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閑谷学校
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
閑谷学校
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'''閑谷学校'''(しずたに・がっこう)は、岡山藩の[[儒教]]学校。[[池田光政]]が創設。[[孔子]]を祀る聖堂と光政を祀る[[閑谷神社]]、光政の遺髪などを収めた御納所がある。閑谷黌、閑谷精舎、閑谷学問所とも。 [[日本の孔子廟]]も参照。 ==歴史== 1666年(寛文6年)、池田光政が領民教化政策の一環として学校設立を計画し、 1668年(寛文8年)、領内各地に手習所123校を開設。閑谷はその一つだった。1670年(寛文10年)、学校奉行を設置し、津田永忠を任命した。 1675年(延宝3年)、各地の手習所を統合して閑谷黌と称した。武士だけでなく、名主層などの農民子弟の入学も許された。独立した財源として学校領を設定した。この時は最低限の設備にとどまったが、1677年(延宝5年)、文庫と小斎を建て講堂屋根を草葺から瓦葺に改築。1684年(貞享1年)聖廟を再建。1686年(貞享3年)、芳烈祠を創建。講堂を再建整備し、聖廟の孔子像を造立し、1701年(元禄14年)に威容が整った。 1870年(明治3年)岡山藩校に併合された。1873年(明治6年)閑谷精舎として再開するが1877年(明治10年)廃校。 1884年(明治17年)私立学校として閑谷黌を開校。1903年(明治36年)私立閑谷中学校、1948年(昭和23年)県立閑谷高等学校となった。1964年(昭和39年)県立和気閑谷高等学校となり校舎としての利用は終わった。 ==構内== *講堂: *小斎:講堂に付属。藩主のための部屋。部屋、浴室、便所がある。 *聖廟:孔子の金銅倚像を祀る。1684年(貞享1年)の造営。高さ90cmの孔子像は中村惕斎に委託して京都で制作したもの。西御堂。 *芳烈祠:池田光政の金銅坐像を祀る。1686年(貞享3年)の造営。東御堂。明治維新後は県社閑谷神社となる。 *御納所:池田光政の髪髭爪歯を納めた塚。椿山にある。 *飲室:生徒の休憩所 *習芸斎:教室 *釣屋: *文庫: *学房:現存せず。 *黄葉亭:1813年(文化10年)建設。 *津田永忠宅跡 ==組織== ===学校奉行=== 学校奉行は藩校の岡山学校に在した。 *津田永忠()<>:1670年(寛文10年)学校奉行。 *泉泉窩()<>:1670年(寛文10年)学校奉行。御廟奉行。 *加世季弘()<>:1673年(延宝1年)学校奉行。 *小原弥一郎()<>:御廟奉行。 *市浦善蔵()<>:天保頃?御廟奉行兼務。 [[category:岡山県]]
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