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大江神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大江神社
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[[file:大江神社 (1).jpg|thumb|450px]] '''大江神社'''(おおえ・じんじゃ)は大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町にある神社。祭神は[[豊受大神]]・[[素盞嗚命]]・[[欽明天皇]]・[[大己貴命]]・[[少彦名命]]。[[四天王寺]]の鎮守。郷社。[[四天王寺関連旧跡]]。四天王寺七宮の一つで、四天王寺七宮の[[上宮神社]]、[[小儀神社]]、[[土塔神社]]も合祀した。元は[[毘沙門天]]を祀り、'''毘沙門堂'''と呼ばれた。また四天王寺の乾(西北)の方向にあるため'''乾社'''、'''神宮寺乾社'''とも呼ばれた。[[勝鬘院]]の西にある。境内に[[大江護国神社]]がある。[[阿倍野官修墳墓]]も最初は大江神社境内にあったが[[阿倍野墓地]]に移転。(参考:同名神社[[大江神社_(同名)]]) [[聖徳太子]]が四天王寺の鎮守として太子自作の毘沙門天像を祀ったのが始まり。四天王寺の僧侶が祭祀を司り、明治維新までは四天王寺東光院が別当だった。天王寺北村の氏神となった。1867年(慶応3年)大江岸の名前を取り、大江神社と称した。 1869年(明治2年)8月18日、幕末の政変で殉難した山口藩士宍戸久之進ら48柱を山口藩大阪屋敷在勤者が奉斎し、[[大江招魂社]]・[[阿倍野官修墳墓|官修墳墓]]を創祀した。1887年(明治20年)に社殿改修し、同じ頃、官修墳墓は[[阿倍野墓地]]に移設した。 神仏分離で祭神とされた豊受大神と毘沙門天の関係は不詳。引き続き毘沙門天の神使である虎を神使とする。 1872年(明治5年)郷社列格。1906年(明治39年)神饌幣帛料供進神社に指定。 1907年(明治40年)1月11日、土塔神社(速素盞嗚命)、1月29日、上宮神社(欽明天皇。相殿は大己貴命、少彦名命)、9月18日に男山八幡神社([[応神天皇]])、1908年(明治41年)9月25日、小儀神社(速素盞嗚命)を合祀した。境外社に履物の守護神の[[羽呉神社]]がある。 (大阪府全志、日本歴史地名大系ほか) <Gallery widths="240" heights="240" perrow="2"> file:大江神社 (2).jpg| file:大江神社 (3).jpg| file:大江神社 (4).jpg| </Gallery> [[Category:大阪府]]
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