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延暦寺宝幢院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
延暦寺宝幢院
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'''延暦寺宝幢院'''は、滋賀県大津市の[[比叡山]][[延暦寺]]の西塔地区東谷にあった[[天台宗]]寺院。本尊は[[千手観音]]・[[不動尊]]・[[毘沙門天]]。[[最澄]]が構想した十六院の一つ。現在の[[延暦寺転法輪堂|釈迦堂]]の北東にあった。廃絶したが、付属の[[延暦寺相輪塔|相輪塔]]が存続している。宝幢院は'''西塔地区の総称'''として使うこともある。'''法華延命宝幢院'''。(参考:同名寺院[[宝幢院]]) == 歴史 == 付属する相輪塔のほうが建立が早い。相輪塔は最澄存命中の820年(弘仁11年)9月、自筆の法華経など22部58巻の経典を納めるために建立。最澄の死後、宝幢院の堂宇は、西塔地区を管轄する恵亮が嘉祥年間(848-851)に惟仁親王([[清和天皇]])の[[御願寺]]として建立。親王の即位を祈願したという。恵亮は宝幢院検校の初代。859年(貞観1年)8月には涅槃経と維摩経の年分度者2人が認められた。堂宇は南北朝時代までには廃絶したらしい。織田信長の焼き討ち以前には跡地に恵亮堂があったという。鎮守として[[伊勢信仰|伊勢]]・[[八幡]]・[[賀茂]]・[[鹿島]]・[[熱田]]・[[山王信仰|山王]]を祀る六所社があった。相輪塔は再建を繰り返して現存する。(日本歴史地名大系) [[Category:滋賀県]]
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