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木曽御嶽信仰の教団
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
木曽御嶽信仰の教団
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{|class="wikitable" style="width:800px;margin:0 auto;" |- | style="text-align:center;background-color:#ededed"|'''木曽御嶽信仰の教団''' |- | *[[目次#日本編|日本編]] >> [[目次#神道|神道]] >> [[目次#信仰系譜|信仰系譜]] >> [[木曽御嶽信仰]] >> [[木曽御嶽信仰の教団]] *[[目次#日本編|日本編]] >> [[目次#修験道|修験道]] >> [[目次#霊場・信仰系譜|霊場・信仰系譜]] >> [[木曽御嶽信仰]] >> [[木曽御嶽信仰の教団]] |- |style="text-align:center;"| [[ファイル:Ontake_D002_御嶽教_木曽大教殿03.jpg|300px]] [[ファイル:Ontake_B010_木曽御嶽本教_総本庁01.jpg|300px]]<br> 左:御嶽教 木曽大教殿 右:木曽御嶽本教 総本庁 <!-- |- | <googlemap version="0.9" lat="34.488448" lon="132.824707" type="map" zoom="6" width="800" height="500" controls="large"> http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&vps=1&jsv=327b&brcurrent=h3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244&msa=0&output=nl&msid=208806612508013451037.00049d0477a8ef1823383 </googlemap> --> |} [[category:系譜記事]] ==概要== 木曽御嶽信仰の教団。木曽御嶽信仰においては、日本の伝統的宗教団体の一類型である「講社」が活動の単位となる。そのため、木曽御嶽信仰の教団はこれら講社の連合体という性格が基礎となっている。伝統的な御嶽講においては、所属教団にアイデンティティを置くことは少ない。 教団に所属しない御嶽講もあり、また木曽御嶽信仰とは直接関わりのない教団に所属している御嶽講も少なくない。 逆に木曽御嶽信仰とは関わりがないものの、便宜的に木曽御嶽信仰の教団に所属している宗教団体もある(ある宗教団体が便宜的に他の信仰を持つ宗教団体に所属することは日本の宗教状況において一般的なことである。)。 ==一覧== 以下の一覧は菅原壽清「御嶽信仰の展開」(2002『木曽御嶽信仰』岩田書院)に基づくものである。ただし、文化庁編『宗教年鑑』で木曽御嶽信仰関係の教団として挙げられている「いのちの会」を加えてある。 上記論文では、木曽御嶽信仰の教団を、御嶽大神を主神とする教団、御嶽大神を合祀する教団、所属に御嶽講を含む教団の三つに分類している。御嶽大神を合祀する教団に神理教が含まれているなど、他資料では確認できていない記述もあるが、仮にそのまま従った。 なお下記のほか、御嶽教に所属していたことがある教団として、[[大本]]、天壌教本院(山口県防府市)、天照教(北海道室蘭市)などが知られている(『新宗教教団・人物事典』)。 {|class="wikitable" |+ ! style="width:10%"|分類 ! style="width:20%"|名称 ! style="width:30%"|所在地 ! style="width:40%"|概要 |- |御嶽大神を主神とする教団 |'''[[御嶽教]]''' |奈良県奈良市大渕町3775 |木曽御嶽信仰を代表する教団。 |- |御嶽大神を主神とする教団 |'''[[木曽御嶽本教]]''' |長野県木曽郡木曽町三岳3790-5 |戦後、[[黒沢御嶽神社]]が中心となって設立された教団。黒沢口を利用する講社が中心に所属している。 |- |御嶽大神を主神とする教団 |御嶽山大教 |埼玉県八潮市鶴ヶ曽根625 |御嶽教所属教会のうち、本部の奈良移転に反対する東京の御嶽教所属教会が御嶽教より離脱して結成した教団である。 |- |御嶽大神を主神とする教団 |御嶽山修正派 |新潟県阿賀野市山口町1-7-11 |青木幸吉は昭和9年水原町に御嶽講を設立。同年、御嶽教教師となる。昭和14年御嶽教水原教会となる。戦後、昭和21年独立して、御嶽教修正派となる。のち御嶽山修正派に改称か。(『宗教便覧』132頁) |- |御嶽大神を主神とする教団 |御嶽山曽間本教 |愛知県一宮市春明裏山27-1 |戦後、昭和27年法人登記。 |- |御嶽大神を主神とする教団 |得神教 |大阪府 |吉田重次郎が設立。現在は解散か。 |- | |いのちの会 |大阪府大阪市阿倍野区美章園2-2-22 |吉田重次郎の教えを継承して、森蔭彬韶が昭和37年に設立。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |日之本教 |兵庫県朝来市山東町迫間381-地の2 |石田栄公は大正7年御嶽教所属の日之本教会を設立。昭和21年独立。信仰対象は「大日ノ大神」という。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |徳光教 |静岡県三島市南町2-29 |金田徳光は大正1年、大阪に「御嶽教徳光大教会」を設立。大正6年に神道大教に転属し「神道徳光大教会」となった。金田徳光の死後、「教祖派」と「参教派」に分裂し、「参教派」が継承した。戦後、橋本郷見(元ひとのみち教団(のちPL教団)幹部)が神道大教より独立させて「神道徳光教会本部」を設立するが、「自然社中央教堂」に改組した。一方、金田徳光の親族を教主として奉じてきた生駒徳真は自然社設立に際して、三島支部を独立させて「徳光教」を設立した。[[徳光系教団]]を参照。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |天常教 |兵庫県佐用郡佐用町長尾 |石黒蒸は昭和6年、御嶽教天常教会を設立。昭和21年、御嶽教天常教会本部と改称。昭和23年に御嶽教より独立。昭和61年国道拡幅により現在地「天常の滝」に移転。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |日月教 |東京都目黒区中目黒 |森村恵十郎、近藤咲が創始者。明治37年、日月教会を設立。はじめ御嶽教に所属し、ついで実行教、ついで扶桑教に所属した。昭和21年独立。日月照大神を信仰する。現在は解散か。(『宗教便覧』124頁) |- |御嶽大神を合祀する教団 |みたま教 |千葉県千葉市中央区長洲2-1-2 |永田ふくは、秋田県大舘町で御嶽講を組織する。ついで神道天善教会の教師となるが、夫の転勤により、千葉に移住。ここで御嶽教所属の天善教会を設立した。昭和24年、みたま教として御嶽教から独立した。山梨県甲府市の御嶽(金峰山の麓)に大本山を建立。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |日之教 |東京都新宿区高田馬場4-29-30 |佐久間日光は、父の死をきっかけに霊界探求に没頭して、大正4年、写真乾板の超自然的感光により、神実在の証を得たという。大正6年、新研究所を設立するが、便宜上御嶽教に所属して、御嶽教統一教会を設立。昭和2年御嶽教現神教会と改称。昭和21年日之教として独立した。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |直霊教 |兵庫県豊岡市大磯町 |山本定延が明治36年、御嶽教塩釜教会を設立。死後、その養子山本駒吉が継承したが、昭和21年、解散して、直霊大教会を設立し、翌年登記した。現在は解散か。(『宗教便覧』133頁) |- |御嶽大神を合祀する教団 |智覚山民主教教団 |長野県上伊那郡辰野町辰野下辰野柳町1613 |根橋梅太郎が明治中期に智覚講社を設立。昭和4年、現在地に御嶽大神を祀る智覚山御嶽教会を設立。昭和9年に御嶽教に所属して御嶽教智覚山伊那教会となる。戦後、御嶽教より独立して智覚山民主教教団と称する。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |神道国清教 |東京都中野区白鷺1-9-24 |不詳。 |- |御嶽大神を合祀する教団 |神宣教 |大阪府大東市諸福6-4-8 |御嶽教教師であった福井仁兵衛は、大正13年に御嶽教三日月教会を設立。しかし、昭和16年に御嶽教を離脱して宗教結社・神宣教総本部を設立。昭和25年、宗教法人となる。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |神徳教団 |東京都世田谷区松原5-22-8 |神永久三郎は昭和8年に御嶽教教師となり、四谷に教会を建てるが、戦災により焼失して現在地に遷る。昭和25年御嶽教から独立。(『新宗教教団・人物事典』) |- |御嶽大神を合祀する教団 |[[神理教]] |福岡県北九州市小倉南区徳力5-10-8 |教派神道の教団。明治21年9月から明治27年10月19日の独立まで御嶽教に所属していた。 |- |御嶽大神を合祀する教団 |大本元教教団 |長野県諏訪郡下諏訪町新町上4052 |鈴木啓月が創始者。昭和24年設立。29年に法人認証。(『新宗教教団・人物事典』) |- |所属に御嶽講を含む教団 |[[神道修成派]] |東京都杉並区松庵北町80 |教派神道の教団。所属教会には御嶽講の教会が多い。与野御嶽神社隣接地に本部を置いていたことがある。あるいは本郷にあった本部も「御嶽神社」と通称されていたことがある。 |- |所属に御嶽講を含む教団 |[[神習教]] |東京都世田谷区新町3-21-3 |教派神道の教団。所属教会には御嶽講の教会が多い。本部が「御嶽神社」と通称されていたことがある。 |- |所属に御嶽講を含む教団 |[[神道大教]] |東京府東京市麻布区笄町139 |教派神道の教団。 |- |所属に御嶽講を含む教団 |[[禊教]] |山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3401 |教派神道の教団。 |- |所属に御嶽講を含む教団 |[[神道大成教]] |東京都渋谷区神宮前6-5-3 |教派神道の教団。明治13年から明治15年9月28日の御嶽教独立まで[[御嶽教]]を傘下としていた。 |- |所属に御嶽講を含む教団 |[[実行教]] |埼玉県さいたま市北区盆栽町377-3 |[[角行系富士信仰]]の教団。不二道。 |- |所属に御嶽講を含む教団 |[[丸山教]] |神奈川県川崎市多摩区登戸1274 |[[角行系富士信仰]]の教団。 |- |所属に御嶽講を含む教団 |[[本山修験宗]] |京都府京都市左京区聖護院中町15 |[[修験道]]本山派([[天台宗]]系)の教団。 |} <gallery> ファイル:ontake C006 霊神場06.jpg|神習教の霊神碑(御嶽山王滝口 クルミ沢霊神場) ファイル:ontake C006 霊神場07.jpg|神道修成派の霊神碑(御嶽山王滝口 クルミ沢霊神場) </gallery>
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