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隠れキリシタン
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
隠れキリシタン
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'''隠れキリシタン'''は[[日本のキリスト教]]の一派。近代以降、日本の[[カトリック教会]]は禁教期の信者や「帰正」した信者については'''潜伏キリシタン'''として美化する一方で、現在の隠れキリシタンについては「歪んだ土俗信仰」とみなして、カトリックの「正しい信仰」への従属を促してきた経緯と、日本社会の認識不足から消滅しつつある。 ==年表== *1613年(慶長18年):キリスト教禁教令 *1633年(寛永10年)頃:弾圧の徹底で表面上は存在できなくなる。 *1865年(慶応1年):信徒「発見」 ==「異端」とみなす記述の例== (隠れキリシタンをめぐる議論には「弱者」「少数者」にさらに追い打ちを掛ける問題点の多い記述が頻発するため特に取り上げるが神道や仏教に関しても同様の記述は珍しくない) *松田毅一「隠れキリシタン」(日本大百科全書):「潜伏キリシタン、また「はなれ(キリシタン)」ともいう」「たとえ表向きとはいえ、仏寺の檀家 となり踏絵を踏んでキリシタン信仰を拒否することは、教会が厳禁したところであり、キリストの教えにも背くことであるから、これらの人々を、先に殉教した純粋なあるいは真のキリシタン信徒と同一にはみなしえない」として客観的な研究者の立場を超えて、「正しいキリスト教」か否かという宗教的判断を行っている。「はなれキリシタン」はカトリック教会側の呼び方であり、「教会(正しい信仰)から離れている」という意味合いであると思われ、差別的な呼称である可能性がある。 *片岡千鶴子「隠れキリシタン」(日本大百科全書):「信教自由の現代社会で江戸キリシタン弾圧時代の潜伏形態を続けている人々をいう。同じように潜伏して信仰を伝承しながら1865年(慶応1)大浦天主堂で再渡来したフランス人神父プティジャンと出会い,近代カトリック教会を復活させた人々を〈潜伏キリシタン〉と呼んで区別する」として先祖代々伝えられてきた信仰形態をそのまま維持する人々を「現代社会」に合わない行為を続けているかのように否定的に記述する(「信教の自由」があるのなら隠れキリシタンも認められるべきではないか)。 [[category:系譜記事]]
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