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観世音寺戒壇院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''観世音寺戒壇院'''は、福岡県太宰府市の[[観世音寺]]にある[[戒壇院]]。本尊は[[盧舎那仏]]。[[東大寺戒壇院]]、[[下野・薬師寺戒壇院]]と共に三戒壇の一つ。元は観世音寺四十九院の一つ。現在は独立寺院で、[[臨済宗妙心寺派]]。山号は宝珠山。 ==歴史== 天平宝字5年(761)観世音寺の西南隅に建立。 康和4年(1102)8月、暴風で倒壊。 保安元年(1120)、観世音寺が[[東大寺]]末となる。年2回、4月8日と11月28日に行われた。 中世末には衰退。近世初頭には草堂が残るだけだったが、寛文9年(1669)、崇福寺の智玄が来訪し、勧進して本尊を修復。 同じ頃、福岡藩家老鎌田昌勝が戒壇堂を再建。 延宝6年(1678)[[法隆寺]]の正洞が来住して以後、律僧が住する。 延宝8年(1680)天王寺屋浦了夢が戒壇堂を改築。 この頃から[[筑前・聖福寺|聖福寺]]、[[承天寺]]、[[博多・崇福寺|崇福寺]]、[[筑前・妙楽寺|妙楽寺]]の4禅寺の支配を受けるようになる。 4寺と観世音寺は争論を経て、元禄16年(1703)6月9日、戒壇院を独立の寺院とする 天明2年(1782)、法忍が退任して禅僧の住職となるが、寛政9年(1797)快厳が入り再び律宗となった。 しかしまた臨済宗寺院となったらしい。 [[Category:福岡県]]
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