ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

金崎宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月24日 (火)

移動: 案内, 検索
金崎宮
かねがざさ ぐう
Kanegasaki-gu 001.jpg
概要 尊良親王、恒良親王の霊廟。
奉斎 尊良親王、恒良親王
(土岐昌訓論文)
所在地 福井県敦賀市金ヶ崎町1-1
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 官幣中社別表神社
関連記事 皇族奉斎神社南朝皇族奉斎神社


金崎宮(かねがさき・ぐう)は、福井県敦賀市にある、後醍醐天皇の皇子2人尊良親王(1311-1337)と恒良親王(1324?-1338)を祀る霊社。南北朝の争乱の激戦地である金ケ崎城跡にある。境内には摂社絹掛神社、末社朝倉神社尊良親王御陵墓見込地などがある。官幣中社別表神社

目次

歴史

金崎宮・展望・敦賀郡誌.JPG
  • 1337年3月6日:尊良親王、金崎城で戦死。
  • 1338年頃:恒良親王、拘禁された京都で毒殺。
  • 1871年4月:気比神宮、戸籍掛役所宛で、尊良親王を祀る神社の創建を請願。(敦賀郷土史談)
  • 1873年:経塚発見(敦賀郷土史談)。安政年間とも。
  • 1876年6月:教部省の子安信成と浜田男麻呂が陵墓調査のために訪れ、気比神宮の打它彦次郎の案内で金崎城跡を探索。経塚を調査し、墓所とおおむね認めた。(敦賀郷土史談)
  • 1876年10月:「尊良親王御陵墓見込地」碑建立。
  • 1878年8月21日:片山政治郎、大和田荘兵衛ら有志が「金崎城趾碑」を建立[1]
  • 1880年5月15-16日:金崎城趾碑で大祭を行い、両親王、殉難将士を慰霊。(敦賀郷土史談)
  • 1886年:敦賀郡長に鹿児島藩士の吉井常也が赴任。親交ある宮内大臣芳川顕正に神社創建を直接話したという。(敦賀郷土史談)
  • 1888年10月27日:大舘藤島神社宮司、尊良親王御社の創建を請願。(敦賀郷土史談)
  • 1889年5月28日:吉野山に後醍醐天皇と尊良親王を祀る官幣中社の創建について閣議に付される[2]。吉野神宮として創立許可が出るが親王の御社については別に建てることとされる。
  • 1890年(明治23年)6月8日:敦賀郡長吉井常也と有志15人が連署して神社創建を請願。(敦賀郷土史談)
  • 1890年(明治23年)8月12日:内務省から政府、尊良親王御社について社格、社号、建設費支出について請願[3]
  • 1890年(明治23年)9月12日:尊良親王の御社を創立許可。金崎宮と命名。官幣中社に列格する[4]。(内務省告示第33号)
  • 1890年(明治23年)12月:地鎮祭。(案内記)
  • 1892年(明治25年)11月17日:恒良親王を合祀。[5]。(内務省告示第47号)
  • 1893年(明治26年)5月5日:勅使参向の下で鎮座祭を執行。6、7日に奉祝祭を行い、以後5月6日を例祭とした。この時の本殿は、「明神造」(不詳)で、現本殿背後の山上にあった(案内記)。
  • 1893年(明治26年)10月20日:御舟遊神幸祭、始まる。
  • 1894年1月:随身後裔有志、摂社創建を請願。
  • 1895年7月:豪雨河川氾濫。山崩れで神饌所社務所など転倒。(案内記)
  • 1897年(明治30年)4月:摂社絹掛神社、創建許可。
  • 1897年(明治30年)10月19日:摂社絹掛神社を創建。藤原行房、新田義顕、気比氏治、気比斎晴、瓜生保、瓜生義鑑、里見時成、里見義氏、由良具滋、長浜顕寛、武田与一などの将兵を合祀した。
  • 1903年(明治36年)3月28日:大火で焼失。住宅150軒焼失。御霊代は一時社務所に遷座したがそこも危険になったので気比神宮正殿に遷座した。(案内記)
  • 1903年(明治36年)4月23日:焼け残った摂社絹掛神社を仮殿として遷座。(案内記)
  • 1903年(明治36年)5月:再建を申請。(案内記)
  • 1905年4月:内務省、1万9647円を支出。(案内記)
  • 1905年5月1日:起工。(案内記)
  • 1906年(明治39年)3月31日:竣工。「大鳥居右側の山岳を切り取り、社務所前の凹地を充填し拝殿社務所祭器庫手水舎摂社等を前面又は左右に移転し、従来の拝殿敷地跡に正殿を造営した」という。(案内記)
  • 1906年(明治39年)4月5日:正遷座祭。摂社の遷座祭も同時。6月7日臨時大祭。(案内記)
  • 1909年8月:宮司井上真平、福井県を通じて内務省に絹掛神社祭神のうち15柱に贈位を申請。[6]
  • 1909年:古墳発掘。石碑移設。
  • 1909年:皇太子(大正天皇)北陸行啓の際に参拝。

境内

組織

宮司

  • 1大和田荘兵衛(1831-1891)<1890-1891>:豪商。1887年7月、気比神社宮司。1890年、金崎宮宮司を兼務。1891年1月死去。『大和田日記』。
  • 2今井清彦(1857-1922)<1892-?>:本務は気比神宮宮司(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 井上真平()<>:1909
  • 藪重吉(1878-?)<1912-?>:大阪府出身の神職。1894年(明治27年)神宮皇学館卒。1912年(大正1年)4月20日、金崎宮宮司。
  • 伊藤真広()<?-1915>:1915年2月17日、結城神社宮司。
  • 須田直太郎()<1915-?>:熊野座神社宮司を経て1915年2月17日、金崎宮宮司。
  • 菅井治

画像

建武中興十五社
社号 祭神
吉野神宮 後醍醐天皇
鎌倉宮 護良親王
井伊谷宮 宗良親王
八代宮 懐良親王
(配)良成親王
金崎宮 尊良親王
恒良親王
小御門神社 花山院師賢
菊池神社 菊池武時
菊池武重
菊池武光
(配)菊池武政他
湊川神社 楠木正成
(配)楠木正行他
名和神社 名和長年
(配)名和長重他
阿部野神社 北畠親房
北畠顕家
藤島神社 新田義貞
(配)新田義宗他
結城神社 結城宗広
(配)結城親光他
霊山神社 北畠親房
北畠顕家
北畠顕信
北畠守親
四條畷神社 楠木正行
(配)楠木正時他
北畠神社 北畠顕能
(配)北畠親房
(配)北畠顕家

資料

  • 松尾忠吉1893『官幣中社金崎宮御略伝』[7]
  • 山本元1902『敦賀の沿革・敦賀名所記』[8]
  • 石塚資雄1909『金崎宮参拝案内記』[9]
  • 山本元1935『敦賀郷土史談』[10]
  • 『敦賀郡誌』「金崎宮」[11]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%87%91%E5%B4%8E%E5%AE%AE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール