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南都仏教の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
南都仏教の人物旧跡
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[[南都仏教]]の[[諸師旧跡]]。 ==一覧== ===飛鳥時代=== *善信尼(): *[[本多善光]](生没年不詳):伝説的な人物。[[善光寺]]を創建。 *慧慈(?-623):高句麗からの来日僧。595年(推古3年)来日。聖徳太子の師匠。飛鳥寺に住す。615年(推古23年)に高句麗に帰国し、聖徳太子の『三経義疏』を広めたという。恵慈。 *慧聡(生没年不詳):百済からの来日僧。595年(推古3年)来日。聖徳太子の師匠。飛鳥寺に住す。 *観勒(生没年不詳):百済からの来日僧。三論宗。602年(推古10年)、来日。暦、天文、方術を請来。624年(推古32年)、上奏して僧官制度が定められると日本最初の僧正となった。 *[[聖徳太子]](574-622):用明天皇皇子。慧慈と慧聡に学ぶ。[[法隆寺]]を創建。 *旻(?-653):入隋僧。新漢人氏。608年(推古16年)に小野妹子らと共に入隋。隋から唐への変革期に24年間滞在し、632年(舒明4年)帰国。僧旻。中臣鎌足や蘇我入鹿に儒教を講じた。645年(大化1年)、僧侶統制のための十師制を提唱し、自らも十師となった。孝徳天皇に信任された。 *恵隠(生没年不詳):入隋僧。志賀漢人氏。608年(推古16年)に小野妹子らと共に入隋。31年間にわたり滞在し、639年(舒明11年)帰国。翌年、『無量寿経』の講義を行い、一説に日本浄土教の始祖とみなされる。誓願寺を創建したとされている。 *[[道昭]](629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。玄奘に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。元興寺に禅院を設けた。日本初の大僧都。死後、日本で初めて火葬された。 *[[定慧]](643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。[[長安]]の[[慧日道場]]で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を[[多武峰]]に築き、[[妙楽寺]]を開いたとされる。貞慧。 *[[役小角]](生没年不詳):修験道の開祖。699年(文武3年)、伊豆大島に流される。 *智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。 *智達(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。 *智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。 ===奈良時代=== *道明(生没年不詳):長谷寺の開祖。六人部氏。弘福寺に住す。 *[[徳道]](656-?):辛矢田部氏。播磨国揖保郡出身。道明に従い、[[長谷寺]]を創建。[[西国霊場]]の創始者。墓所は、姿を消した地とされる[[長谷寺法起院]]にある。 *[[義淵]](?-728):法相宗僧侶。市往氏(一説に阿刀氏)。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。[[龍門寺]]、[[龍蓋寺]]、[[龍福寺]]などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。墓所は、[[菅生寺]]にある。 *[[行基]](668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。墓所は、[[大和・竹林寺]]。 *玄昉(?-746):法相宗六祖。法相宗第四伝。阿刀氏。義淵に師事。入唐して智周に学び、[[玄宗]]から紫衣を賜う。多くの経典を持って帰国し興福寺系の法相宗の祖となる。政界でも[[吉備真備]]と共に権勢をふるうが、[[藤原広嗣]]の乱を経て[[観世音寺]]に左遷された。墓は、観世音寺にある。 *恵灌(生没年不詳):三論宗初伝。高句麗出身。隋で[[吉蔵]]に学ぶ。625年来日して元興寺に入る。河内国に[[井上寺]]を創建した。 *智蔵(生没年不詳):三論宗第二伝。禾田氏。[[天智天皇]]の時に入唐。 *智光(生没年不詳):元興寺の僧侶。三論宗を智蔵に学ぶ。[[智光曼荼羅]]を感得したとされる。多くの著作が現存。 *頼光(生没年不詳):元興寺の僧侶。智光と共に智蔵に三論宗を学ぶ。極楽往生して智光の夢に現れ、極楽浄土の風景を智光に見せる。 *道慈(?-744):三論宗第三伝。額田氏。大和国添上郡出身。702年(大宝2年)入唐。長安の西明寺に滞在し、元康に三論宗を学び、[[善無畏]]に密教を伝授される。718年(養老2年)帰国。西明寺を模して[[大安寺]]を整備。大般若経転読会を始める。『愚志』を著し仏教界批判を行った。 *神叡(?-737):法相宗六祖。元興寺の学僧。一説には唐の出身。義淵に学び、法相宗、華厳宗、三論宗に通じる。現光寺で虚空蔵菩薩から自然智を感得。自然智宗の祖となったともいう。芳野僧都。 *審祥(生没年不詳):日本華厳宗の開祖。新羅に留学。入唐し、法蔵に華厳宗を学ぶ。帰国後は[[大安寺]]に住す。740年(天平12年)から良弁の招きで、東大寺で日本初の華厳宗講義を行う。 *[[鑑真]](688-763):来日僧。[[東大寺戒壇院]]、[[唐招提寺]]を創建。墓所は、唐招提寺にある。 *[[良弁]](689-774):[[東大寺]]開山。[[石山寺]]開山。[[義淵]]に[[法相宗]]を学び、[[審祥]]に[[華厳宗]]を学ぶが、雑密も学んだ。東大寺四聖。墓は、[[開善寺]]跡にある。 *慈訓(691-777):[[興福寺]]別当1世。河内国丹比郡出身。船氏。興福寺で法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶ。藤原仲麻呂と関係が深く、失脚後は道鏡によって少僧都を解任されたが、道鏡左遷後は復帰した。 *道セン(702-760):律宗・華厳宗の来日僧。唐の許州出身。衛氏。[[嵩山]]普寂に禅と華厳を学ぶ。栄叡らの招請で菩提僊那らとともに来日し、東大寺大仏開眼の呪願師を務めた。北宗禅を日本に伝える。『華厳経章疏』を初めて伝え、日本華厳宗の祖でもある。大安寺に禅院を設置。 *[[菩提僊那]](704-760):東大寺四聖。インド出身。婆羅門僧正。[[五台山]]巡礼のために唐を訪れていたが、日本の遣唐使の要請でベトナム僧仏哲、中国僧道センと共に736年(天平8年)に来日。752年(天平勝宝4年)の東大寺大仏の開眼法要で導師を務めた。[[霊山寺]]に墓。 *隆尊(706-760):義淵に法相宗、華厳宗を学ぶ。[[舎人親王]]に戒師の招請を建議して鑑真来日のきっかけを作った。東大寺大仏開眼法要の講師を務めた。 *[[栄叡]](?-749):律宗の入唐僧。美濃出身。戒律の師を求めて天平5年(733)に普照とともに入唐。道センの招聘に成功。さらに鑑真の渡来に画策するが、その最中、[[端州龍興寺]]で客死。 *普照(生没年不詳):律宗の入唐僧。戒律の師を求めて天平5年(733)に栄叡とともに入唐。道セン、鑑真の招聘に成功。[[東大寺唐禅院]]に住し、[[西大寺]]大鎮となる。業行。 *[[道鏡]](?-772):日本唯一の法王になった僧侶。河内国若江郡出身。弓削氏。義淵や良弁に学ぶ。[[葛城山]]で如意輪法を修す。762年(天平宝字6年)、宿曜法で[[孝謙上皇]]の病を治し、寵愛を受けて765年(天平神護1年)太政大臣禅師、766年(天平神護2年)法王となった。[[西大寺]]、[[西隆寺]]を創建した。769年(神護景雲3年)に[[宇佐八幡]]神託事件を起こす。770年(宝亀1年)の[[称徳天皇]]の崩御後、造[[下野・薬師寺]]別当に左遷された。墓所は、[[龍興寺]]にある。 *法進(709-778):天台宗の来日僧。唐の申州(あるいは明州)出身。王氏。鑑真に師事し、律と天台を学んだ。[[揚州白塔寺]]にいた。師とともに天平勝宝5年(753)に来日。鑑真の[[東大寺戒壇院]]創建を助け、その初代戒和上となった。[[東大寺唐禅院]]に住す。 *行表(722-797):道センの弟子で、最澄の出家の師。大和出身。檜前氏。律、禅、法相、華厳を学ぶ。近江[[崇福寺]]寺主。晩年は吉野[[比蘇山寺]]で修禅に励む。 *善珠(723-797)法相宗六祖。阿刀氏。興福寺玄昉に学び、法相教学を築く。780年(宝亀11年)、[[秋篠寺]]を創建。[[最澄]]の招きで[[延暦寺]]根本中堂の落慶の導師を務めた。秋篠僧正。 *[[開成]](724-781):[[光仁天皇]]皇子。善仲、善算に師事。師の金字大般若経書写の遺志を継ぐ。[[勝尾寺]]を創建。皇室の治定墓が同寺にある。 *実忠(726-?):良弁の弟子。東大寺の財政健全化に貢献。東大寺修二会(お水取り)を創始。西大寺、[[西隆寺]]の造営にも関わる。東大寺権別当。 *報恩(?-795):760年(天平宝字4年)に[[子島寺]]を創建。備前出身。[[孝謙天皇]]、[[桓武天皇]]の病気平癒祈願を行う。[[吉野]]で修行。 *行賀(729-803):法相宗六祖。上毛野公氏。大和国広瀬郡出身。興福寺で学び、752年(天平勝宝4年)入唐。31年間にわたり滞在し、法相宗と[[天台宗]]を学ぶ。多くの経典を持ち帰った。興福寺別当。 *如宝(731-815):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。 *義静(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事。[[揚州興雲寺]]住職。唐招提寺で経蔵を整備。 *思託(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。 *法載(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。法蔵。 ===平安時代=== *玄賓(734-818):法相宗六祖。河内国出身。弓削氏。興福寺宣教に学ぶが、伯耆国に隠遁。805年(延暦24年)、[[桓武天皇]]の病気平癒祈願のため、京に呼び出された。備中国[[湯川山寺]]に隠遁。[[平城上皇]]の病気平癒祈願のために再び呼び出された。814年(弘仁5年)に備中に戻る。晩年、伯耆国に[[阿弥陀寺]]を創建。 *延鎮(生没年不詳):法相宗僧侶。798年(延暦17年)、[[坂上田村麻呂]]に帰依を受け、[[清水寺]]を創建。[[子島寺]]報恩に師事。 *常騰(740-815):法相宗六祖。高橋氏。興福寺で永厳に学ぶ。63巻の経論に注釈を加えた。[[梵釈寺]]別当、[[崇福寺]]検校を兼ねた。 *護命(750-834):法相宗僧侶。秦氏。美濃国各務郡出身。[[美濃国分寺]]で学び、元興寺万耀に師事。[[桓武天皇]]に授戒。[[最澄]]の大乗戒壇設置の主要に反対。 *[[勤操]](754-827):大和出身。[[秦氏]]。[[石淵寺]]で法華八講を創始。[[空海]]の師と言われ、一説には[[虚空蔵]]求聞持法を授けたともいう。東大寺別当、[[西寺]]別当を歴任。石淵僧正。 *[[徳一]](760?-840?):法相宗の僧侶。[[常陸・中禅寺]]、[[会津・慧日寺]]などを開く。 *豊安(764-840):三河出身。唐招提寺如宝に師事。唐招提寺5世となり伽藍整備を進める。[[平城上皇]]に授戒。 *景戒(生没年不詳):薬師寺の僧侶。『日本霊異記』(822年(弘仁13年)頃)の著者。 *[[霊仙]](生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。[[空海]]や[[最澄]]と同時に入唐。[[醴泉寺]]に滞在し、[[般若]]に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。[[五台山]]で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。 *修円(771-834?):小谷氏。興福寺賢璟に学び、師と共に[[室生寺]]を創建。興福寺別当。?生禅師。 *[[空海]](774-835):日本真言宗の開祖。[[東大寺真言院]]や[[空海寺]]を創建。 *[[行教]](生没年不詳):[[石清水八幡宮寺]]の開山。紀氏。行表に師事。860年(貞観2年)、石清水八幡宮を創建。[[益信]]の兄。 *[[聖宝]](832-909):[[修験道]][[当山派]]の開祖。[[真雅]]から真言宗、三論宗、法相宗、華厳宗を学ぶ。[[東大寺東南院]]を創建。理源大師。 *承俊(?-905):興福寺で出家。東大寺で法相宗と密教を学ぶ。[[醍醐天皇]]が[[勧修寺]]を創建したときに開山として招かれる。 *光智(894-979):華厳宗の僧。平氏。東大寺良緒に師事。961年(応和1年)、華厳宗の拠点として[[東大寺尊勝院]]を創建。 *定昭(906-983):[[興福寺一乗院]]を創建。藤原師尹の子。[[大覚寺]]住職を兼務。[[東寺]]長者。興福寺別当。[[金峰山寺]]検校。[[金剛峰寺]]座主。嵯峨僧都、一乗院僧都とも呼ばれる。: *隆禅(1038-1100):法相宗の僧。藤原政兼の子。[[興福寺大乗院]]開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。 *頼実(生没年不詳):法相宗の僧。大乗院2世。[[内山永久寺]]を創建。 *実範(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。[[中川寺]]を開く。唐招提寺を復興。本願。中川少将。少将上人。 *尋範(1101-1174):法相宗の僧。大乗院3世。藤原師実の子。内山永久寺に住す。内山僧正。 ===鎌倉時代=== *信円():興福寺を復興 *[[重源]]():東大寺大勧進 *[[栄西]]():東大寺大勧進 *[[明恵]]():[[高山寺]]創建 *[[貞慶]](): *良遍():[[東大寺知足院]]復興 *[[信空]]():西大寺長老2世 *[[俊ジョウ]](1166-1227):真言律宗[[泉涌寺流]]の開祖。[[泉涌寺]]開山。月輪大師、大興正法国師。 *[[覚盛]](1194-1249):真言律宗。大和出身。[[東大寺]]で自誓受戒。唐招提寺を復興。大悲菩薩。 *[[叡尊]](1201-1290):真言律宗[[西大寺流]]の開祖。大和出身。[[興福寺]]の学侶慶玄の子。[[醍醐寺]]叡賢に師事。東大寺で自誓受戒。思円房。興正菩薩。 *円晴(): *[[忍性]](1217-1303):大和出身。伴氏。真言律宗西大寺流。叡尊、覚盛に師事。[[鎌倉・極楽寺]]を創建。[[四天王寺]]別当。忍性菩薩。 *円照(1220-1277):東大寺の僧。[[東大寺戒壇院]]中興と言われる。大和出身。藤原氏。叡尊、禅恵、[[良忠]]に師事。東大寺戒壇院主。[[円爾]]にも師事。東大寺大勧進職。実相。 *証玄(1220-1292):真言律宗唐招提寺流の僧。覚盛に受戒。唐招提寺を継ぐ。円律。 *[[導御]](1223-1311):大和出身。大鳥広元の子。[[法金剛院]]、[[壬生寺]]の中興。唐招提寺証玄に師事。[[法隆寺]]夢殿で[[融通念仏]]を広めるように[[聖徳太子]]の託宣を得る。壬生寺、[[清涼寺]]などの大念仏会を実施した。円覚十万上人。 *凝然(1240-1321):東大寺の僧。伊予出身。藤原氏。[[延暦寺戒壇院]]で受戒。東大寺円照に師事。華厳、倶舎、律、三論、法相、天台、真言、禅、浄土の各宗に精通し、『八宗綱要』などを記す。東大寺戒壇院長老、唐招提寺長老を務める。示観房。凝然大徳。示観国師。 *宣瑜(1240-1325):叡尊に師事。伊勢[[弘正寺]]住職を経て[[西大寺]]3代長老。[[花園天皇]]の帰依を受けた。浄覚。 *湛睿(1271-1347):凝然、禅爾に師事。[[下総東禅寺]]などに住す。[[武蔵称名寺]]第3代長老となる。華厳学の大家でもあった。金沢文庫に多くの仏典の写本を残す。本如。 *文観(1278-1357):真言律宗西大寺流の僧。[[立川流]]の大成者。[[播磨一乗寺]]で学び、叡尊のもとで律僧となる。[[大和竹林寺]]長老。[[報恩院流]]を学ぶ。[[東寺]]大勧進、[[醍醐寺]]座主を歴任。弘真、文観房殊音、小野僧正。 ===南北朝時代=== ===室町時代=== *志玉(): *経覚():[[蓮如]]の師 ===江戸時代=== *公慶():東大寺大勧進 *湛海(1629-1716):真言律宗の僧。伊勢出身。山田氏。神鳳寺円忍の教えを受ける。宝山寺の開山。仏像彫刻の名匠。宝山律師。 ===近代=== *佐伯定胤(): *高田好胤(): *大西良慶(): [[category:人物旧跡|*]]
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