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御影堂新善光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
御影堂新善光寺
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[[file:B9192D5F-47D1-43E5-B0F0-189F7E1BD640.jpeg|thumb|400px|京都五条の旧地付近にある「扇塚」]] '''新善光寺'''(しんぜんこうじ)は、滋賀県長浜市西上坂町出雲にある、皇族ゆかりの[[時宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。開山の王阿(?-1305)は[[後嵯峨天皇]]の皇子と伝える。元は京都市下京区御影堂町付近にあった。かつての[[時宗御影堂派]]の拠点寺院。近代の[[時宗の本山寺院|別格本寺]]。[[善光寺信仰]]。寺の尼や周辺の女性が作った扇は「阿古女扇」「袙扇」「御影堂扇」として知られた。通称は'''御影堂'''、'''御影堂新善光寺'''、'''五条道場'''。 近くに[[授法寺]]がある。 == 歴史 == [[ファイル:御影堂新善光寺017.jpg|thumb|500px|滋賀県にある現在の御影堂新善光寺]] *824年(天長1年)、[[檀林皇后]]が[[空海]]を開山として嵯峨に創建。 *不詳:東洞院春日小路(現・中京区三本木町付近か)に移転。 *東河原院に移転した時、[[善光寺如来]]を奉安したので新善光寺と称した。 *932年(承平2年):地震被害を受け、西洞院五条(綾小路河東とも)に移転(1172年(承安2年)とも)。 *1178年(治承2年):焼失の後に祐寛が再建。 *平敦盛室の清照姫が出家して蓮華院生一房如仏と名乗り、祐寛を頼って御影堂のそばに庵を結んだ。 *1248年(宝治2年)夏:疫病が流行。生一房の姪に当たる按察局の産んだ後嵯峨天皇皇子の竹御所(のちの王阿)が罹患したため、生一房は祐寛の祈願した阿古女扇を贈り、それで扇ぐと熱がたちまち消えた。そのため寺中の尼が扇を作るようになったという。 *正嘉年間(1257-1259):疫病流行。善光寺如来の宝珠を描いた扇が諸人を救ったという。 *正応年間(1288-1293):隠遁していた竹御所が一遍の京都巡教の時に師事して勝法院王阿弥陀仏(王阿)と称す。一説には王阿は、[[心地覚心]]の仲介で一遍に師事したという。王阿は京都から旅立とうとする一遍に別れを惜しんで末代結縁のために御影を望んだため、一遍は水に写った自らの姿を残して「鏡の御影」とした。 *14世紀中期:火災で東川原別院に移転。 *1421年(応永28年)秋:佐女牛室町北、綾小路河東に移転。 *1467年(応仁1年):応仁の乱の兵火で焼失。 *1527年(大永7年)12月4日:焼失。 *1528年(享禄1年):新町通五条町北(下京区御影町)に移転。(1529年(享禄2年)とも) *1538年(天文7年):兵乱で破壊される。 *1545年(天文14年):この時点で別の場所に移転。 *1587年(天正15年):五条大橋の西端、現在の下京区御影堂町に移転。(1585年(天正13年)とも) *1665年(寛文5年):『京雀』に「今はわかき女房共あまたあり、髮うつくしうゆひ、けさうして扇ををりける、さしもかくれなきみ江いだう扇也」とあり、江戸時代には俗人も扇を作って売るようになる。 *1788年(天明8年):天明の大火で類焼。 *1864年(元治1年):幕末の兵火で類焼 *1886年(明治19年)12月23日:火災。 *1894年(明治27年):再建。如来堂と御影堂を一つにする。 *1945年(昭和20年)3月:戦時下の道路建設のため解体。この時点で[[浄信寺]](木之本地蔵)の住職が兼務していたため、浄信寺に宝物などが移された。 *1965年(昭和40年)8月:遊行派乗台寺(滋賀県長浜市)跡の地蔵堂(木之本地蔵の分身仏を祀る)に復興した。(1966年(昭和41年)とも) *1960年(昭和35年):旧地近くに扇塚が建てられた。 『一遍上人絵伝』御影堂本を所蔵していた。 (『日本歴史地名大系』『国史大辞典』) ==子院== 1697年(元禄10年)の『国花万葉記』によると以下を「寺中」として記す。 *香阿弥: *珠阿弥:長林房 *龍阿弥: *仙阿弥: *由阿弥: *文阿弥: *来阿弥: *一阿弥: *樹阿弥: *善阿弥: *乗阿弥:柳林房 *重阿弥:桐林房 *林阿弥: *直阿弥:室樹軒 *庭阿弥: 他に *桑林庵 ==画像== <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:御影堂新善光寺001.jpg| file:御影堂新善光寺009.jpg| file:御影堂新善光寺017.jpg| file:御影堂新善光寺010.jpg| file:御影堂新善光寺003.jpg|本堂 file:御影堂新善光寺011.jpg|本堂 file:御影堂新善光寺002.jpg| file:御影堂新善光寺012.jpg|「御影堂新善光寺建設地」標示 file:御影堂新善光寺005.jpg|墓塔・乗台寺関係か。 file:御影堂新善光寺013.jpg|墓塔 file:御影堂新善光寺014.jpg|墓塔・「〓〓上人墓」 file:御影堂新善光寺006.jpg|墓塔・1518年(永正15年)10月9日卒? file:御影堂新善光寺015.jpg|墓塔 file:御影堂新善光寺007.jpg|墓塔 file:御影堂新善光寺008.jpg|伊吹山 file:御影堂新善光寺016.jpg|伊吹山 file:御影堂新善光寺004.jpg| </Gallery> <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:御影堂新善光寺墓地006.jpg|京都の鳥辺山墓地にある墓地。「御影堂新善光寺墓地」「東西六間〓〓」「南北七間〓〓」「みえいどう?」 file:御影堂新善光寺墓地007.jpg| file:御影堂新善光寺墓地001.jpg| file:御影堂新善光寺墓地003.jpg| file:御影堂新善光寺墓地004.jpg| file:御影堂新善光寺墓地002.jpg| file:御影堂新善光寺墓地005.jpg| </Gallery> ==組織== *2代目以降、男僧は連阿、尼僧は生一房と名乗った。 *「時宗御影堂派本山新善光寺の研究に基づく *[[鳥辺山墓地]]に墓地がある。 ===歴代連阿=== *1:王阿:1305年9月27日死去。 *2:連阿:1307年11月25日死去。 *3:連阿:1335年7月1日死去。 *4:連阿:1358年8月4日死去。 *5:連阿:1378年7月17日死去。 *6:連阿: *7:連阿:1458年5月27日死去。 *8:連阿: *9:連阿:1485年12月23日死去。 *10:連阿: *11:連阿: *12:連阿:1523年6月19日死去。 *13:連阿: *14:連阿: *15:連阿:1531年3月1日死去。 *16:連阿: *17:連阿:1559年4月18日死去。 *18:連阿:1564年9月10日死去。 *19:連阿: *20:連阿: *21:連阿:1580年4月2日死去。 *22:連阿:1582年2月15日死去。 *23:連阿: *24:連阿:1593年8月13日死去。 *25:連阿:1630年1月8日死去。 *26:連阿: *27:連阿: *28:連阿: *29:連阿: *30:連阿: *31:連阿: *32:連阿: *33:連阿: *34:連阿: *35:連阿:1660年5月2日死去。 *36:連阿: *37:連阿: *38:連阿:某年9月25日死去。 *39:連阿:1686年死去。 *40:連阿: *41:連阿:1704年2月17日死去。 *42:連阿: *43:連阿: *44:連阿: *45:連阿: *46:連阿: *47:連阿: *48:連阿艸原:1743年7月12日死去。 *49:連阿:1752年5月2日死去。 *50:連阿: *51:連阿:1826年12月25日死去。 *52:連阿: *53:連阿: *54:連阿:1793年1月7日死去。 *55:連阿: *56:連阿:1826年12月24日死去。 *57:連阿: *58:連阿義教:1859年6月18日死去。 *59:連阿: *60:連阿: *61:連阿: *62:連阿豪応: *63:連阿学音:浄信寺住職。1919年5月28日死去。 *64:連阿学樹:浄信寺住職。 ===歴代生一房=== *1:如仏: *2:円仏: *3:生一房: *4:生一房: *5:生一房: *6:生一房: *7:生一房: *8:生一房: *9:生一房: *10:生一房: *11:生一房: *12:生一房: *13:生一房: *14:生一房: *15:生一房: *16:生一房: *17:生一房: *18:生一房: *19:生一房: *20:生一房: *21:生一房: *22:生一房: *23:生一房: *24:生一房: *25:生一房: *26:生一房: *27:生一房: *28:生一房: *29:生一房: *30:生一房: *31:生一房: *32:生一房: *33:生一房: *34:生一房: *35:生一房: *36:生一房: *37:生一房: *38:生一房: *39:生一房: *40:生一房: *41:生一房: *42:生一房:西仏 *43:生一房: *44:生一房: *45:生一房: == 資料 == ===古典籍=== *『京御影堂新善光寺略縁起』:1734年(享保19年)。 *「御影堂新善光寺甲号明細書(乙号付加)」:時宗教務院第121号文書 *『古事類苑』「新善光寺」 *『時宗王阿派本末牒』 ===文献=== *古賀克彦1997「時宗御影堂派本山新善光寺の研究―新出史料紹介も兼ねて」『仏教史学研究』40-2 [[category:京都府]] [[category:滋賀県]]
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