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西観音寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
西観音寺
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'''西観音寺'''(にしかんのんじ)は摂津国三島郡(大阪府三島郡島本町山崎)にあった[[天台宗]]寺院。本尊は[[十一面千手観音]]。[[離宮八幡宮]]の神宮寺の一つ。山号は慈悲尾山。'''慈悲尾山寺'''とも。廃絶。(参考:同名寺院[[観音寺]]) ==歴史== 天平年間、[[行基]]が[[聖武天皇]]の念持仏を祀って創建。天王山の西麓にあるが、西観音寺という名は山の反対側にある観音寺(山崎聖天)に対して呼ばれたというが不詳。地獄から蘇生したという[[小野篁]]が[[閻魔]]像を祀ったという。平安時代末の寛弘年間に焼失。1154年(久寿1年)、八戸重忠が再興した。鎌倉時代、[[水無瀬殿]]にいた[[後鳥羽上皇]]がたびたび参詣したという。 のち後鳥羽上皇の菩提を弔うため女院が西観音寺に山を寄進した1252年(建長4年)の寄進状が残る。 元禄年間には[[延暦寺正覚院]]末となっていた。近世を通じて[[宝積寺]]と共に[[離宮八幡宮]]に奉仕した。 明治の神仏分離で、僧侶が還俗して廃絶し、[[椎尾神社]]となった。 本堂は、禁門の変で焼失した観音寺の本堂として移築。閻魔像は[[宝積寺]]に移されて現存する。 (日本歴史地名大系) ==伽藍== *本堂 *常行堂 *三重塔 *五社明神 *鐘堂 *経蔵 *閻魔堂 ==子院== *宝泉院 *明王院 *円修院 *橘園院 [[Category:大阪府]]
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