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松平家の祭祀
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
松平家の祭祀
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'''松平家'''。[[徳川家]]、[[徳川将軍家]]も参照。[[源氏]]とされる。 == 歴代 == *1松平親氏(生没年不詳):世良田有親の子とされる。永享の乱で幕府の追及を受けて上野国新田荘得川村を出る。落ち延びて[[無量光寺]]で父と共に[[時宗]]の僧侶となり、徳阿弥と称したという伝説がある。無量光寺滞在中、高野山蓮華院の院主と師檀関係を結んだという(1439年のこととされる)。のち三河国加茂郡の松平郷に移り住んだとされる。岡崎時宗光明寺に僧としていたとも。1377年、豊田市六所神社を創建(のち岡崎に分社)。1392年、豊田市曹洞宗妙昌寺を創建という。高月院を創建したともいう。菩提寺は[[法蔵寺]]。墓所は[[信光明寺]]、高月院。[[無量光寺]]に髪塔がある。木造坐像が松平郷松平家に伝わる。芳樹院後山徳翁。 *2松平泰親(生没年不詳):松平親氏の子(弟とも)。松平郷を出て額田郡岩津に拠点を構えた。1426年、若一王子社を創建。父の菩提寺として法蔵寺を創建。1436年死去とも、1472年死去ともいう。墓所は信光明寺、高月院。 *3松平信光(1404-1488):松平泰親の子(一説に松平親氏の子)。応永28年、岩津の中根大膳を破る。伊勢貞親の家臣となる。1461年に三河妙心寺を嫡男の菩提寺として創建。1471年(1479年とも)安祥城を攻略。や岡崎を攻略した。1488年7月22日死去。墓所は信光明寺。 *4松平親忠(1431-1501):松平信光の子。伊賀八幡宮を創建。墓所は高月院。 *5松平長親(1473-1544): *6松平信忠(1486-1531): *7松平清康(1511-1535):墓所は[[三河・大林寺]]。1535年、高野山蓮華院に納骨される。 *8松平広忠(1526-1549):[[徳川家康]]の父。瑞雲院殿応政道幹。成烈院殿。大樹寺殿。墓所は[[松応寺]]、[[三河・大林寺]]、法蔵寺、[[清光寺]]。霊廟は大樹寺にあったが廃絶した。 ==一覧== *[[信光明寺]]: *[[大樹寺]]: *[[法蔵寺]]: *[[三河・大林寺]]: *[[無量光寺]]: *[[妙源寺]]: *[[三河・称名寺]]: *[[伊賀八幡宮]]: *[[岡崎・六所神社]]: *[[龍城神社]]: *[[松平東照宮]]: *[[法蔵寺東照宮]]: *[[大浜東照宮]]: ==分家== *[[越前松平家]] *[[松江松平家]]:越前松平家の分家 *川越松平家:同上 *糸魚川松平家 *大給松平家 *滝脇松平家:大給松平家の分家。 *[[高松松平家]] *松山松平家 *浜田松平家 *[[明石松平家]] *大須賀松平家 *[[宮津本荘家]] *前橋松平家 *[[深溝松平家]]:三河国深溝城主。のち諸藩を転々として島原藩主となる。歴代藩主は[[神葬祭]]により、[[曹洞宗]]の[[三河本光寺]]の[[深溝松平家墓地]]に葬られた。 *[[久松松平家]]
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