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浄土宗の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
浄土宗の人物旧跡
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[[浄土宗]]の[[諸師旧跡]]。際立った事績を持つ[[浄土宗]]僧侶の旧跡。開祖'''法然'''(1133-1212)については[[法然旧跡]]を参照。 == 一覧 == ===初期=== *蔵俊(1104-1180):[[法相宗]]僧。[[興福寺]]権別当。京都[[誓願寺]]の伝承では、同寺21世になったあと、法然に帰依し、寺を譲ったとされる。教明房。墓所不明。 *[[重源]](1121-1206):[[東大寺]]を復興した[[真言宗]]僧。法然から浄土教を学ぶ。各地に念仏別所を建てる。俊乗房、南無阿弥陀仏。墓所は 奈良の三笠霊苑。 *顕真(1130-1192):[[天台宗]]僧。隠棲していた大原に法然を招き、'''大原談義'''を開き、疑義を質した。その後は法然を支持した。天台座主。墓所不明。 *円照(1139-1177):藤原通憲の子。法然は彼から専修念仏の教えを得る。法然は西山広谷の房(のちの[[山城・光明寺]])を譲られ、また彼と出会えたことが生涯の喜びと語る。遊蓮房。墓所不明。 *[[熊谷直実]](1141-1207):鎌倉時代の武将。源平合戦で平敦盛を打ったことを機にのちに出家。[[山城・光明寺]]など重要寺院の開山とされる。蓮生房、法力房。各地に墓所・供養塔がある。 *明遍(1142-1224):真言宗の浄土教僧。藤原通憲の子。佐渡に配流の後、東大寺で三論宗を学ぶ。のち南都浄土教の聖地であった[[光明山寺]]に隠棲。の法然に師事したともされる。[[高野山]][[蓮華三昧院]]を創建。のち'''高野聖'''の祖とされる。高野山と京都を往復したときの旧跡に[[明遍寺]]がある。墓は高野山にある。 *'''[[九条兼実]]'''(1149-1207):[[九条家]]の祖。関白失脚後に出家。法然の主著『選択本願念仏集』は彼のために書かれた。墓所は[[東福寺]]にある。 *住蓮(?-1207):承元の法難で処刑される。墓所は、[[京都・安楽寺]]や[[住蓮坊古墳]]にある。 *遵西(?-1207):承元の法難で処刑される。安楽房。墓所は住蓮と同じ。 *行空(生没年不詳):承元の法難で破門となる。法本房。福岡県八女市星野に墓所がある。 *[[信空]](1146-1228):'''白川門徒'''の祖。[[叡空]]に師事し、法然の弟弟子に当たるが、のち法然に師事した。法然没後の教団の長老格を務める。[[金戒光明寺]]の開山。法蓮房。墓所不明。 *[[隆寛]](1148-1227):多念義[[長楽寺流]]の開祖。嘉禄の法難で陸奥配流となるが、相模国飯山に流された。法然、感西の房舎中の房を受け継いだという。厚木市飯山の[[光福寺]]に墓所。 *感西(1153-1200):書に優れ法然の代筆などしたという。大谷の房舎中の房を譲られたというが、死去。真観房。墓所不明。 *明達勇道(1154-1217):陸奥開教の開拓者。宮城県栗原市の[[往生寺]]、青森県の[[西光寺]]、[[西光院]]、[[梵場寺]]など多くの寺院を創建した。金光房。青森県青森市浪岡に墓所がある。 *'''[[弁長]]'''(1162-1238):事実上の主流である[[鎮西流]]の開祖。'''二祖'''。[[善導寺]]を創建。九州などに多数の寺院を創建。聖光房。墓所は善導寺。 *[[幸西]](1163-1247):'''一念義'''の開祖。承元の法難で阿波配流の処分が下るが、[[慈円]]の取りなしで助かる。嘉禄の法難で壱岐配流。成覚房。墓所不明。 *[[宇都宮頼綱]](1172-1259):鎌倉時代の武将。証空に師事。嘉禄の法難で法然遺骸奉遷に尽力。実信房蓮生。墓所は[[三鈷寺]]や下野[[清巌寺]]にある。 *'''[[親鸞]]'''(1173-1262):承元の法難で流罪。[[浄土真宗]]の開祖となる。墓は[[大谷祖廟]]、[[大谷本廟]]など。 *禅勝房(1174-1258):[[天台宗]]僧であったが、熊谷直実の説法を受けて、法然の弟子となる。故郷の[[遠江・蓮華寺]]を念仏道場とし、遠江布教の先鞭を付けた。墓所は蓮華寺近くにある。 *[[湛空]](1176-1253):'''嵯峨門徒'''の祖。[[二尊院]]に住す。法然の伝記を編纂。正信房。墓所は二尊院にある。 *'''[[証空]]'''(1177-1247):[[西山流]]の開祖。法然の主著『選択本願念仏集』の編纂に携わる。師に代わり九条兼実に講義をする。[[当麻曼荼羅]]を重視した。善恵房。墓所は[[三鈷寺]]にある。 *[[源智]](1183-1239):[[知恩院]]と[[知恩寺]]の基礎を築いた。'''紫野門徒'''の祖。源平合戦で戦死した平師盛の遺児という。法然から『一枚起請文』を授けられる。勢観房。墓所は知恩寺にある。 *[[長西]](1184-1266):[[九品寺派]]の祖。京都[[九品寺]]を開く。覚明房。墓所不明。 ===鎌倉時代=== *信恵(1205-1281):紫野門徒。源智の弟子。[[知恩寺]]3世。白旗流の良忠と教義を照らし合わせたら違いがなかったので、紫野門徒は白旗流に帰入したと伝わるが後世の作為と言われる。蓮寂房。 *唱阿性心(1163-1247):[[藤田派]]の開祖。良忠の弟子。水沼上人、秩父上人。墓所不明。 *[[静遍]](1166-1224):真言宗僧であるが、『選択集』を読み、法然に帰依。平頼盛の子。源頼朝の帰依を受けたという。[[禅林寺]]、[[高野山往生院]]に住す。禅林寺法印、大納言法印、心円房、真蓮房。墓所不明。 *道観証慧(1195-1264):西山[[嵯峨流]]の開祖。証空の弟子。[[浄金剛院]]を開く。墓所不明。 *観鏡証入(1196-1245):西山[[東山流]]の開祖。証空の弟子。[[阿弥陀院]]を開く。寂静房。墓所不明。 *[[良忠]](1199-1287):鎮西[[白旗流]]の開祖。弁長の弟子で'''三祖'''。浄土宗関東布教の拠点となる[[鎌倉・光明寺]]を開く。記主禅師。然阿。墓所は光明寺。 *聖達(生没年不詳):[[時宗]]開祖一遍の師で、証空の弟子。[[肥前・知恩寺]]を開く。墓所不明。 *'''法興浄音'''(1202-1271):西山[[西谷流]]の開祖。証空の弟子。[[京都・光明寺]]の開祖で、[[禅林寺]]を浄土宗に改宗したとされる。後嵯峨天皇、亀山天皇の帰依を受けた。墓所は光明寺後身の[[専念寺]]にある。 *'''円空立信'''(1213-1284):西山[[深草流]]の開祖。証空の弟子。深草に[[真宗院]]を創建。[[後深草天皇]]の帰依を受けた。極楽房。墓所は真宗院にある。 *遊観(生没年不詳):証空の弟子か。[[三鈷寺]]に住す。墓所不明。 *礼阿然空(?-1297):鎮西[[一条流]]の開祖。良忠の弟子。[[仁和寺]]西谷に[[法光明院]]を開く。墓所不明。 *慈心良空(?-1297):鎮西[[木幡流]]の開祖。良忠の弟子。宇治木幡の[[宇治・尊勝寺|尊勝寺]]を創建。多くの著作があったと言われるが、現存しない。墓所不明。 *'''[[一遍]]'''(1234-1289):[[時宗]]開祖。聖達の弟子で、証空の孫弟子に当たる。墓所は摂津[[真光寺]]。 *承空(生没年不詳):西山派の僧。宇都宮泰綱の子で[[宇都宮頼綱|頼綱]](実信房蓮生)の孫に当たる。遊観の弟子で、証空の孫弟子とされる。康空示導の師。[[三鈷寺]]に住す。玄観房。墓所不明。 *了音(生没年未詳):西山[[六角流]]の開祖。法興浄音の弟子。京都大宮六角に住んでいたという。墓所不明。 *'''[[一向俊聖]]'''(1239-1287):[[一向流]]の踊り念仏の開祖。良忠の弟子。[[大隅八幡宮]]で不断念仏を行ったときに託宣を受け、[[宇佐八幡宮]]で踊り念仏を修した。[[蓮華寺]]を復興。墓所は蓮華寺にある。 *如円真空(?-1292):円空立信に師事。[[真宗院]]、竜護殿に住す。墓所不明。 *顕意道教(1239-1304):聖達に師事した後、円空立信に師事。[[竹林寺]]に住す。[[真宗院]]を復興。墓所は真宗院にある。 *尊観良弁(1239-1316):鎮西[[名越流]]の開祖。良忠の弟子。鎌倉名越に[[鎌倉・善導寺]]を創建。いくつかの著作があったが不詳。定蓮社。墓所は、善導寺後身の[[鎌倉・安養院]]にある。 *道光了慧(1243-1330):鎮西[[三条派]]の開祖。京都三条の[[京都・悟真寺|悟真寺]]を開き、弁長や良忠の伝記を編纂した。伏見天皇に円頓戒を授けたという。望西楼、蓮華堂、広済和尚。墓所不明。 *良暁寂慧(1251-1328):鎮西白旗流では'''四祖'''とされる。良忠の子ともいう。多数の著作を執筆し、名越流の尊観と正統を争った。白旗上人。墓所不明。 ===室町時代=== *向阿是心(1265-1345):鎮西[[一条流]]発展の基礎を築く。礼阿然空の弟子で、[[清浄華院]]を拠点に皇室と接近し、当時の浄土宗各流派で最大の勢力となった。証賢。墓所は[[西光庵]]。 *康空示導(1286-1346):西山[[本山流]]の開祖。証空の墓所である[[三鈷寺]]の玄観房承空に師事し、継承する。[[後醍醐天皇]]の戒師となったという。墓所不明。 *澄円(1290-1371):元に渡り、[[廬山]][[東林寺]]に学ぶ。帰国後、堺に旭蓮社[[大阿弥陀経寺]]を創建。墓所不明。 *'''[[聖冏]]'''(1341-1420):[[白旗流]]では'''七祖'''とされる。五重相伝を定めた。[[伝通院]]を創建。酉蓮社了誉、三日月上人。墓所は伝通院。 *良栄理本(1346-1428):鎮西[[名越流]]の五祖。流派の拠点となる[[円通寺]]を創建。墓所不明。 *'''聖聡'''(1366-1440):[[増上寺]]開山。聖冏に師事。鎮西白旗流では'''八祖'''。大蓮社酉誉。墓所不明。 *隆尭(1369-1449):[[清浄華院]]の定玄に学ぶ。[[一条流]]発展の拠点となる[[浄厳院]]を創建。浄厳坊。墓所は浄厳院。 *教空龍芸(??):[[法蔵寺]]を開き、三河で[[深草流]]が発展する礎を築く。墓所不明。 *'''真阿'''(1385-1440):[[後亀山天皇]]皇子。[[誓願寺]]38世恵空道禅に師事。[[一念寺]]を再興。[[十念寺]]を創建。義恩。墓所は十念寺。 *等煕(1396-1462):[[清浄華院]]住職。[[称光天皇]]の病気を直したという。浄土宗で初の国師号「'''仏立慧照国師'''」を贈られた。墓所不明。 *祐崇(1426-1509):[[鎌倉光明寺]]住職。[[後土御門天皇]]の帰依を受けて、勅願寺となった。紫衣着用を許され、'''十夜法要'''を創始した。如空、長蓮社観誉。墓所不明。 *愚底(1445-1516):[[知恩院]]23世。松平親忠([[徳川家康]]の祖先)の帰依を受け、[[大樹寺]]を創建。真蓮社勢誉。墓所は千葉[[医王寺]]。 *存牛(1469-1549):松平親忠(徳川家康の祖先)の子。知恩院25世となり復興。尊蓮社超誉。高顕真宗国師。墓所不明。 ===近世=== *'''[[称念]]'''(1513-1554):[[捨世派]]の開祖。江戸[[天智庵]]、京都[[一心院]]を創建。三蓮社縁誉。墓所不明。 *'''清玉'''(生没年不詳):[[織田信長]]の帰依を受けた。[[阿弥陀寺]]を創建。[[東大寺]]本願。生誉。墓所は阿弥陀寺にある。 *以八存易(1539-1614):袋中の兄。[[捨世派]]の僧。[[誕生寺]]を復興。宮島に[[安芸・光明院]]を創建した。行蓮社信誉。墓所は廿日市潮音寺にある。 *貞安(1539-1615):安土法論に参加。[[大雲院]]を創建。敬蓮社聖誉。墓所は近江[[妙金剛寺]]にある。 *[[幡随意]](1542-1615):[[知恩寺]]33世。[[藤田流]]から白旗流に帰参。[[幡随院]]を創建。キリシタンの糾明を担当。演蓮社智誉向阿。墓所は和歌山[[万性寺]]にある。 *存応(1544-1620):[[増上寺]]中興、12世。[[徳川家康]]の帰依を受け、増上寺を徳川家菩提寺とした。[[関東十八檀林]]制度を確立。慈昌、貞蓮社源誉、普光観智国師。墓所は増上寺安蓮社にある。 *'''[[弾誓]]'''(1552-1613):念仏行者。捨世派の僧とみなされる。[[天台宗]]僧ともみなされる。佐渡で阿弥陀如来から仏頭を授与されたという。[[古知谷・阿弥陀寺]]など多くの寺院を開く。阿弥陀寺で即身仏となった。 *[[袋中]](1552-1639) [[名越派]]の僧。琉球に渡る。墓所は西方寺。 *果空俊弌():[[禅林寺]]37世。徳川家康と二条城で面会し、当流総本寺と認められ、西山派諸法度を受けたという。墓所不明。 *霊巌(1554-1641):[[霊巌寺]]を創建。[[知恩院]]32世となり、火災に見舞われた伽藍を復興。檀蓮社雄誉。墓所は霊巌寺。 *[[策伝]](1554-1642):[[誓願寺]]55世。落語の祖と言われる。『醒睡笑』を記す。安楽庵。墓所は誓願寺。 *[[呑龍]](1556-1623):藤田流から白旗流に帰参。上野[[大光院]]などを創建。赤子を養育し、子育て呑龍と呼ばれた。信仰の対象となっている。源蓮社然誉大阿。墓所は大光院。 *尊照(1562-1620):[[知恩院]]中興、29世。徳川家康の帰依を受ける。「関東浄土宗法度」制定に関わり、浄土宗の総本山としての地位を固めた。行蓮社満誉。墓所不明。 *廓山(1572-1625):[[増上寺]]13世。存応に師事。[[伝通院]]の中興。浄土宗法度の草案を作成。江戸城で[[日蓮宗]]日経と宗論。定蓮社正誉、一実。墓所不明。 *大空恵雲(?-1699):[[光明寺]]35世だったが、『円頓戒補助儀』論争で追放され、除歴される。墓所不明。 *'''[[祐天]]'''(1637-1718):増上寺36世。盛んに念仏布教を行う。徳川綱吉や家宣の帰依を受けた。[[鎌倉大仏]]を復興。愚心、明蓮社顕誉。[[祐天寺]]に祀られ、墓所もある。 *'''忍徴信阿'''(1645-1711):[[浄土宗興律派]](浄土律)の祖。直伝、ついで万無に師事。京都で[[西明寺]]を訪れ、律院に感銘を受ける。西明寺、[[神鳳寺]]での修行を臨んだが、[[真言宗]]寺院であるため、念仏を許されず、入らなかった。山城八幡の[[山城・正法寺]]に滞在。知恩院に晋山した万無に招かれ、京都の[[法然院]]を創建した。宣誉。墓所不明。 *性憲慈空(1646-1719):西山派の興律派の僧。[[真言律宗]]の慈忍慧猛に師事し、菩薩戒を受ける。深草の[[真宗院]]を復興。墓所不明。 *霊潭性澂(1676-1734):興律派の僧。肥前出身。藤原氏。忍徴信阿に師事。律は真言律宗の[[安養寺]]戒山慧堅に学ぶ。京都に[[聖臨庵]](照臨庵)を開く。墓所不明。 *信培湛慧(1676-1747):興律派の僧。京都出身。谷口氏。[[華開院]]息庵のもとで出家。霊潭性澂に戒律を学ぶ。京都[[長時院]]を再興。澄蓮社忍誉。墓所不明。 *無能(1683-1719):鎮西[[名越流]]、捨世派の僧。31歳で男根をたち、常坐不臥行を続けた。興蓮社良崇。墓所は無能寺。 *敬首祖海(1683-1748):興律派の僧。増上寺で出家。忍徴信阿に師事。江戸の[[正受院]]を律院とする。浄土律院規則を定めた初めともいう。下谷[[寿永寺]]に埋葬され、同寺も律院となる。 *忍海(1696-1761):興律派の僧。最初、増上寺鉄船に師事し、のち敬首祖海に学ぶ。増上寺宝松院に住す。宝蓮社曇誉。墓所不明。 *関通(1696-1770):興律派の僧。敬首祖海から菩薩戒を受ける。祐天にも学ぶ。多数の寺院を創建。一蓮社向誉。墓所不明。 *普寂徳門(1707-1781):興律派の学僧。真宗大谷派の寺院出身であったが、西山派を学び、のち興律派の[[長時院]]、[[長泉院]]に住した。墓所不明。 *'''[[徳本]]'''(1758-1818):念仏行者。江戸[[一行院]]を創建。各地を教化して巡歴した。名蓮社号誉称阿。墓所は一行院にある。 *[[播隆]](1782-1840):[[槍ケ岳]]開山。浄土宗には珍しい山岳信仰の行者。墓所は[[祐泉寺]]にある。 *唯念(1791-1880):念仏行者。[[富士山]]麓に[[滝沢寺]]を開く。特異な書体の名号碑を各地に建てた。墓所不明。 ===近代=== *[[山崎弁栄]](1859-1920):[[光明主義]]の開祖。晩年、[[時宗]][[無量光寺]]住職となる。光明学園を設立。 *椎尾弁匡(1876-1971):増上寺住職。共生運動を唱える。大正大学学長。 [[category:人物旧跡]]
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