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浄金剛院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
浄金剛院
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{|class="wikitable" style="width:350px;" align=right |- |style="text-align:center;background-color:#ededed" colspan="2"|'''浄金剛院'''<br>じょうこんごういん <!-- |- |style="text-align:center;" colspan="2"|[[|350px]] --> |- |style="background-color:#ededed;width:100px;"|概要 |後嵯峨天皇の離宮亀山殿の付属寺院。浄土宗西山派嵯峨流の発祥寺院。後嵯峨天皇陵・亀山天皇陵がある。廃絶。 |- |style="background-color:#ededed"|奉斎 | |- |style="background-color:#ededed"|所在地 |京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒 |- |style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡) |山城国葛野郡 |- |style="background-color:#ededed"|関連記事 | |- |style="text-align:center;" colspan="2"| <googlemap version="0.9" lat="35.016079" lon="135.674758" type="map" zoom="15" width="350" height="300" controls="large"> 35.016454, 135.673757, 浄金剛院 このあたり跡地 </googlemap> |} [[category:個別記事]] [[category:京都府]] ==概要== 後嵯峨天皇の離宮亀山殿に付属して創建された寺院である。現在の嵯峨[[天龍寺]]のあたりにあった。 後嵯峨天皇は道観証慧に帰依して、道観証慧を開山として当寺を創建。 当寺は[[浄土宗]]西山派嵯峨流の拠点となった。 後嵯峨天皇は、亀山殿の別院薬草院で火葬され、亀山殿に隣接していた浄金剛院に法華堂が建立されて納骨された。亀山天皇も亀山殿の裏山で火葬され、同法華堂に納骨された。浄金剛院の古図には法華堂が記されている<ref>天龍寺蔵『山城国嵯峨亀山殿近辺屋敷地指図』</ref>。しかし、足利尊氏による天龍寺創建により、亀山殿跡地周辺は大幅に区画整理をされ、浄金剛院も廃絶し、陵墓は所在不明となった。幕末、文久の修陵に際して、谷森は地名から考証して、陵墓旧地を確定した。同地にあった舎利殿と経蔵を撤去し、新たに法華堂2堂を建立し、「浄金剛院法華堂」と称した。現在の[[後嵯峨天皇陵]]、[[亀山天皇陵]]である。 当寺の鐘が[[妙心寺]]に現存している。698年(文武2年)の銘がある日本最古の鐘で『徒然草』に記述がある。 ==画像== <gallery> File:Gosaga-kameyama-tenno-ryo_002.jpg|後嵯峨天皇陵 File:Gosaga-kameyama-tenno-ryo_004.jpg|後嵯峨天皇陵 File:Gosaga-kameyama-tenno-ryo_003.jpg|亀山天皇陵 </gallery> ==参考文献== *高橋慎一朗、2007『浄土宗西山派史話 人と寺院』 *中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版 ==脚注== <references/>
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