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神職・神道家の旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
神職・神道家の旧跡
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==概要== ==時代別== ===大和時代=== *[[天武天皇]] ===飛鳥時代=== *[[聖徳太子]] *[[役小角]](生没年不詳):[[葛城山]]に住んだという経歴不詳の人物。のち[[修験道]]開祖に仮託される。'''神変大菩薩'''。 *[[藤原鎌足]](614-669):[[藤原氏]]の祖。[[談山神社]]祭神。 ===奈良時代=== ===平安時代=== *[[空海]] *[[最澄]] *斎部広成(生没年不詳):[[忌部氏]]。『古語拾遺』著者。 *[[安倍晴明]](921-1005):陰陽家。[[土御門家]]の祖。伝説的な事跡が多い。『ホキ内伝』著者に仮託される。[[晴明神社]]などの祭神。 *顕広王(1095-1180):[[白川伯王家]]の祖。[[花山天皇]]の五世王。王氏長者。神祇伯の世襲に道を開く。 ===鎌倉時代=== *卜部兼方(生没年不詳):学者。[[卜部氏]](平野流)。『釈日本紀』を撰述。 *度会行忠(1236-1305):[[伊勢神道]]家。[[外宮]]禰宜。[[内宮]]と外宮が争った皇字論争で、外宮側の中心的役割を果たした。 ===南北朝・室町時代=== *度会家行(1256-1356):[[伊勢神道]]を大成。[[外宮]]禰宜。南朝を支援した。 *度会常昌(1263-1339):伊勢神道家。外宮禰宜。 *[[北畠親房]](1293-1354):公卿。[[後醍醐天皇]]の近臣。南朝の中枢として活躍。『神皇正統記』『職原鈔』などを記す。 *忌部正通(生没年不詳):神道家。『神代巻口訣』の著者。 *一条兼良(1402-1481):摂政。太政大臣。関白。古典・有職に通じた学者。『公事根源』『日本書紀纂疏』。[[卜部氏]]とも親交があり、秘伝の神道説を伝えた。'''桃華老人'''、'''三関老人'''。 *[[吉田兼倶]](1435-1511):[[吉田神道]]の開祖。 *荒木田守武(1473-1549):内宮禰宜。伊勢俳諧の祖。飯尾宗祇・宗長を敬慕し、『新撰菟玖波集』に入選。霊社に祭られ、現在、[[伊勢・宇治神社]]に合祀。'''弥武彦神霊'''。 *清原宣賢(1475-1550):儒学者。神道家。吉田兼倶の三男。交友が広く、若狭武田氏、越前朝倉氏の下にも赴き講義した。絶えかけた吉田神道の学統を吉田兼右に伝えた。彼の神道説を'''清家神道'''とも呼ぶ。'''環翠軒'''。 ===近世=== *清順(?-1566):伊勢[[慶光院]]住職3世。[[熊野]]出身という。諸国を勧進し、宇治橋の造替を実現。後奈良天皇から院号を許された。永禄6年(1563)、[[外宮]]の遷宮を復興させた。 *周養(?-1611):伊勢慶光院住職4世。正親町天皇の綸旨を得て諸国を勧進し、天正13年、両宮同時の式年遷宮を実施し、約120年ぶりに完全復興を実現させた。[[織田信長]]、[[豊臣秀吉]]からも援助を引き出す。 *[[徳川家康]](1542-1616):初代将軍。[[日光東照宮]]祭神。'''東照大権現'''。 *[[天海]](1536?-1643):[[山王一実神道]]を創始。日光東照宮を創建。'''慈眼大師''' *[[長谷川角行]](1541?-1646?):[[角行系富士信仰]]の開祖。[[富士講]]、[[扶桑教]]、[[実行教]]の開祖にも仮託される。 *[[梵舜]](1553-1632):僧侶。[[吉田神道]]家。[[吉田家]]出身。[[豊国神社]]造営、徳川家康葬儀に関わる。 *[[林羅山]](1583-1657):儒学者。'''理当心地神道'''を創唱。 *萩原兼従(1588-1660):吉田神道家。 *[[徳川義直]](1600-1650):[[尾張徳川家]]の祖。林羅山から神道を学ぶ。 *河辺精長(1601-1688):神宮大宮司。出口延佳に師事。山崎闇斎に中臣祓を伝授。[[伊勢神宮]]の古儀復興に勤め、遷宮の諸制度、摂末社の再興に尽力した。 *[[中江藤樹]](1608-1648):儒学者。 *池田光政(1609-1682):岡山藩主。[[熊沢蕃山]]などの儒学者を登用。[[閑谷学校]]を設置。寺請制度に代わり、'''神道請制度'''を実施。社寺合併政策を進める。[[岡山神社]]・[[閑谷神社]]祭神。'''芳烈公'''。'''武安霊命'''。 *保科正之(1611-1672):会津藩主。垂加神道家。[[土津神社]]祭神。'''土津霊神'''。 *度会延佳(1615-1690):国学者。外宮権禰宜。現在の皇学館大学につながる'''豊宮崎文庫'''を創設。豊宮崎文庫内に霊社があった。'''出口延佳'''。 *[[吉川惟足]](1616-1694):[[吉川神道]]の開祖。萩原兼従に師事。初代[[神道方]]。山崎闇斎とも交流。 *[[山崎闇斎]](1618-1682):[[垂加神道]]の開祖。儒学者。'''垂加霊社'''。 *[[徳川光圀]](1628-1700):[[水戸徳川家]]2代。水戸学の創始者。彰考館を創設し、『大日本史』編纂を始める。[[常磐神社]]祭神。'''義公'''。'''高譲味道根命'''。 *[[橘三喜]](1635-1703):橘神道を唱える。一樹霊神。[[橘三喜墓|墓所]]は埼玉県さいたま市緑区宮本にある。[[一樹神社]]祭神。 *[[身禄]](1671-1733):角行系富士信仰の行者。富士講の開祖に仮託される。 *[[熊沢蕃山]](1619-1691):儒学者。京都生まれ。息游軒。神儒一致を説く。岡山藩主池田光政に仕えるが、藩の神社政策に関わる。中江藤樹に師事。幕府に嫌疑を掛けられ、『大学或問』により古河に幽閉。 *貝原益軒(1630-1714):儒学者。本草家。庶民教育家。福岡藩士。先祖は吉備津神社社家という。いくつかの神社縁起を執筆。神儒一致を旨とした。 *[[契沖]](1640-1701):国学者。[[真言宗]]僧侶。摂津尼崎生まれ。下河辺長流に師事。[[円珠庵]]住職。サンスクリット学に通じ、本居宣長らに大きな影響を与える。 *出雲路信直(1650-1703):垂加神道家。[[下御霊神社]]神職。[[山崎闇斎]]に師事。垂加神道を広め、興隆に導いた。'''八塩道翁'''。'''八塩道霊社'''。 *大山為起(1651-1713):垂加神道家。[[伏見稲荷大社]]社家の出身。山崎闇斎に師事。松山藩主松平定直の招きで味酒神社(現・[[阿沼美神社]])神職となり、松山で教化。境内に自らの魂を祀った生祠「'''葦水霊社混沌宮'''」を創建。'''葦水霊社'''。 *浅見絅斎(1652-1711):朱子学者。近江国高島郡出身。山崎闇斎に師事。 *正親町公通(1653-1733):垂加神道家。参議、権大納言、武家伝奏を歴任。山崎闇斎に師事し、その死後の中心的人物となる。闇斎の著書『風水草』を後西上皇に献上。'''風水翁'''、'''風水軒'''、'''須守霊社'''。 *[[霊元天皇]](1654-1732):第112代天皇<在位1663-1687>。朝廷古儀復興を望み、次の東山天皇のときに大嘗祭復興を実現させた。垂加神道を学んだ。[[下御霊神社]]祭神。'''天中柱皇神'''。 *土御門泰福(1655-1717):陰陽家。[[土御門神道]]の大成者。 *新井白石(1657-1725):儒学者。木下順庵に師事。将軍徳川家宣に仕え、文治政治を推進。古代史研究に合理主義的観点を持ち込む一方、[[吉田神道]]には高い評価を与えた。 *跡部良顕(1658-1729):垂加神道家。旗本家出身。柳生石舟斎の玄孫。竹下青山に師事。生祠が[[鹿島神宮]]内に祭られた。'''光海霊社'''。 *天野信景(1663-1733):国学者。名古屋藩士。吉見幸和とともに『尾張風土記』編纂に従事。実証的に歴史、地理、文学などを考察。『塩尻』が著名。神道関係の著書も多い。晩年は出家して'''信阿弥陀仏'''と名乗る。 *[[荷田春満]](1669-1736):国学者。 *吉見幸和(1673-1761):神道家。[[名古屋東照宮]]神職。実証的に古典を研究し、伊勢神道の『神道五部書』を偽書だと実証した。 *[[石田梅岩]](1685-1744):[[石門心学]]の祖。丹波桑田郡の農家出身。神儒仏道を基礎に道徳を説いた。商業を尊び、正直・倹約を強調した。 *[[賀茂真淵]](1697-1769):国学者。 *荷田在満(1706-1751):国学者。考証学者。京都生まれ。叔父荷田春満の養子。幕命で大嘗祭を考証し、『大嘗会便蒙』を著す。田安宗武にも仕える。 *[[竹内式部]](1712-1767):垂加神道家。宝暦事件で処分され、明暦事件で遠島となり、三宅島で病死。 *河村秀根(1723-1792):国学者。名古屋藩士。藩主徳川宗春の小姓として近侍する。吉見幸和にも師事。合理的・考証的な古典研究を確立。 *[[本居宣長]](1730-1801):国学者。 *栗田土満(1737-1811):国学者。神職。歌人。岡迺舎。遠江の[[平尾八幡宮]]社家の出身。賀茂真淵に入門。のち本居宣長に入門。神学的考察を行う。 *荒木田経雅(1742-1805):神宮学者。内宮禰宜。本居大平などと交流。『大神宮儀式解』30巻。 *荒木田久老(1746-1804):国学者。神宮神職。歌人。賀茂真淵に師事。本居宣長や橘守部などと親交。主著『万葉考槻の落葉』。'''五十槻園'''。 *本居大平(1756-1833):国学者。宣長の養子。 *植松有信(1758-1813):国学者。父は名古屋藩の浪人。版木屋を営み、本居宣長の著作を出版したのを契機に師事。 *本居春庭(1763-1828):宣長の長男。 *荒木田末寿(1764-1828):近世後期の代表的な神宮学者。本居宣長の弟子。平田篤胤とも交流。著書多数。'''桜屋翁'''。 *青柳種信(1766-1835):国学者。福岡藩士。本居宣長の弟子。地理や神社縁起の考証に優れる。 *佐藤信淵(1769-1850): *伴信友(1773-1846):国学者。 *[[平田篤胤]](1776-1843):国学者。 *[[黒住宗忠]](1780-1850):神道家。[[黒住教]]の開祖。備前の[[今村宮]]社家の出身。文化11年の冬至の朝、太陽を飲み込み、神と一体となる神秘体験を得る。翌年から講釈、禁厭を行い布教。[[宗忠神社]]祭神。'''宗忠大明神'''。 *[[会沢正志斎]](1782-1863):水戸学の儒学者。著書『新論』は尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。 *[[岡熊臣]](1783-1851):国学者。津和野派の祖。神職。[[富長山八幡宮]]祠官。本居宣長に思慕し、門下の千家俊信に入門。平田篤胤にも傾倒するが、入門はできなかった。[[神葬祭復興運動]]を起こし、勅許。 *足代弘訓(1784-1856):国学者。外宮神職。荒木田久老、本居春庭、本居大平、亀田末雅、芝山持豊に師事。国学、和歌、律令を学ぶ。社会問題への関心も高く飢饉の際に救援活動を行う。 *[[二宮尊徳]](1787-1856):思想家。 *[[井上正鉄]](1790-1849):[[禊教]]の開祖。館林藩士の子。[[水野南北]]に易学を学ぶ。念仏からヒントを得た禊行を創始。[[梅田神明宮]]神職。「新義異流」として三宅島配流。[[井上神社]]祭神。 *[[大国隆正]](1792-1871):国学者。津和野藩士。平田篤胤に入門。古賀精里に師事。藩校養老館で、福場美静などを育てる。明治初年の神祇行政に影響を与える。 *[[賀茂規清]](1798-1861):神道家。'''烏伝神道'''を提唱。[[賀茂別雷神社]]社家の梅辻家の出身。弟子に前黒羽藩主の大関増業が出来、支援を受ける。江戸に'''瑞烏園'''を開く。政治を批判した罪で、八丈島に遠島。その途中、三宅島で同様に流罪になっていた井上正鉄と交流。 *[[中山みき]](1798-1887):[[天理教]]の開祖。 *平田鉄胤(1799-1880):国学者。平田篤胤の娘婿。 *[[生田万]](1801-1837):国学者。館林藩士。志士。平田篤胤に師事。藩政改革を進言するが、受け入れられず追放。越後柏崎で桜園塾を開き、[[大塩平八郎]]の乱に触発され決起し、自決。'''大中道人'''。 *後醍院真柱(1805-1879):国学者。鹿児島生まれ。鹿児島藩士。江戸で平田篤胤に入門。藩校造士館の訓導。維新政府では皇学所、大学、教部省に出仕。 *伊能穎則(1805-1877):神道家。国学者。歌人。下総国香取郡佐原町出身。平田鉄胤に師事。[[香取神宮]]の尚古館学師。明治政府に参画。[[香取神宮]]少宮司。 ===近代=== *権田直助(1809-1887):国学者。志士。医師。武蔵国入間郡の出身。[[平田篤胤]]に入門。「皇朝古医道」を提唱。尊皇攘夷運動に携わる。維新政府では大学に出仕し、国学・漢学論争に関わる。国事犯として逮捕。[[大山阿夫利神社]]祠官。 *有栖川宮幟仁親王(1812-1886):[[有栖川宮]]8代当主。幕末に[[孝明天皇]]の信任を得る。明治政府に参画し、初代神祇事務総督、神道教導職総裁を務め、祭神論争の終結にあたる。皇典講究所総裁。神道事務局総裁。 *[[金光大神]](1814-1883):[[金光教]]の開祖。備中の農家の出身。自宅建築を進める中、家族を次々と失う。金神の祟りとして恐れるが、信心を深め神のおかげを知って布教を始める。'''赤沢文治'''。 *鴻雪爪(1814-1904):[[御嶽教]]2代管長。彦根藩井伊家菩提寺の曹洞宗[[清凉寺]]住職だったが、維新後、宗教行政に関わる過程で還俗。神職となった。[[虎ノ門金刀比羅宮]]祠官。 *平山省斎(1815-1890):[[神道大成教]]の開祖。[[御嶽教]]の初代管長も務める。(略歴は[[神道大成教#組織]]を参照) *草鹿砥宣隆(1818-1869):国学者。神職。[[砥鹿神社]]社家出身。平田篤胤に入門し、三河の平田派の一翼を担う。[[神職離檀運動]]を起こし、実現。 *青山景通(1819-1891):国学者。苗木藩士。平田家に入門。明治初年、神祇官幹部として神宮改革、神社改革にあたる。[[三島大社]]宮司就任、ただちに辞任。 *[[矢野玄道]](1823-1887)国学者。平田派の重鎮。 *久邇宮朝彦親王(1824-1891):神宮祭主。伏見宮邦家親王の第4王子。[[青蓮院門跡]]を経て、天台座主。『神宮明治祭式』制定を上奏。 *[[岩倉具視]](1825-1883):政治家。権田直助、落合直亮らの草莽の国学者を糾合。維新政府の首脳となる。福羽美静を重用した。 *亀井茲監(1825-1885):津和野藩主。岡熊臣、大国隆正を登用し、養老館で講義させ、津和野派のグループを形成させた。維新政府の神祇行政を主導。 *飯田武郷(1827-1900):国学者。東京帝国大学教授。平田家に入門。高島藩士。伊那の国学者と交流。のち脱藩して、岩倉具視の下に集まる権田直助、落合直亮などと結束した。[[気比神宮]]、[[諏訪大社]]、[[貫前神社]]、[[浅間神社]]の宮司を歴任。『日本書紀通釈』 *黒川真頼(1829-1906):国学者。東京帝国大学教授。桐生の出身。文部省、元老院、宮内省などに出仕。『古事類苑』編纂に参加。帝室博物館や正倉院御物の整理にも貢献。 *[[新田邦光]](1829-1902):[[神道修成派]]の開祖。 *[[伊藤六郎兵衛]](1829-1894):[[丸山教]]の開祖。家に伝わる[[富士講]]を再興。妻の病気を機会に神託を得て、修行を行った。[[扶桑教]]に所属するが、のち[[神道大教]]に転属。 *久保季茲(1830-1886):国学者。鶴峯戊申に師事。教部省、宮内省に出仕。[[大神神社]]大宮司。皇典講究所文学部教授。 *[[福場美静]](1831-1907):国学者。津和野藩士。 *大石凝真素美(1833-1913):言霊学者。医学や国学を学ぶ。「ますみの鏡」説を創始。出口王仁三郎に影響を与える。 *稲葉正邦(1834-1898):[[神道大教]]初代管長。幕府老中。淀藩主。子爵。[[三島大社]]宮司。明治初年の神社行政に大きな影響力を持ち、神道事務局の設立に関わった。 *[[佐野経彦]](1834-1906):[[神理教]]の開祖。 *栗田寛(1835-1899):歴史学者。水戸の出身。彰考館に出勤して『大日本史』編纂に従事。維新政府では教部省に出仕して、『特選神名牒』編纂を行う。 *[[出口なお]](1836-1918):[[大本]]の開祖。 *[[芳村正秉]](1839-1915):[[神習教]]の開祖。 *鹿島則文(1839-1901):勤皇家。神職。[[鹿島神宮]]大宮司鹿島則孝の長男。鹿島神宮大宮司、[[伊勢神宮]]大宮司を歴任。神宮在職中、『古事類苑』編纂、林崎文庫の充実に尽力。蔵書桜山文庫の一部が、昭和女子大学に所蔵。 *井上頼国(1839-1914):国学者。高家旗本の出身。平田家に入門。権田直助から古医道を教わる。明治政府に参画し、[[大神神社]]少宮司。官職や神社の考証に携わる。『古事類苑』『賀茂真淵全集』を編纂。蔵書は無窮会神習文庫として残る。 *久米邦武(1839-1932):歴史家。佐賀藩士の家の出身。東京帝国大学教授となるが、「神道は祭天の古俗」事件で退職。 *浦田長民(1840-1893):神道家。神宮少宮司となり、神宮の大改革を実行した。『神宮明治祭式』を編纂。 *井上毅(1843-1895):官僚・政治家。熊本藩の家老の子。明治憲法、皇室典範、教育勅語の起草に関わった。 *[[宍野半]](1844-1884):[[扶桑教]]の教団設立者。国学者。 *[[千家尊福]](1845-1918):[[出雲大社]]宮司。[[出雲国造]]。[[出雲大社教]]初代管長。 *青山直道(1846-1906):苗木藩士。明治初年、藩大参事として領内の廃仏毀釈・神葬祭運動を進める。青山景通の子。 *川合清丸(1848-1917):神道家。社会教育家。伯耆の太一垣神社社家の出身。[[大神山神社]]権宮司。欧化する日本に危機を感じ、神儒仏を説く。大道社を結成。神仙道にも精通したという。 *[[宮地水位]](1852-1904):[[宮地神仙道]]の開祖。[[潮江天満宮]]社家の出身。 *青戸波江(1857-1929):神職。松江売布神社神職家の出身。[[神宮教院]]、東京帝国大学で学ぶ。内務省社寺局で神社祭式調査委員。神宮皇学館礼典講師。国学院大学教授。[[芝大神宮]]社司。 *[[川面凡児]](1862-1929):神道家。[[稜威会]]の開祖。現在の神社界で広く行われている禊行は彼が創始し、今泉定助の協力で、[[神宮奉斎会]]、大政翼賛会に採用され普及した。'''薫迺舎'''。 *今泉定助(1863-1944):神道家。[[神宮奉斎会]]会長。仙台藩士の子。白石神明社佐藤広見の養子となるが離縁。神道事務局生徒寮で学び、丸山作楽の薫陶を受ける。東京帝国大学卒業。『古事類苑』編纂に従事。国学院創設に尽力。 *上田万年(1867-1937):東京帝国大学卒業。チェンバレンに師事し、従来の国学を日本語の言語学研究に再構築した。神宮皇学館長。国学院大学長。 *[[出口王仁三郎]](1871-1948):[[大本]]の開祖。神道家。 *筧克彦(1872-1961):公法学者、神道思想家。東京帝国大学卒業。ドイツ留学。帰国して行政法を講じる。独自の神道神学と憲法論を展開した。 *加藤玄智(1873-1965):宗教学者、神道学者。東京の浄土真宗寺院の生まれ。東京帝国大学卒業。東大に設置された神道講座を担当した。明治聖徳記念学会を設立。 *久邇宮邦彦王(1873-1929):皇典講究所総裁。神宮臨時祭主。朝彦親王の王子。今上天皇の外祖父。 *柳田国男(1875-1962):日本民俗学の祖。 *河野省三(1882-1963):神職、神道学者。[[玉敷神社]]社司。国学院大学出身で、同大学長。同大日本文化研究所を設立。 *[[植芝盛平]](1883‐1969):合気道の創始者。武道家。[[大本]]の出口王仁三郎に師事し、神道思想を基盤に試合を行わない武道、合気道を生み出した。 *折口信夫(1887-1953):民俗学者、国文学者、神道学者。歌人。国学院大学卒業。柳田国男に出会い、民俗学研究に目覚める。古代信仰を独自の観点で考察した。国学院大学教授、慶応義塾大学教授。釈迢空。 *[[友清歓真]](1888-1952):[[神道天行居]]の開祖。 *御巫清直:墓所は伊勢の養草寺墓地 ==参考文献== *國學院大學日本文化研究所編、1999『神道辞典』弘文堂 [[category:人物旧跡|*]]
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