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霊鑑寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月22日 (日)

霊鑑寺門跡から転送)
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霊鑑寺門跡

霊鑑寺(れいかんじ)は、京都府京都市左京区鹿ケ谷にある臨済宗尼門跡寺院臨済宗南禅寺派霊鑑寺門跡谷御殿谷の御所。高島禅智院を兼務。霊鑑寺宮墓地がすぐ南にある。


組織

霊鑑寺門跡
霊鑑寺門跡(国土地理院空中写真より)
浄土寺地域(国土地理院空中写真より)

住職

  • 1月江宗澄女王(1639-1678)<>:後水尾天皇第十二皇女。1639年(寛永16年)2月3日生。谷宮。1678年(延宝6年)2月2日死去。40歳。墓所は廬山寺陵墓地。浄法身院宮。(「尼門跡の言語生活」ほか) (『比丘尼御所諡号考』に「延宝12年2月5日」死去とあるが不詳)
  • 大機文用(?-1644)<>:1644年(正保1年)1月2日死去。了性院。
  • 2光山宗栄女王(1658-1721)<>:中興。後西天皇皇女。母は東三条局共子。1658年生。幼名は選宮。1679年、22歳で受戒。霊鑑寺に入寺得度。後西院の旧御所を霊鑑寺に移築した。1721年(享保6年)3月8日死去。64歳。墓所は霊鑑寺宮墓地。普賢院宮。
  • 3祥山宗真女王(1715-1764)<>:伏見宮邦永親王王女。霊元天皇猶子。1764年(明和1年)11月19日死去(1763年(宝暦13年)とも)。墓所は霊鑑寺宮墓地。禅智院を兼務。輪転院宮。
  • 4観山宗恭女王(1769-1821)<1789->:閑院宮典仁親王第二王女。後桃園天皇養女。1769年(明和6年)12月18日生(17日生とも)。孝宮。1789年(寛政1年)4月1日就任。1821年(文政4年)11月19日死去。53歳。墓所は霊鑑寺宮墓地。寿山宗泰。成等覚院宮。(「尼門跡の言語生活」ほか)
  • 5法山宗諄女王(1816-1890)<>:伏見宮貞敬親王王女。1816年(文化13年)生。1873年(明治6年)7月、伏見宮に復籍。1880年(明治13年)9月法体となる。1880年(明治13年)11月22日、中教正[1]。1890年(明治23年)死去。墓所は宗諄女王墓
  • 六条徳全()<>:六条家子爵の娘。(「尼門跡の言語生活」)
  • 六条祖英()<>:
  • 平賀祖心()<>:禅智院を兼務。(「尼門跡の言語生活からみた女房詞の研究」)


観山宗恭女王まで『比丘尼御所諡号考』

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%9C%8A%E9%91%91%E5%AF%BA」より作成

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