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邑楽護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
邑楽護国神社
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[[file:邑楽護国神社 (4).jpg|thumb|500px]] '''邑楽護国神社'''は群馬県館林市代官町にある[[招魂社]]。[[館林・長良神社]]に隣接。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。'''館林招魂社'''。'''官祭館林招魂社'''。 ==祭神== ===官祭祭神=== *典拠:1937『官祭館林招魂社誌』「祭神名簿」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1245010/1/32] *戊辰戦争殉難者39柱。藩士26人、郷夫又者13人。 *以下の他、館林藩関係の殉難者では靖国神社祭神として富塚忠三郎や森谷留八郎垂休と行動を共にしていたとみられる「従者一人」(名前不詳)[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/378]や、幕末の勤王派弾圧「館林断髪騒動」で犠牲になった大久保鼎一貫[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/201]も確認できるが、館林招魂社の官祭祭神としては記されていない。また館林藩関係の戊辰戦争戦没者として梅沢長次郎直貫という人物の名前も確認できるが、館林招魂社および靖国神社の祭神としては確認できていない。 {|class="wikitable" |- !style="width:4%;"|順 !style="width:10%;"|名前 !style="width:8%;"|生没年 !style="width:23%;"|靖国神社合祀 !style="width:8%;"|他の招魂社 !style="width:10%;"|官修墳墓 !style="width:7%;"|贈位 !style="width:30%;"|略歴 |- |官1 |石川喜四郎定静 |1834-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/262]) | |泰平寺跡?館林法輪寺?結城光福寺? | |歩卒隊長。1868年(明治1年)4月17日、下総国武井村(茨城県結城市武井)で戦死。35歳。 |- |官2 |梶塚勇之進正繁 |1823-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/288]) | |山形浄土院? | |大砲長。1868年(明治1年)閏4月4日、羽前国蔵増村(山形県天童市蔵増)で戦死。「梶塚勇之進戦死之地」碑がある。46歳。 |- |官3 |多賀谷松之助綏英 |1832-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/367]) | |白河長寿院? | |斥候長。1868年(明治1年)8月26日、陸奥国中嶺で戦死。37歳。 |- |官4 |青木三右衛門保承 |1827-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |相馬慶徳寺? | |徒士隊長。1868年(明治1年)9月10日、旗巻峠(仙台・相馬藩境)で戦死。42歳。 |- |官5 |山本富八道春 |1826-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/262]) | |泰平寺跡? | |徒士隊。1868年(明治1年)4月16日、小山(栃木県小山市)で戦死。43歳。 |- |官6 |山沢与四郎則義 |1849-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/262]) | |泰平寺跡? | |歩卒隊。1868年(明治1年)4月16日、下総国武井村(茨城県結城市武井)で戦死。20歳。 |- |官7 |進藤常吉信勝 |1847-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/262]) | |泰平寺跡? | |歩卒隊。1868年(明治1年)4月17日、小山(栃木県小山市)で戦死。22歳。 |- |官8 |柴田蔵次郎勝政 |1833-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/338]) | |本宮誓伝寺? | |徒士隊。1868年(明治1年)7月28日、陸奥国本宮(福島県本宮市)で戦死。36歳。 |- |官9 |下田半太夫好道 |1823-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/379]) | |本宮誓伝寺?三春龍穏院? | |徒士隊。1868年(明治1年)7月28日、陸奥国本宮(福島県本宮市)で戦死。46歳。 |- |官10 |高柳要之助雅義 |1845-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/367]) | |白河長寿院? | |徒士隊。1868年(明治1年)8月26日、陸奥国中嶺で重傷を受け戦傷死。24歳。 |- |官11 |永田伴次郎正紀 |1830-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/367]) | |白河長寿院? | |上士隊。1868年(明治1年)8月26日、陸奥国駒返坂で戦死。39歳。 |- |官12 |高山清記繁履 |1849-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |白河長寿院?館林円教寺? | |上士隊。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。20歳。 |- |官13 |津田平吉政平 |1838-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |白河長寿院? | |歩卒隊。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。31歳。 |- |官14 |小沢劔之助忠次 |1847-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |白河長寿院? | |歩卒隊。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。22歳。 |- |官15 |本木弥三郎信吉 |1851-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |本宮誓伝寺?法輪寺?三春龍穏院? | |用組隊。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。18歳。 |- |官16 |田口虎輔繁延 |1843-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |相馬慶徳寺? | |徒士隊。1868年(明治1年)9月10日、旗巻峠(仙台・相馬藩境)で戦死。26歳。 |- |官17 |藤崎栄造一則 |1843-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |相馬慶徳寺? | |徒士隊。1868年(明治1年)9月10日、旗巻峠(仙台・相馬藩境)で戦死。26歳。 |- |官18 |田口曽右衛門歳勝 |1813-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |相馬慶徳寺? | |歩卒隊。1868年(明治1年)9月10日、旗巻峠(仙台・相馬藩境)で戦死。56歳。 |- |官19 |遠藤彦十郎晴吉 |1818-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |相馬慶徳寺? | |歩卒隊。1868年(明治1年)9月10日、旗巻峠(仙台・相馬藩境)で戦死。51歳。 |- |官20 |大友〓四郎景行 |1824-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |相馬慶徳寺? | |徒士隊。1868年(明治1年)9月10日、旗巻峠(仙台・相馬藩境)で戦死。45歳。 |- |官21 |矢部銀右衛門政重 |1832-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |相馬慶徳寺? | |歩卒隊。1868年(明治1年)8月30日、陸奥国相馬領駒ケ嶺より小川村へ斥候先にて戦死。37歳。 |- |官22 |山下亀治義治 |1834-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |相馬慶徳寺? | |歩卒隊。1868年(明治1年)8月30日、陸奥国相馬領駒ケ嶺より小川村へ斥候先にて戦死。35歳。 |- |官23 |戸谷戸助佑嵩 |1852-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/268]) | |館林法輪寺? | |用組。1868年(明治1年)5月13日、武蔵国千住駅にて戦死。17歳。 |- |官24 |塩谷右兵衛亮弘 |1835-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |若松東明寺? | |探索方。1868年(明治1年)8月22日、陸奥国会津若松城下で横死。34歳。 |- |官25 |清水又右衛門 嘉武 |1831-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/365]) | |若松東明寺? | |探索方。1868年(明治1年)8月22日、陸奥国会津若松城下で横死。38歳。 |- |官26 |森谷留八郎垂休 |1840-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/378]) | |山形浄土院? | |物書。漆山陣屋詰。1868年(明治1年)9月7日、陸奥国二本松領塩谷川あたりで横死。29歳。 |- |官27 |鈴木清六 |1821-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/288]) | |山形浄土院? | |大砲夫卒。蔵増村の人。1868年(明治1年)閏4月4日、羽前国蔵増村(山形県天童市蔵増)で戦死。48歳。 |- |官28 |宮崎鶴吉 |1836-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/288]) | |山形浄土院? | |大砲夫卒。蔵増村の人。1868年(明治1年)4月5日、羽前国蔵増村(山形県天童市蔵増)で戦死。33歳。 |- |官29 |桜井孫八 |1850-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/288]) | |山形浄土院? | |大砲夫卒。蔵増村の人。1868年(明治1年)4月5日、羽前国蔵増村(山形県天童市蔵増)で戦死。19歳。 |- |官30 |桜井道蔵 |1840-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/338]) | |本宮誓伝寺? | |大砲夫卒。館林町の人。1868年(明治1年)7月28日、陸奥国本宮(福島県本宮市)で戦死。29歳。 |- |官31 |斎藤政吉 |1824-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/338]) | |本宮誓伝寺? | |大砲夫卒。館林町の人。1868年(明治1年)7月28日、陸奥国本宮(福島県本宮市)で戦死。45歳。 |- |官32 |原嶋惣助 |1844-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/338]) | |本宮誓伝寺? | |萩谷又兵衛従者。新田郡東長岡村の人。1868年(明治1年)7月28日、陸奥国本宮(福島県本宮市)で戦死。25歳。 |- |官33 |野村勝蔵 |1850-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |若松融通寺?白河長寿院? | |郷夫。邑楽郡の人。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。19歳。 |- |官34 |多田由兵衛 |1849-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |若松融通寺?白河長寿院?常楽寺? | |郷夫。邑楽郡の人。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。20歳。 |- |官35 |川島与兵衛 |1823-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |若松融通寺?白河長寿院? | |郷夫。邑楽郡の人。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。46歳。川島勝蔵か? |- |官36 |奥沢金平 |1837-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |若松融通寺?白河長寿院? | |郷夫。邑楽郡の人。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。32歳。 |- |官37 |茂木常吉 |?-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |若松融通寺?白河長寿院? | |郷夫。勢多郡の人。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。茂木幸吉?享年不詳。 |- |官38 |富塚忠三郎 |1833-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/378]) | |館林龍興寺?館林大道寺? | |郷夫。館林町の人。1868年(明治1年)月日不詳、陸奥国二本松領塩谷川あたりで横死。36歳。 |- |官39 |栃尾熊吉 |1849-1868 |(忠魂史[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237208/1/377]) | |若松融通寺?白河長寿院?館林善長寺? | |長州甚兵衛従者。越後長岡藩栃尾村の人。1868年(明治1年)9月5日、陸奥国会津若松城下で戦死。20歳。 |} ==歴史== *1868年(明治1年):戊辰戦争に藩士698人、郷夫又者414人が出征。 *1869年(明治2年)9月:館林藩主秋元礼朝、近藤村に招魂社創建 *1876年(明治9年)6月22日:明治天皇東北巡幸にあたり宣命使として栃木県令を派遣。 *1881年(明治14年):現在地に遷座 *1924年(大正13年):私祭祭神157柱を合祀。 *1939年(昭和14年)4月1日:邑楽護国神社と改称 *1937年(昭和12年)4月23日:37柱合祀。戊辰戦争殉難者70年祭。 *1968年(昭和43年)4月:100年祭 <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:邑楽護国神社 (1).jpg| file:邑楽護国神社 (3).jpg| file:邑楽護国神社 (5).jpg| file:邑楽護国神社 (2).jpg|「招魂灯」とある灯籠 file:邑楽護国神社 (10).jpg|「官祭館林招魂社」社標 file:邑楽護国神社 (6).jpg| file:邑楽護国神社 (7).jpg| file:邑楽護国神社 (8).jpg| file:邑楽護国神社 (9).jpg| </Gallery> ==資料== *1917『官祭館林招魂社略記』[https://dl.ndl.go.jp/pid/932132] *1937『官祭館林招魂社誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1245010] *1937福田啓作「館林藩の勤王と官祭招魂社・上」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3567432/1/24] *1937福田啓作「館林藩の勤王と官祭招魂社・下」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3567433/1/14] *今井昭彦 2003「旧藩における護国神社の創建―群馬県邑楽護国神社の事例から」『国立歴史民俗博物館研究報告』102 [[category:群馬県]]
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