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妙京寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
妙京寺
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[[File:妙京寺_(9).jpg|参道入口|thumb|400px]] '''妙京寺'''(みょうきょうじ)は兵庫県淡路市中村(淡路国津名郡)にある[[日蓮宗]]寺院。[[淳仁天皇]]の位牌を祀るという。[[伊弉諾神宮]]の神宮寺だった。[[法華宗本門流]]。 == 歴史 == [[File:妙京寺_(10).jpg|「淳仁天皇御遺跡」石碑|thumb|250px]] 初名は'''妙暁寺'''。津名郡の郡司が創建とも、淳仁天皇が765年(天平神護1年)に創建したともいう。 もとは高島の森の南斜面にあったという。 1358年(正平13年/延文3年)、[[大覚妙実]]の折伏で住職の智暉(日通)が改宗。 1521年(大永1年)、郡家城主田村春良により現在地に移転。以後、田村家が外護する。 1555年(弘治1年)、伊弉諾神社を法華宗支配とした。「社家六坊」と称する社僧がいたが、改宗した宮の坊(大坊)以外は退転したという。 1557年(弘治3年)、田村盛春が妙京寺と改称した。 1578年(天正6年)、田村村春が本堂を瓦葺きに葺き替え。 1581年(天正9年)、田村経春の切腹で庇護者を失った。 1661年(寛文1年)、伊弉諾神社の祭祀をめぐり同神社神職と争論になるが、妙京寺と神職の双方で責任を負うことで和解。 18世の日威はこの地は淳仁天皇の行在所であり、[[高島の森]]が陵墓であると主張したが、高島の森は[[早良親王]]の墓であり人心を惑わせることを言いふらしたとして1718年(享保3年)に追放された。 1735年(享保20年)本堂再建。(日本歴史地名大系) <Gallery widths="200" heights="150" perrow="3"> File:妙京寺_(1).jpg|入口 File:妙京寺_(2).jpg|本堂 File:妙京寺_(3).jpg|鎮守社 File:妙京寺_(4).jpg|歴代墓地 File:妙京寺_(5).jpg|歴代墓地 File:妙京寺_(6).jpg|歴代墓地。日蓮、日隆、大覚、日通の碑 File:妙京寺_(7).jpg|蔵 File:妙京寺_(8).jpg|淳仁天皇位牌所 </Gallery> [[category:兵庫県]]
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