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鳩摩羅什旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
鳩摩羅什旧跡
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'''鳩摩羅什'''(344-413)は、中国の訳経僧。四大訳経家(鳩摩羅什、[[真諦]]、[[玄奘]]、[[不空]])の筆頭。'''クマーラジーバ'''、'''羅什'''。'''童寿'''。亀茲国の王族。 35部294巻の経典を訳したとされる。『中論』『百論』『十二門論』を訳したため[[三論宗]]の祖師の一人、『成実論』を訳したため[[成実宗]]の祖師の一人とされる。 また日本では現行の『法華経』(『妙法蓮華経』)を訳したため特に[[日蓮宗]]の祖師の一人とされる。 == 一覧 == *[[亀茲]] *[[カシミール]] *[[カシュガル]] *[[草堂寺]] *[[鳩摩羅什舎利塔]] ==年譜== *344年:1歳:亀茲国で誕生。父はインド出身のクマーラヤーナ。母は王妹ジーバ。 *350年:7歳:出家。 *352年:9歳:罽賓(カシミール)で小乗仏教学ぶ。ついで疏勒(カシュガル)で王子の須利耶蘇摩(スーリヤソーマ)に大乗仏教を学ぶ。温宿にも留学。 *363年:20歳:受戒。 *382年:39歳:亀茲国に前秦王苻堅の命令で将軍呂光が侵攻。亀茲王白純は戦死し、鳩摩羅什は捕縛される。 *386年:43歳:鳩摩羅什を捉えた呂光は凱旋の途中、苻堅王が討たれて王朝が滅びたことを知り、涼州(甘粛省武威県)で即位して後涼を建国。鳩摩羅什はここに滞在することとなる。 *401年:58歳:後秦王姚興が後涼を攻め、鳩摩羅什を捉える。鳩摩羅什を国師として長安に迎える。以後、西明閣および逍遙園で訳経に従事させる。 *413年:70歳:4月13日、長安大寺で死去。「長安大寺」とは草堂寺のことともいう。異説あり。 <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:草堂寺001.jpg| file:草堂寺002・鳩摩羅什墓.jpg|鳩摩羅什墓 </Gallery> [[category:人物旧跡]]
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