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等持寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
等持寺
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'''等持寺'''(とうじじ)は、京都府京都市中京区杉屋町・等持寺町付近にあった[[足利家]]ゆかりの[[臨済宗]]寺院。[[足利尊氏]]の館を寺院化したもの。[[十刹]]第1位。鎮守だった[[御所八幡宮]]が現存する。幕府が置かれた[[三条御所]]も近くにあった。 ==歴史== 足利尊氏が創建(1369年(正平24年/応安2年)「仏観禅師行状」)。 年代ははっきりしないが、1339年(延元4年/暦応2年)7月6日に足利直義が本尊造立所として[[丹波国分寺]]地頭職を等持寺長老に寄進した記録がある。 もともとこの地には[[清浄華院]]があったが土御門室町に移転させた。 1347年(正平2年/貞和3年)2月18日、足利尊氏が変異祈祷を[[青蓮院]]に頼んだ時 門葉記の記述に「等持寺者私持仏堂之体也」とあり、邸宅の持仏堂のように 書かれているが、他の史料から尊氏の館がそのまま寺院だったと考えられている。 1365年(正平20年/貞治4年)、将軍足利義詮は母の赤橋登子(登真院殿)の死にあたり、 碧潭周皎を等持寺に招いて百日読経をさせた。 1377年(天授3年/永和3年)9月8日、[[足利義満]]が[[十刹]]の首位に定めた(花営三代記)。 足利家歴代の供養が行われた。 しかし、1382年(永徳2年)に[[相国寺]]が創建されるとその役割を次第に取って 変わられた。 1381年(弘和1年/永徳1年)10月7日、足利義満、等持寺で五山十刹住持の任期等規式を定める 1386年(元中3年/至徳3年)7月、改めて京都十刹の首位に定められた。 1419年(応永26年)、[[北山殿]]から懺法堂を等持寺に移築して宗鏡堂とする。 1446年(文安3年)1月16日焼失(師郷記)。 1467年(応仁1年)からの応仁の乱で焼失し、廃寺同然となり、のち等持院に合併となった。 応仁の乱の後に[[林光院]]が等持寺に移転したが、元亀年間に相国寺に移転した。 紙本淡彩等持寺絵図が等持院に伝わる。 == 組織 == ===住職=== *古先印元(1295-1374)<>:1338年(延元3年/暦応1年)等持寺開山。 *慈永()<>:1355年(正平10年/文和4年)在職。 *中巌円月(1300-1375)<>:1363年(正平18年/貞治2年)等持寺住職。 *春屋妙葩(1311-1388)<>:1357年(正平12年/延文2年)等持寺住職。 *義堂周信(1325-1388)<>:1380年(天授6年/康暦2年)9月等持寺。 *空谷明応(1328-1407)<>:義堂周信の推薦で等持寺に入る。 *絶海中津(1336-1405)<>:1385年(元中2年/至徳2年)12月、等持寺住職。1391年(元中8年/明徳2年)7月等持院に転住。 *観中中諦(1342-1406)<>: *大岳周崇(1345-1423)<>: *鄂隠慧〓(1357-1425)<>:応永年間、等持寺。 *古幢周勝(1370-1433)<>: *瑞渓周鳳(1391-1473)<>:1437年(永享9年)8月、等持寺住職。 *原古志稽(1401-1475)<>: *綿谷周〓(1405-1472)<>:1464年(寛正5年)等持寺住職。翌年まで。 *横川景三(1429-1493)<>:1478年(文明10年)2月、等持寺公帖。3月入寺。 *桃源瑞仙(1430-1489)<>:1481年(文明13年)4月、等持寺住職。1486年(文明18年)8月相国寺住職。 *景徐周麟(1440-1518)<>:1487年(長享1年)等持寺に入る。日記『等持寺日件』。 *宗山等貴(1464-1526)<>: *祖曇 *黙庵 「等持寺歴代抄」[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1921076/213] ==資料== *等持院御八講記(続群書類従) *国際文化財株式会社2012『平安京左京三条四坊七町跡・等持寺跡:集合住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』 *魚澄惣五郎1931「京都等持寺趾」『古社寺の研究』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1921019/234] *今枝愛真1962「禅宗と足利初期政権:等持寺の成立をめぐって」『日本歴史』171 *川上貢1967「等持寺と尊氏の初期邸宅」『日本中世住宅の研究』 *細川武稔1998「空間から見た室町幕府:足利氏の邸宅と寺社」[https://doi.org/10.24471/shigaku.107.12_2083] *細川武稔2010「足利氏の邸宅と菩提寺:等持寺・相国寺を中心に」『京都の寺社と室町幕府』 *冨島義幸2004「等持寺仏殿と相国寺八講堂:顕密仏教空間としての評価について」『仏教芸術』273 *大澤伸啓2008「中世武士の館庭園へ禅宗寺院庭園が及ぼした影響」[https://doi.org/10.5982/jgarden.2008.35] *髙鳥廉2019「等持寺住持職の歴史的展開」『仏教史学研究』62(1) *関西剛康2021「足利尊氏と足利直義における庭園利用に関する研究」[https://doi.org/10.5632/jila.84.453] [[category:京都府]]
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