 1932年(昭和7年)、徳川家康邸跡に仮本堂を建立。 1994年(平成6年)に発掘調査。
(日本歴史地名大系ほか)