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鑁阿寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月4日 (日)
鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市家富町にある足利家ゆかりの真言宗寺院。足利家の邸宅が寺院化したもの。大日如来を祀る本堂を大御堂と呼ぶ。真言宗大日派本山。仁王院、法華坊。堀内大御堂。山号は金剛山。(参考:同名寺院大御堂) 足利学校に近い。
目次 |
歴史
- 1196年(建久7年):足利義兼が持仏堂を創建。
- 1234年(文暦1年)頃:再建。
- 1287年(弘安10年):雷で焼失。
- 1299年(正安1年):現在に残る本堂を再建。
- 1314年(正和3年):花園天皇の勅願寺となる。
- 1376年(永和2年):後円融天皇の勅願寺。
- 1591年(天正19年):徳川家康から朱印地60石。
- 1692年(元禄5年):桂昌院、多宝塔を修復。
- 1742年(寛保2年):幕府から御白書院独礼の待遇を認められる。
- 1951年(昭和26年):真言宗豊山派から離脱して真言宗大日派を設立。
(『日本歴史地名大系』)
境内
- 本堂:本尊は胎蔵界大日如来。空海、覚鑁、足利義兼や廃絶した子院の本尊も祀る。通称は大御堂。現在の堂は足利貞氏が1299年再建したもの。
- 東堂:廃絶
- 西堂:廃絶
- 護摩堂:中御堂。不動明王を祀る。
- 多宝塔:本尊は金剛界大日如来と勢至菩薩。1692年(元禄5年)、桂昌院が再建。
- 鐘楼:
- 経蔵:1407年、足利満兼が再建。
- 御霊屋:赤御堂。明治に旧足利神社の社殿に足利歴代の像を祀った。
- 源義国墓:御霊屋の後ろにある。
- 足利義康墓:御霊屋の後ろにある。
- 蛭子堂:智願寺殿御霊屋。足利義兼妻の北条時子の霊廟。
- 山門:将軍足利義輝が再建。
- 大酉堂:元は足利尊氏を祀っていた。
- 大黒堂:
- 出世稲荷:
- 足利神社:鎮守社。足利大権現。神仏分離で廃絶。社殿は御霊屋(赤御堂)となる。
子院
十二子院があった。足利義氏が創建。半分ずつ、古義派、新義派に属したという。
- 千手院:西側。学頭
- 東光院:東側。
- 普賢院:東側。
- 不動院:東側。
- 六字院:東側。
- 浄土院:北側。足利義国の像と骨を奉安していたが、御霊屋に遷座した。
- 宝珠院:北側。
- 威徳院:北側。
- 延命院:北側。
- 金剛乗院:西側。
- 龍福院:西側。
- 安養院:西側。
組織
歴代住職
南北朝時代以降、鶴岡八幡宮寺別当が樺崎寺と共に兼務したともいうが不詳。
- 1理真朗安(?-1196)<1189-1196>:元は伊豆山の僧侶という。樺崎寺開山。
- 2隆験()<1196-1202>:樺崎寺住職。法円房。
- 3重禅()<1202-1226>:樺崎寺住職。証明房。
- 4重弘()<1226->:樺崎寺住職。熱田神宮大宮司藤原朝季(鷹司禅門)の子?熱田弁僧都。
- 5了心()<>:
- 6明仏()<>:
- 7観盛()<>:
- 8源助()<>:樺崎寺住職。足利義氏の子。
- 9慶弘()<>:
- 10性尊()<>:
- 11頼仲()<1334->:鶴岡八幡宮寺別当。仁木大僧正。
- 12明範()<>:足利尊氏の叔父。
- 13栄済()<>:
- 14宥俊()<>:
- 15宥雅()<>:
- 16宥海()<>:
- 17明鑁()<>:
- 18良瑜()<>:
- 19宗瑜()<>:
- 20良盛()<>:
- 21盛範()<>:徳川家康から朱印地60石寄進。
- 22空道()<>:
- 23範誉()<>:
- 24重誉()<>:
- 25精矩()<>:渋川茂綱の子。
- 26盛義()<>:
- 27清雄()<>:
- 28歓補()<>:
- 29盛伝()<>:
- 30盛真()<>:
- 31義貞()<>:
- 32満慶()<>:
- 33本秀()<>:
- 34歓澄()<>:
- 35空覚()<>:
- 36歓證()<>:
- 37恵眼()<>:
- 38音澄()<>:
- 39来昌()<>:
- 40来男()<>:
- 41山越忍禅()<>:
- 42山越忍空(1873-1934)<>:
- 43山越忍済()<>:
- 44山越仁也(-2008)<-2008>:
- 45山越忍隆()<2008->:
(忍空まで『足利庄鑁阿寺』[1])
資料
古典籍・記録
書籍
- 1899『鑁阿寺小史』[4]
- 1912『足利庄鑁阿寺』[5]
- 永島福太郎1937「足利鑁阿寺の富興行ー資料紹介」
- 前沢輝政1965「下野国鑁阿寺の仏舎利について」
- 1972「足利鑁阿寺文書について」
- 1972『栃木県史』「鑁阿寺」[6]
- 佐藤博信1976「鑁阿寺文書の再検討ー古河公方研究のために」[7]
- 佐藤博信1982「鑁阿寺文書覚書」
- 佐藤博信1990「鑁阿寺文書伝来考証」
- 小此木輝之1976「足利鑁阿寺寺名考ーとくに高野山僧鑁阿と鑁阿寺の草創をめぐって」
- 小此木輝之2002「足利鑁阿寺をめぐる諸問題」『中世寺院と関東武士』
- 山本隆志2011「東国における武士と法会・祭礼との関係ー足利鑁阿寺・宇都宮神宮寺の一切経会を中心に」
- 2012「鑁阿寺本堂の部材の年代判定について」『日本建築学会計画系論文集』77 (678)[8]
- 中田愛2012「中世鑁阿寺の寺領経営」
- 中田愛2014「中世の鑁阿寺と樺崎寺ー「鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第」 を通して」
- 中田愛2017「中世後期の雪下殿と鑁阿寺」
- 中田愛2018「戦国期の鑁阿寺領経営」