ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
山口大神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
山口大神宮
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
'''山口大神宮'''(やまぐち・だいじんぐう)は山口県山口市滝町にある[[伊勢信仰]]の神社。[[県社]]。'''高嶺神明宮'''、'''高嶺大神宮'''、'''高嶺神社'''、'''今伊勢'''とも。 [[仁壁神社]]・[[山口・多賀神社|多賀神社]]・[[山口・八坂神社|八坂神社]]・[[今八幡宮]]とともに'''山口五社'''の一つ。 == 歴史 == 鴻ノ峰(高嶺)の東麓に鎮座する。 1514年、大内義興は[[伊勢神宮]]を参拝し、山口への勧請を決めたという。 1518年10月、義興は山口に戻ると造営の準備を始め、鎮座地定めた。 1519年11月3日に外宮の社殿が、1520年4月8日に内宮の社殿か完成。[[後柏原天皇]]の勅許を得て同年6月29日、伊勢神宮の分霊を招いて鎮座した。神宮御師の高向二頭大夫光定が下向したという。「高嶺太神宮」の勅額を下賜された。伊勢信仰の九州への広がりへの足掛かりとなった。 1540年、式年遷宮。以後、変則的に式年遷宮。 毛利輝元、1588年、造替。[[後陽成天皇]]から勅額「伊勢」下賜。 1864年、毛利家の藩庁山口移転にともない、山口小郷間に関所が設けられ、往来が制限された。そのため、防府台道と小郷に遥拝所が建立された。 1873年郷社列格。 1879年、式年遷宮 1902年、式年遷宮 1928年、県社に列格。 1947年、山口大神宮に改称した。 1960年、造替 1995年、内宮焼失。 2000年、式年遷宮 ==境内== *内宮:祭神は天照大御神・天手力男命・万幡豊秋津姫命。社殿は神明造で、南北に殿地が並び、現在は南殿地にある。 *外宮:祭神は豊受大御神・天津彦彦火瓊々芸命・祭神は天児屋根命・天太玉命・建御名方神・八坂刀自命。社殿は神明造で、南北に殿地が並び、現在は北殿地にある。 *荒祭宮:内宮別宮。祭神は(天照大御神)荒御魂・瀬織津姫命。内宮の神前の向かって右側にある。 *恵美須社:内宮摂社。祭神は事代主命。 *多賀宮:外宮別宮。祭神は(豊受大御神)荒御魂・伊吹戸主命。 *[[山口・多賀神社|多賀神社]]:祭神は伊弉諾尊・伊弉再尊で、配祀神は天照大御神・素戔嗚命・少名彦名命・火具土神・国常立命・応神天皇・菅原道真命・大内教弘命。創建不詳。元は水の上にあった。永和年間、大内弘世が社殿造営。1512年、大内義興が再建。1569年の大内輝弘の乱で焼失。1610年、毛利輝元が再興した。昭和24年、山口大神宮境内に遷座した。[[領主奉斎神社]]。 *高嶺稲荷神社:元は神楽殿あたりにあったが、のちに現在地に遷座。大正12年に改築。 *神楽殿: *通夜堂: *石敢当:安部橋近くから移築。本州では珍しい *籾置岩: *安産石:多賀神社の拝殿脇にある。 *鷺岩:八坂神社の鷺舞ゆかり。 *神馬舎: *岩戸社:奥社。鴻ノ峰の中腹にある。岩窟内に天照大御神を祭り。入口に天手力男命を祀る。、吉田松陰は1851年3月に鴻嶺に登り、岩戸社に参拝した。 *高嶺祖霊社:[[祖霊社]] *([[山口・八坂神社]]):元は水の上にあったが、山口大神宮創建にあ合わせて1519年、境内に遷座。1520年、社殿造営。1864年、毛利家の山口への藩庁移転の時に現在地に移築遷座した。県社。 *[[山口大神宮小郷遥拝所]]:山口県山口市小郷。外宮の遥拝所。1864年建立。1994年修復。 *[[山口大神宮台道遥拝所]]:山口県防府市台道。内宮の遥拝所。1864年建立。現存せず。 [[Category:山口県]]
山口大神宮
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ