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小豆島五社八幡宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
小豆島五社八幡宮
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==概要== '''小豆島五社八幡宮'''は応神天皇小豆島行幸の行在所に鎮座する五社の八幡宮。'''伊喜末八幡神社'''、'''富丘八幡神社'''(潮土山)、'''亀山八幡神社'''(池田)、'''内海八幡神社'''(亀甲山・苗羽)、'''葺田八幡神社'''(福田)の五社より構成されている。祭神はいずれも「応神天皇、神功皇后、姫太神」である(『小豆郡誌』)。 ==由緒== 『日本書紀』によると応神天皇は即位22年9月に、行幸の旅に出た。淡路島を経て小豆島に上陸した。『日本書紀』には具体的記述はないが、小豆島には次のような伝説がある。応神天皇が最初に上陸したのは吉備ケ崎で、付近で休息した(伊喜末八幡神社)。同地より再び乗船し、沿岸を周って双子浦の潮土山(富丘山)の麓に停泊して上陸した(富丘八幡神社)。景勝地であったのでこの場で宿泊した。宿泊した場所に柏の木を植えた(宝生院の真柏)。翌朝、陸路、池田の里に向かい、途中の八幡山にて島玉神を祀った(島玉神。孔雀園跡地)。生田の森から乗船した(亀山八幡神社)。三都半島を超えて、内海水木の御荷ケ崎(鬼ケ崎)に着船した。そこから北へ向かい、奇勝といわれる神懸山(寒霞渓)に登山。そこで狩猟した。下山して馬目木台(宮山、亀甲山)に至る。再び狩猟してここに宿泊した(内海八幡神社)。翌朝、旭峠を超えて、橘港より乗船。吉備に向かおうとするが、風波のため、福田港に寄港した。突然のことだったので、田中に丸木と刈穂による行宮を建てた(福田八幡神社)。以上、主に『香川県史蹟名勝天然記念物調査報告 第3巻』に依った。 五社の八幡宮は、いずれも926年(延長4年)の創建とされる。7月23日、八幡神より託宣がくだり、創建された。最初に創建されたのは富丘八幡宮で、石清水八幡宮より分霊を迎えて、9月に鎮座したという。ほかの八幡神社は次いで創建された。ただし、内海では内海八幡神社の創建以前から馬目木台(宮山、亀甲山)の山頂に応神天皇を祀ってきたとされ、'''内海八幡神社元宮'''が祀られている。富丘、亀山、内海、葺田の四社はいずれも郷社で、伊喜末のみ村社であった。亀山八幡神社の境内には護国神社がある。先述の内海八幡神社元宮境内には招魂社がある。葺田八幡神社には磐座がある。 ==参考文献== 『小豆郡誌』、『香川県史蹟名勝天然記念物調査報告 第3巻』
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