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忠魂祠堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
忠魂祠堂
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[[ファイル:chukon-shidou_001.jpg|thumb|500px|広島忠魂祠堂]] '''忠魂祠堂'''(ちゅうこんしどう)は、日清戦争後に[[浄土宗知恩院派]]が師団鎮守府ごとに設置した仏教式の[[日本の慰霊施設|戦没者祭祀施設]]である。不明な点が多い。日本の各宗派の中でも[[招魂社]]のような施設の設置を教団規模で進めたのは浄土宗の他にない。日本政府が府県ごとに[[指定護国神社]]を設置を始めたのは昭和以降のことであり、浄土宗の計画はそれよりも早い。宗教行政上は[[仏堂]]に位置付けられていたようだ。 ==一覧== {|class="wikitable" |+ !style="width:20%"|名称 !style="width:30%"|所在地 !style="width:50%"|コメント |- |[[東京忠魂祠堂]] |東京都港区芝公園4丁目 |明治37年5月16日、大日本宗教家大会が開かれている |- |[[横須賀忠魂祠堂]] |神奈川県横須賀市衣笠栄町1丁目51番地 |明治33年10月28日、大勝利山に創建。足柄下郡芦子村の天栄寺を移築。関東大震災により倒壊。昭和12年2月6日、浄土宗光心寺に再建。(『三浦半島の軍事施設』[http://www.geocities.jp/tcdnh830/sub/ibutu/tyukon.html]より) |- |[[仙台忠魂祠堂]] |宮城県仙台市若林区荒町(不詳) |1898年(明治31年)11月25日創建。(『仙台市史』) |- |[[金沢忠魂祠堂]] |石川県金沢市観音町3 |本尊は阿弥陀如来。卯辰山にあった。明治31年10月竣工。有栖川宮熾仁親王および北白川宮能久親王、戦死病没者の位牌を祀っていたという。昭和26年、復興途上の不動寺の本堂として移築された。(和田文次郎 明治37年『金沢明覧』北光社20頁、津幡町ウェブサイト)[https://dl.ndl.go.jp/pid/2961006/1/16] |- |[[名古屋忠魂祠堂]] |愛知県名古屋市東区筒井3丁目2-35 |明治34年、浄土宗学愛知支校(現・東海学園)内に創建。明治45年9月23日、暴風雨により倒壊。大正2年再建。大正5年、明昭殿と改称。昭和22年、明照殿と改称した。昭和55年改築。(東海中学校・東海高等学校ウェブサイト、昭和63年『浄土宗新聞』260号6面) |- |[[大阪忠魂祠堂]] |大阪府大阪市天王寺区上之宮町 |明治35年、浄土宗第六教区宗学教校(現・上宮学園)内に創建。同校の講堂も兼ねる。(平成2年『浄土宗新聞』285号6面) |- |[[広島忠魂祠堂]] |広島県広島市南区大須賀町 |本尊は阿弥陀如来である。白石尭海が日清戦争後に創建を提唱した。明治29年4月14日認可を受けて、31年10月14日、創建。35年7月20日、愛媛県松山市の忠魂祠堂を合併。(広島市役所、大正13年『広島市史』広島市役所、405頁) |- |[[呉忠魂祠堂]] |広島県呉市寺本町2-1 |明治28年、創建。檀徒急増により、明治36年に大阪の法王山西方院正覚寺を遷して、正式な寺院としたという。(正覚寺ウェブサイト) |- |[[小倉忠魂祠堂]] |福岡県北九州市小倉南区城野(不詳) |『企救郡誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1171034/1/506] |- |[[熊本忠魂祠堂]] |熊本県熊本市九品寺3丁目1-1 |明治31年ごろ、浄土宗学鎮西支校(現・鎮西高校)が境内に移転。昭和初期に廃絶となったらしい。(昭和63年『浄土宗新聞』261号7面) |} *[[松山忠魂祠堂]] *[[佐世保忠魂祠堂]] *[[台北忠魂祠堂]] ==資料== *1902『浄土宗寺院名鑑』「忠魂祠堂所在地名」[https://dl.ndl.go.jp/pid/821270/1/297] [[Category:系譜記事]]
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