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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

霊仙寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年11月5日 (火)

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霊仙寺(りょうせんじ)は、福岡県田川郡添田町(豊前国田川郡)の英彦山にあった天台修験本山級寺院。本尊は釈迦如来。(参考:同名寺院霊山寺

組織

歴代座主(古代)

  • 善正:開山。
  • 忍辱:2世。藤原恒雄
  • 木練()<>:阿蘇山
  • 蔵慶()<>:建暦年間(1211-1213)に博多・善導寺を創建。

歴代座主(中世~近世)

歴代の名は華族編入の際に政府に提出された「英彦山高千穂家系」[1]に基づくが、実際のところ、13世連忠のあたりまでの経歴はよく分からない。6世有厳の史料に現れる年代が特に不自然。有謙は就任前に早世したのでここでは含めていない。また「家系」には昌千代は含まれていないが、座主を称していたので含めた。経歴は広渡正利『英彦山信仰史の研究』を参考にした。(未見『彦山修験伝法嗣法譜』[2]、『彦山修験伝法血脈譜』[3]

世数 生没年 在職年 略歴
1 助有法親王 1320-1349 1333-1349 後伏見天皇第六皇子と伝える。円満院門跡園城寺長吏を務めた長助法親王とみなされるが実際は違うとみられる。室は宇都宮信勝の娘。1333年(元弘3年/正慶2年)12月、黒川院に入り座主となる。以後、世襲。1349年(正平4年/貞和5年)10月14日死去。
2 浄有 生没年不詳 助有の子。室は一条経通の娘。正平年間(1346-1370)に在職か。
3 有忠 ?-1413 ?-1413 浄有の子。室は今出川公直の娘。1413年(応永20年)9月21日死去。
4 有俊 生没年不詳 1414-1421- 有忠の子。室は一条兼良の娘。1414年(応永21年)5月8日就任。「有俊」の名がある1421年(応永28年)の高木神社棟札がある。
5 有依 生没年不詳 有俊の子。室は勧修寺経豊の娘。
6 有厳 生没年不詳 ?-1503-? 有依の弟。室は高辻長則の娘。1503年(文亀3年)在職??
7 頼有 生没年不詳 ?-1468-? 有厳の子。室は花山院持忠の娘。1468年(応仁2年)、黒川院藤原俊幸と名乗って朝鮮に修好を求めている。
8 堯有 生没年不詳 頼有の子。室は久我通尚の娘。
9 興有 生没年不詳 堯有の子。早世。黒川に墓。
10 有胤 生没年不詳 柳原量光の次男。室は堯有の娘。
11 有信 生没年不詳 ?-1520-? 有胤の子。室は大蔵種資の娘。1520年(永正17年)在職。
12 連有 生没年不詳 ?-1544-? 有信の子。室は福井弾正の娘。1544年(天文13年)在職。
13 連忠 ?-1569 ?-1569 連有の子。室は宇都宮奥房の娘。1569年(永禄12年)3月、大友家に対し佐田岳で挙兵。5月7日死去。
14 舜有 ?-1587 1569-1587 連忠の弟(蓮有の弟とも)。室は坂本随鴎の娘。1569年(永禄12年)8月1日就任。黒川院に住んだ最後の座主。黒川に墓2所。1587年(天正15年)6月5日死去。
昌千代 生没年不詳 1587-? 舜有の孫娘。女性座主。歴代に数えないことが多い。
15 忠有 ?-1626 1601-1626 日野輝資の次男。室は秋月種長の娘(舜有の外孫)。元は相国寺の僧で玄賀と称した。1601年(慶長6年)4月22日就任決定。9月15日入山。1626年(寛永3年)8月6日死去。
16 有清 ?-1653 1626-? 久我晴道の子。岩倉具堯の猶子。室は忠有の娘。1626年(寛永3年)就任。1653年(承応2年)2月18日死去(1654年(承応3年)とも)。有憲?
17 亮有 1629-1674 1653-1674 有清の長男。室は花山院安好の娘。1653年(承応2年)3月就任。1674年(延宝2年)4月27日死去。霊鷲院と号す。
18 広有 1652-1679 1674-1679 亮有の長男。1674年(延宝2年)6月1日就任。1675年(延宝3年)4月29日参内。1679年(延宝7年)1月28日、江戸で死去。
19 相有 1654-1714 1679-? 英彦山中興。亮有の次男。室は清閑寺照房の娘。1679年(延宝7年)4月就任。1694年(元禄7年)、英彦山は聖護院配下ではないと幕府に訴える。1706年(宝永3年)退任。1714年(正徳4年)12月28日死去。詩歌を得意とし、文人と交わった。厳王院と号す。
20 保有 1685-1743 1706-? 相有の子。室は堀川康綱の娘。1706年(宝永3年)就任。1711年(正徳1年)、病気で退任。1743年(寛保3年)10月16日死去。
21 有誉 1687-1765 1711-1755 相有の次男。最初は桜井主馬と称す。室は綾小路有胤の娘。1711年(正徳1年)12月就任。1728年(享保13年)参内して霊元法皇に謁見。1755年(宝暦5年)退職。1765年(明和2年)9月21日死去。
22 孝有 ?-1772 1755-1772 有誉の子。室は清閑寺秀忠の娘。1755年(宝暦5年)就任。1772年(安永1年)7月18日死去。
23 韶有 1755-1773 1772-1773 中山愛親の次男。花山院常雅の猶子となる。1768年(明和5年)、男子なき孝有の養子に入る。1772年(安永1年)7月就任。1773年(安永2年)6月19日死去。早世。
24 妙有 1759-1811 1774-1811 持明院宗時の次男。花山院常雅の猶子となる。室は孝有の五女。1774年(安永3年)10月28日就任。1806年(文化3年)嫡子有謙が死去。1811年(文化8年)12月22日死去。
25 有宣 1781-1829 1811-1829 鷹司政煕の子。室は一条忠良の娘。1806年(文化3年)妙有の養子に入る。1811年(文化8年)12月就任。1829年(文政12年)9月24日死去。
26 教有 1825-1872 1831-1868 最後の英彦山座主。有宣の子。鷹司政通の猶子。1829年(文政12年)に父が死去するが、幼年につき院代が代務。1831年(天保2年)就任。通綱。1863年(文久3年)英彦山事件を起こす。1868年(明治1年)9月還俗。1869年(明治2年)2月2日高千穂姓を与えられた。同年英彦山神社宮司。1872年(明治5年)8月11日死去。甘露明王院と号す。
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