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願入寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
願入寺
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'''願入寺'''(がんにゅうじ)は、茨城県東茨城郡大洗町磯浜町(常陸国鹿島郡)にある[[浄土真宗]]寺院。[[如信旧跡]]。[[東本願寺]]の[[連枝]]・[[御坊]]。[[真宗大谷派]]だったが、戦後独立して原始真宗大本山を称す。'''大網御坊'''。山号は岩船山。 == 歴史 == [[親鸞]]孫の[[如信]]が陸奥国白川郡大網(福島県石川郡古殿町竹貫)に創建。孫の3世空如のときに'''願入寺'''と名乗ったという。8世如慶のときに那珂東郡小瀬郷大根田(常陸大宮市小瀬)、10世如了のときに那珂東郡菅谷(那珂市菅谷)に、如空のときに久慈東郡久米(常陸太田市久米町)に移転した。 1675年(延宝3年)の15世如高に[[徳川光圀]]から現在地を寄進され、移転した(光圀はこの前年に[[如信墓_常陸伝承地|如信の墓所]]に[[法龍寺]]を創建している)。 [[東本願寺]]14世琢如の次男如晴を迎え、如高の娘と結婚した。 子院として西念寺、正受寺、正安寺、法泉寺、林清寺、西行寺、乗船寺があった。 1864年(元治1年)の天狗党の乱で焼失。1873年(明治6年)仮堂再建。1917年(大正6年)暴風雨で仮堂倒壊。1933年(昭和8年)、大網綱子(のちの大網信照)が本堂再建を発願。1936年(昭和11年)、東本願寺大谷光暢が臨席して地鎮祭。1939年(昭和14年)、上棟式。戦争と住職死去で頓挫するが、1941年(昭和16年)、大網信照が住職継承。1962年(昭和37年)4月11日、本堂再建。この間に真宗大谷派を離脱したようだ。 1996年(平成8年)、石岡市照光寺旧本堂を移築して如信の像を祀る開基堂とした。 覚如の1332年(元弘2年/正慶1年)『二十四輩牒』を蔵する。 久米の旧地には[[正念寺]]が残る。 == 組織 == ===歴代=== *1[[如信]](1235-1300)<>:善鸞の子。本願寺2世。 *2浄如(1265-1340)<>:如信の三男とも、善鸞の長男(生没年は1236-1311)ともいうが、願入寺では如信三男説か。[[証誠寺]]を創建したとされる。円芸。 *3空如()<>:信芸。 *4如善()<>:聖芸。 *5如縁()<>:祐芸。 *6純如()<>:寿芸。 *7源如()<>:蓮芸。 *8如慶(?-1500)<>:兼清。 *9如賢()<>:兼乗。 *10如了()<>:兼昌。 *11如空()<>:兼信。 *12如正()<>:兼證。 *13如明()<>:兼空。 *14如観()<>:兼栄。 *15如高()<>:兼智。 *16如晴()<>:東本願寺14世琢如の次男。瑛兼。恵明院と号す。 *17如願()<>:性兼。 *18如詮()<>:性栄。 *19如英()<>:遍雄。 *20如海()<>:朗芸。 *21如実()<>:朗兼。 *22如證()<>:勝芸。 *23如兼()<>:大網勝秀。 *24如弘()<>:大網演照。連枝。 *25如照()<>:大網信照。大網演照の妻。 *26如現()<>:大網現琇。 *27如鸞()<>:大網義明。 (境内解説板) *未見「願入寺歴代住持記録」(『帰願寺文書』『福井県史』所収) ==参考文献== *2011『親鸞聖人関東ご旧跡ガイド』本願寺出版社 *国史大辞典 *日本歴史地名大系 *大洗町を元気にする会『大洗町アーカイブ』[http://rockwave.my.coocan.jp/20top/oarai_top.html] *寺西恵然1923『関東聖跡の巡礼』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969637/45] *1956『原始真宗大網門跡如信上人御本廟』 *『大網願入寺縁起』 *「巌船願入寺記」『大谷遺蹟録』 [[Category:茨城県]]
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