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山城・神応寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
山城・神応寺
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[[file:Kokudo0274.jpg|thumb|300px|神応寺(国土地理院空中写真より)]] '''神応寺'''(じんのうじ)は、京都府八幡市八幡西高坊にある[[曹洞宗]]寺院。本尊は薬師如来。[[石清水八幡宮関連旧跡]]。山号は糸杉山。(参考:同名寺院[[神応寺]]) 貞観年間、[[石清水八幡宮]]鎮座の後、[[行教]]が創建し、[[応神天皇]](八幡大神)の位牌所として'''応神寺'''と称したという。当初は [[天台宗]]、[[真言宗]]、[[法相宗]]、[[律宗]]の四宗兼学だったという。 曹洞宗[[峩山派]]の寺院となり、神応寺と改称した。 禅宗に傾倒した[[足利家]]の影響によるものともいう。足利家は行教作の不動明王を奥之院に祀り、別に[[釈迦如来]]を本尊とした。 天禄年間に郭翁鈞然が常法堂を設け、叢林を盛んにして曹洞宗の名刹として興隆した。 石清水八幡宮に奉仕することなく、神領内にありながら独自の寺院運営をおこなった。 慶長年間には小牧市[[正眼寺]]の末寺となった。 中興2世の弓箴善疆([[高台寺]]開山)は[[豊臣秀吉]]と同郷で朱印地を寄進された。その縁で秀吉像を祀る。 朱印地150石。 徳川綱吉が不動尊を帰依。 道之の時代に奇瑞があり本尊を釈迦如来から薬師如来に改めた。 神仏分離で廃絶となった[[石清水八幡宮開山堂]]にあった行教像が移されて現存する。 ==伽藍== [[file:Kokudo0267.jpg|thumb|300px|石清水八幡宮広域(国土地理院空中写真より)]] *本堂: *開山堂:行教像を祀る *禅堂: *書院:伏見城の遺構と伝える。 *杉山谷不動尊: *行教墓 *淀屋辰五郎墓 *二宮忠八墓 *長沢芦雪墓 <gallery> ファイル:Jinnoji (3).jpg|山門 ファイル:Jinnoji (1).jpg|杉山谷不動尊 ファイル:Jinnoji (2).jpg|本堂 </gallery> [[category:京都府]]
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