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義仲寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
義仲寺
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'''義仲寺'''(ぎちゅうじ)は、滋賀県大津市馬場にある[[天台宗]]寺院。本尊は[[聖観音]]。[[源義仲墓]]、[[松尾芭蕉墓]]がある。単立。山号は朝日山。 1184年、[[源頼朝]]に追われた[[源義仲]]は近江国粟津で敗死し、粟津近くのこの地に葬られた。 妾の巴御前がこの墓の傍らに庵を築いたのが義仲寺の起源という。 1553年、六角高頼(佐々木高頼)が堂宇を整備して義仲庵(義仲堂)と呼び[[真言宗]][[石山寺]]の末寺とした。 江戸時代には[[園城寺]]の末寺となった。 1689年、[[松尾芭蕉]]が大津に滞在し、1691年、門人水田正秀の周旋で粟津草庵(無名庵)が建てられた。 1694年、芭蕉が大坂で死去すると、遺言で義仲寺に葬られた。 1763年、芭蕉70年忌に訪れた蝶夢(もと阿弥陀寺帰白院住職)が復興を発起し 1769年、芭蕉像と門人36人の画像を祀る芭蕉堂を建立した。 1791年、粟津文庫を創設。 1793年、芭蕉100回忌を盛大に営んだ。 1856年、芭蕉堂焼失。のち再建。 戦後、園城寺末を離れ、[[円満院]]の所管となるが、独立して1965年10月12日、再建落慶法要。1966年6月、義仲寺史蹟保存会設立。 (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』ほか) ==伽藍== ==組織== ===無名庵主=== *1[[松尾芭蕉]]()<>: *2広瀬惟然?()<>: *3山住興雲?()<>: *4志太野坡?(1662-1740)<>: *5渡辺雲裡坊(1693-1761)<1747->: *6塩路沂風(1752-1800)<1778->:[[真宗高田派]]の僧侶。琳澄。 *7井上重厚(1738-1804)<1792->: *8森谷祐昌()<>: *9島田仙風()<1810->: *10閑斎(?-1837?)<1820?->: *11寺田礪山(1804−1862)<1837->: *12矢島蟻洞(1802-1882)<>: *13西村乍昔(?-1894)<1883->: *14岡田魯人(1840-1905)<1894->: *15瀬川露城(1851-1928)<1907->: *16小野霞遊()<>: *17西尾其桃(1868-1931)<追贈>: *18寺崎方堂(1890-1963)<1931->: *工藤芝蘭子()<>:落柿舎11世庵主。兼務。 *19谷口如水(1886-1973)<>:谷口久次郎。滋賀県知事。 *20美濃豊月(1901-1994)<>:? *21藤野鶴山(1940-)<1994->:? *中谷孝雄(1901-1995)<1977->:? *伊藤桂一(1917-2016)<>:? *谷崎昭男(1944-2019)<>:? [[category:滋賀県]]
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