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当麻寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
当麻寺
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'''当麻寺'''(たいまでら)は、奈良県北葛城郡当麻町にある[[浄土教]]・[[南都仏教]]の寺院。[[葛城山]]の二上山の東麓に位置する。現在は[[当麻曼荼羅]]が本尊だが、元は[[弥勒菩薩]]を本尊としていたという。[[中将姫]]の伝説で知られる。元は当麻氏の氏寺だったとみられている。[[聖徳太子建立四十六寺]]の一つ。[[当麻寺中之坊|中之坊]]などの[[高野山真言宗]]の寺院と[[当麻寺奥院|奥院]]などの[[浄土宗知恩院派]]の寺院により、護持されている。'''禅林寺'''、'''万法蔵院'''ともいう。山号は二上山。 == 歴史 == ===創建=== 創建ははっきりしないが、麻呂子親王が兄の[[聖徳太子]]の教えを受けて二上山の西麓の河内国山田に創建したという。現在、[[科長神社]]のそばに当麻寺旧地と伝える寺院跡がある。 当麻国見が現在地に移転。天武9年に着工し、天武13年に竣工したという。恵灌を導師として落慶法要を行ったという。当初の本尊は[[弥勒如来]]で現存する。当麻氏は麻呂子親王の子孫と伝える。 ===古代=== 奈良時代には三論宗を標榜した。天平宝字7年(763)、[[中将姫]]が蓮の糸で観無量寿経変相図、いわゆる当麻曼荼羅を織り上げたという。 空海が参籠したとの伝承もある。 ===中世=== 平安時代後期には大和国の他の寺院と同様に[[興福寺]]末となる。当麻曼荼羅の伝承が広まり、曼荼羅堂が寺院の中心となった。南北を中心軸とする古代伽藍を残しつつ、西方浄土を拝む形となる曼荼羅堂が中心に境内が再編成。他に類を見ない伽藍配置を形成した。現在も行われている聖衆来迎練供養会式は[[源信]]が始めたという。治承4年(1180)の平氏の南都焼討と同時に当麻寺も襲撃され、一部の伽藍を失った。現在の金堂と講堂はこの後の再建時のものである。[[浄土宗]][[西山派]]の派祖の[[証空]]は当麻曼荼羅を重視し、曼陀羅相承の伝授を始めた。[[一遍]]も参詣して賦算したという。応安3年(1370)、[[知恩院]]12世誓阿が塔頭往生院を創建。誓阿は知恩院の本尊御影像と『法然上人絵伝』を移したと伝えるが不詳。のち「知恩院の奥之院」を名乗って[[当麻寺奥院]]と称した。 ===近世=== 300石を領した。 ==伽藍== *本堂:曼荼羅堂。当麻曼荼羅を祀る。 *金堂:弥勒如来を祀る。 *講堂:阿弥陀如来を祀る。 *東塔 *西塔 *薬師堂 *大師堂 *糸繰堂 *仁王門:東大門 *娑婆堂 ==塔頭== *[[当麻寺中之坊|中之坊]]:真言宗 *松室院 *不動院 *西南院 *竹之坊 *[[当麻寺奥院|奥院]]:浄土宗 *護念院 *念仏院 *来迎院 *紫雲院 *極楽院 *千仏院 *宗胤院 [[Category:奈良県]]
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