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隠元旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年3月10日 (木)
(隠元隆琦から転送)
隠元(いんげん)(1592-1673)は、日本臨済宗の一派である黄檗宗の開祖。明の福州出身。林氏。普陀山で出家。福州万福寺の費隠通容の法を継ぎ、住職となる。住職退任直後、明は滅亡。長崎・興福寺の逸然性融(明の出身)の招きにより来日。事実上日本に亡命し、宇治・万福寺を創建する。明代の臨済宗を日本に伝え、新たな一派となった。隠元隆琦。大光普照国師。仏慈広鑑国師。
目次 |
年譜
年譜
- 1592年(文禄1年)11月4日:福建省福州府福清県万安郷霊得里で誕生。俗名は林曽炳。父は林徳龍。
- 1614年(慶長19年):普陀山巡礼。出家を志す。
- 1620年(元和6年)2月19日:福州万福寺で鑑源興寿のもとで出家。
- 1620年(元和6年)冬:海口瑞峰寺で『楞厳経』の講義を聞く。
- 1621年(元和7年):紹興の雲門山顕聖寺に滞在し、湛然円澄の涅槃経の説法を聞く。
- 1622年(元和8年)春:嘉興の興善寺で法華経を聞く。
- 1623年(元和9年):浙江省碧雲寺で楞厳経を聞く。
- 1626年(寛永3年)冬:金栗寺(金栗山広慧寺)で大悟。
- 1630年(寛永7年)3月27日:密雲円悟に従い万福寺に戻る。
- 1631年(寛永8年):獅子巌に住す。
- 1633年(寛永10年)10月15日:費隠通容に請われて万福寺西堂となる。
- 1637年(寛永14年)10月1日:万福寺住職。
- 1641年(寛永18年):羅山棲隠寺、曹山、泉州・開元寺、延福寺、平山寺を歴訪し夏に万福寺に戻る。
- 1642年(寛永19年)7月:師の密雲円悟が天台山通玄寺で死去。
- 1642年(寛永19年):『隠元禅師語録』刊行。
- 1644年(正保1年)春:福清万安の福善堂に赴く。
- 1644年(正保1年)3月:万福寺退任。
- 1644年(正保1年)5月:天童寺に赴き密雲円悟墓を参拝。
- 1644年(正保1年)10月17日:浙江省嘉興府崇徳県の福厳寺に晋山。
- 1645年(正保2年)3月22日:福州府長楽県の龍泉寺に晋山。
- 1646年(正保3年)1月25日:万福寺再任。
- 1646年(正保3年):明朝滅亡。
- 1650年(慶安3年):木庵性〓に嗣法。
- 1652年(承応1年)4月6日:長崎の逸然性融、隠元に第一回の招請状(請啓)を送る。7月6日返信。
- 1652年(承応1年)8月27日:逸然性融、隠元に第二回の招請状を送る。この手紙は海賊に奪われ届かなかった。
- 1653年(承応2年)5月20日:隠元、第三回の逸然の招請状への返信を送る。
- 1653年(承応2年)11月3日:逸然性融 、隠元に第四請啓を送る。12月1日に隠元が来日の返書を送る。
- 1654年(承応3年)5月10日:万福寺で辞衆上堂。即日出発。資福寺宿泊。鳳山永福寺に5日間滞在。
- 1654年(承応3年)5月20日:泉州開元寺に滞在。
- 1654年(承応3年)6月3日:厦門に到着。仙巌に滞在。
- 1654年(承応3年)6月21日:出港。
- 1654年(承応3年)7月6日:隠元、長崎・興福寺で祝国開堂。
- 1654年(承応3年)10月15日:隠元、興福寺で結制。翌年1月15日まで。
- 1655年(明暦1年)2月:興福寺山門を建てる。
- 1655年(明暦1年)5月22日:長崎・崇福寺住職。
- 1655年(明暦1年)7月7日:竺印祖門から摂津・普門寺に招かれる。
- 1655年(明暦1年)8月9日:興福寺を出発。
- 1655年(明暦1年)8月14~16日:開善寺、福聚寺に滞在。瀬戸内海で広島正法寺に滞在。
- 1655年(明暦1年)9月5日:大坂川口に到着。
- 1655年(明暦1年)9月6日、普門寺に到着。
- 1655年(明暦1年)11月4日:普門寺で開堂演法する。
- 1656年(明暦2年)10月:京都の妙心寺、南禅寺、東福寺など訪問。
- 1657年(明暦3年)7月9日:幕府、普門寺に月俸を授ける。
- 1658年(万治1年)9月6日:江戸へ出発。18日到着。江戸天沢寺(麟祥院)に滞在する。
- 1658年(万治1年):養源寺の本尊釈迦如来を開眼。新宿長安寺で酒井忠勝に招かれ説法。海福寺の開山に招かれる。
- 1658年(万治1年)11月1日:将軍徳川家綱に謁見。28日出発。
- 1658年(万治1年)12月14日:隠元、普門寺に戻る。
- 1659年(万治2年)1月:京都に赴き、直指庵、西芳寺、天龍寺、神護寺、愛宕神社、清凉寺をめぐる。
- 1659年(万治2年)2月:宇治に赴き、宇治・興聖寺、平等院をめぐる。
- 1659年(万治2年)5月:大老酒井忠勝、隠元に書を送り日本在留を求める。
- 1659年(万治2年)6月18日:隠元、寺院創建の報。
- 1659年(万治2年)11月:場所が宇治と決定。
- 1660年(万治3年):木庵性〓、普門寺で隠元にあう。
- 1660年(万治3年)12月18日:新寺を黄檗山万福禅寺と命名。
- 1661年(寛文1年)5月8日:宇治・万福寺を開創。
- 1661年(寛文1年)閏8月29日:隠元、万福寺に晋山。
- 1661年(寛文1年):兄弟子で印可を受けた費隠通容が死去。
- 1662年(寛文2年):万福寺法堂を造営。
- 1663年(寛文3年)1月15日:万福寺に祝国開堂。
- 1663年(寛文3年)5月:石山寺訪問。琵琶湖で放生会。
- 1663年(寛文3年)8月:禅堂が上棟。
- 1663年(寛文3年)11月:范道生、隠元の寿像を造立。
- 1663年(寛文3年)12月:第一会黄檗三壇戒会を開く。
- 1664年(寛文4年)1月:龍渓性潜に嗣法。
- 1664年(寛文4年)4月:後水尾法皇、龍渓を召して隠元の教えを聞く。
- 1664年(寛文4年)9月4日:隠元、松隠堂に隠退。木庵性〓に譲る。
- 1665年(寛文5年)4月:後水尾法皇、隠元に香などを下賜。
- 1665年(寛文5年)5月:太秦広隆寺で仏舎利と聖徳太子像を拝する。直指庵に宿泊。
- 1665年(寛文5年)9月:仏日寺に赴く。
- 1666年(寛文6年)6月:後水尾法皇、仏舎利と舎利塔を下賜。
- 1667年(寛文7年)春:東大寺、興福寺、春日大社、西大寺、唐招提寺、薬師寺をめぐる。
- 1667年(寛文7年)11月7日:龍渓、後水尾法皇(円浄道覚)に嗣法。
- 1668年(寛文8年)12月:万福寺落慶。
- 1671年(寛文11年)11月4日:八十賀
- 1672年(寛文12年):泉涌寺、戒光寺を巡拝。
- 1673年(延宝1年)2月:後水尾法皇、隠元に錦織大悲像と香木を下賜。
- 1673年(延宝1年)4月2日:後水尾法皇、国師号「大光普照国師」下賜。
- 1673年(延宝1年)4月3日:死去。82歳。
死後
- 1722年(享保7年)3月13日:霊元上皇、国師号「仏慈広鑑国師」下賜。
- 1722年(享保7年)4月3日:隠元50回忌
- 1772年(安永1年)3月13日:後桃園天皇、国師号「径山首出国師」下賜。
- 1772年(安永1年):隠元100年遠忌。
- 1822年(文政5年)3月13日:仁孝天皇、国師号「覚性円明国師」下賜。
- 1822年(文政5年)4月:隠元150年遠忌。
- 1872年(明治5年):隠元200年遠忌。
- 1917年(大正6年)3月7日:大正天皇、大師号「真空大師」下賜(佐野恵作『皇室と寺院』)。
- 1922年(大正11年):隠元250年遠忌。
- 1972年(昭和47年)3月27日:昭和天皇、大師号「華光大師」下賜。
- 1972年(昭和47年):隠元300年遠忌。
- 2022年(令和4年)2月25日:令和の天皇、大師号「厳統大師」下賜。
- 2022年(令和4年)4月3日:隠元350年遠忌