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一遍旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
一遍旧跡
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'''一遍'''(いっぺん)(1234-1289)は、[[時宗]]の開祖。踊り念仏と遊行賦算を広める。[[越智氏]]。伊予国出身。1234年2月15日生。父は河野通広。[[聖達]]の弟子で、[[浄土宗西山派]]開祖[[証空]]の孫弟子に当たる。1274年、[[阿弥陀如来]]の垂迹とされる[[熊野本宮大社]]で神勅を得て、全国を遊行賦算する。陸奥から薩摩まで巡って25万1724人に念仏札を授けたという。1289年8月23日兵庫観音堂で死去。墓所は摂津[[真光寺]]。現在では'''一遍上人'''とも呼ぶが、私度僧であり、当時は'''一遍聖'''と呼ばれていたらしい。 ==一覧== ===修行時代=== *[[伊予・宝厳寺]]:愛媛県松山市道後。一般に生誕地とされるが別説もある。出家した父'''河野通広'''(如仏)が隠棲していた。父は[[証空]]([[法然]]の弟子。[[西山派]]の祖)に師事していたという。 *[[継教寺]]:出家した[[天台宗]]寺院。所在地不明。10歳のとき、母の死を機に、'''縁教'''を師に出家し、'''随縁'''と称す。廃絶か。 *[[太宰府・無量寺]]:福岡県太宰府市連歌屋の原山にあった。13歳のとき、'''善入'''に伴われ、[[太宰府]]郊外の原山にいた[[聖達]](父と同じく証空の弟子)を訪ね、師事する。原八坊。廃絶。 *(肥前国清水):'''聖達'''の指示で'''華台'''に一年ほど学ぶ。華台は、聖達の法兄で、父通広の友人。一遍はこのとき初めて'''一遍房智真'''と名乗る。 *原山:聖達のもとに戻って12年間学ぶ。 *(伊予):父の死で帰国、還俗する。 **七郎大明神:現在の児守社([[湯神社]]境内)に合祀。父河野通広の霊廟。 *(九州):縁者に暗殺されかけたのを機に発心、弟の'''聖戒'''とともに再び太宰府の聖達の元に行く *[[善光寺]]:1271年春参詣。長野県長野市。二河白道の図を入手 *[[窪寺の草庵]]:1271年秋から3年間参籠。愛媛県松山市窪野町。二河白道の図を掛けて専修念仏の暮らしを送り、十一不二の偈を感得する。「己心領解の法門」。廃絶し、現在は「一遍上人窪寺遺跡」という名で石碑がある。 *菅生の岩屋:現在の[[伊予・岩屋寺]]。愛媛県上浮穴郡久万高原町。[[四国霊場]]第45番札所。49の岩窟があるとされ、1273年夏から半年間参籠し、遁世の生き方を定める。 ===遊行時代1:神勅を得る=== *(桜井):愛媛県今治市桜井。1274年(文永11年)2月8日の出発の数日後、桜井で聖戒と分かれる。 *[[四天王寺]]:大阪府大阪市天王寺区。浄土教の聖地。1274年(文永11年)参詣。この頃から賦算を始める。、ひと *[[高野山]]:和歌山県伊都郡高野町。1274年(文永11年)参詣。 **[[金剛峰寺国城院]]:一遍が創建ともいう?廃絶。高野聖の拠点だった。 **[[金剛峰寺本覚院]]:一遍ゆかりの熊野神社が今もあるという。 *[[熊野三山]] **[[熊野本宮大社]]:和歌山県田辺市本宮町。一人の僧と出会い、念仏札を渡すが「いま信心は起こらない」と言われてしまう。一遍は煩悶して参籠したところ[[熊野権現]]から神勅を得る。「信不信、浄不浄をえらばず、その札を配るべし」と。のち、これを時宗の開宗とみなす。1274年(文永11年)の参詣、1276年(建治2年)ともいう。 ***[[大斎原]]:一遍の石碑がある。 **[[熊野速玉大社]]:和歌山県新宮市。 ***名号碑:熊野川町日足。 **[[熊野那智大社]]:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町。参籠。 *[[京都]]:1275年(建治1年)、初の上京。 *伊予:1275年(建治1年)、弟の聖戒と会うため帰国。 *四国巡教:1275年(建治1年)、四国巡教。 *九州巡教:1276年(建治2年) **原山:聖達に再会。 **大隅正八幡宮:現在の[[鹿児島神宮]]。鹿児島県霧島市。 **[[豊前・永福寺]]:大分県別府市。伝記には寺の記述はないが、大友頼泰の帰依を受けて創建したという。 ===遊行時代2:信者、弟子衆の形成、親戚の墓参=== *(伊予) *[[厳島神社]]:1278年(弘安1年)参詣 *備前藤井の吉備津宮:神職の一族を信者とする。1278年(弘安1年)参詣 **[[安仁神社]]説:岡山県岡山市東区西大寺一宮。備前国一宮。 **[[備前・吉備津彦神社]]説:岡山県岡山市北区一宮。備前国一宮。 *京都 **[[因幡堂]]:京都府京都市下京区。1279年(弘安2年)滞在。 *信濃 **善光寺:1279年(弘安2年)、2度目の参詣。 **[[信濃・金台寺]]:1279年(弘安2年)、伴野庄(長野県佐久市野沢)で歳末別時念仏。その旧跡か。聖絵には寺の記述はなし。 **[[河野通末墓]]:叔父の墓。不詳。 **小田切の里:踊り念仏の創始 *(下野小野寺):1279年(弘安2年)、雨宿り **[[下野・大慈寺|大慈寺]]:栃木県栃木市岩舟町小野寺。天台宗。聖絵に描かれているのはこの寺という。 **[[住林寺]]:栃木県栃木市岩舟町小野寺。 *白河の関:福島県白河市。1280年(弘安3年) *[[河野通信墓]]:岩手県北上市稲瀬町。陸奥国江刺郡。通信は祖父。1280年(弘安3年)参詣。 *松島:1280年(弘安3年)巡教 *平泉:1280年(弘安3年)巡教 *常陸:1280年(弘安3年)巡教 *武蔵 **石浜:1281年(弘安4年)到着 ===遊行時代2:鎌倉布教・京都布教=== *鎌倉 **ながさご:藤沢市とされる。1282年(弘安5年)春到着。3日間滞在。 **小袋坂:1282年(弘安5年)3月1日、鎌倉入りを試みるが制止される。 **[[鎌倉・光照寺]]:神奈川県鎌倉市。1282年(弘安5年)3月1日、この地で野宿。その旧跡に建てられたという。 **片瀬の館:所在地不明。1282年(弘安5年)3月2日、別時念仏。 **往生院:所在地不明。1282年(弘安5年)3月6日滞在。『一遍上人全集』では名越[[鎌倉・安養院|安養院]]の一院かと推測。 **[[片瀬地蔵堂]]:神奈川県藤沢市片瀬。1282年(弘安5年)3月7日入り、7月頃まで滞在。現在、跡地に解説板がある。 *箱根 *[[三島大社]]:静岡県三島市。伊豆国一宮。1282年(弘安5年)7月16日到着。 *尾張 **[[甚目寺]]:愛知県あま市。1283年(弘安6年)参詣。 *美濃 *近江 **[[関寺]]:滋賀県大津市。[[近江・長安寺]]が跡地という。1283年(弘安6年)入る。当初、[[園城寺]]僧の制止を受け、近くの草堂に籠るが、許されて7日の行法、惜しまれて14日の行法を行う。 *京都:3度目の滞在だが、本格的な京都布教は初めて。 **四条京極の釈迦堂:京都府京都市中京区。一説には[[祇陀林寺]]内にあったとされる。のち四条道場[[金蓮寺]]となる。1284年(弘安7年)閏4月16日、入京し、この釈迦堂に入る。 **因幡堂:1284年(弘安7年)、2度目の参詣。ここで土御門前内大臣が結縁。 **[[悲田院]]:京都府京都市中京区。現在の[[本能寺]]のあたり。[[泉涌寺]]内に移転。1284年(弘安7年)一晩滞在。 **[[蓮光院]]:京都府京都市中京区。1284年(弘安7年)、滞在。 **[[京都・雲居寺]]:京都府京都市東山区。現在の高台寺のあたりにあった。1284年(弘安7年)参詣。寺院は廃絶。 **[[六波羅蜜寺]]:京都府京都市東山区。1284年(弘安7年)参詣。 **市屋道場:京都府京都市下京区。現在の[[西本願寺]]のあたりにあった。1284年(弘安7年)数日滞在。のちの[[京都塩竈・金光寺]]。 *(桂):5月から秋まで滞在。 *丹後 **[[穴太寺]]:京都府亀岡市。1284年(弘安7年)滞在。 *久美浜:1285年(弘安8年)5月上旬、念仏を修す。 *因幡 *伯耆 *美作 **[[中山神社]]:岡山県津山市。美作国一宮。1285年(弘安8年)参詣。 *四天王寺:1286年(弘安9年)参詣 *[[住吉大社]]:1286年(弘安9年)参詣 *[[聖徳太子墓]]:1286年(弘安9年)参詣 *[[当麻寺]]:1286年(弘安9年)参詣。称讃浄土経を授与される。 *[[石清水八幡宮]]:1286年(弘安9年)冬、参詣 *四天王寺::1286年(弘安9年)年末、歳末別時念仏 ===遊行時代3:最後の帰郷=== *[[教信寺]]:兵庫県加古川市。天台宗。浄土教の先駆者教信の旧跡。1286年(弘安9年)冬に参詣。 *[[播磨・円教寺]]:兵庫県姫路市。書写山。1287年(弘安10年)春参詣。 *[[松原八幡神社]]:兵庫県姫路市。1287年(弘安10年)参詣。『別願和讃』を作る。 *備中 **軽部宿:岡山県総社市清音軽部。1287年(弘安10年)教願の臨終を看取る。 *[[備後・吉備津神社]]:広島県福山市。1287年(弘安10年)参詣。「秦皇破陣楽」。 *厳島神社:1287年(弘安10年)秋に2度目の参詣。臨時の祭礼を実施。 *菅生の岩屋:自らの旧跡を1288年(正応1年)に巡礼。 *[[繁多寺]]:愛媛県松山市。四国霊場第50番札所。1288年(正応1年)に3カ月滞在。父の遺品の浄土三部経を奉納。 *[[大山祇神社]]:愛媛県今治市の[[大三島]]。1288年(正応1年)12月から翌年にかけてここで過ごす。 *[[別宮大山祇神社]]:愛媛県今治市別宮町。1289年(正応2年)参詣。 *大山祇神社:1289年(正応2年)2月ごろ再び参詣。 *[[善通寺]]:香川県善通寺市。1289年(正応2年)3月~4月頃参詣。 *[[曼荼羅寺]]:香川県善通寺市。1289年(正応2年)3月~4月頃参詣。 *阿波・大鳥の里:徳島県吉野川市鴨島町敷地周辺。1289年(正応2年)6月1日、このあたりに来たときに発病。 *[[大和大国魂神社]]:兵庫県南あわじ市。淡路国二宮。1289年(正応2年)7月に参詣。 *[[志筑神社]]:兵庫県淡路市。1289年(正応2年)7月に参詣。 *明石 *和田岬観音堂:兵庫県神戸市兵庫区。現在の[[真光寺]]。1289年(正応2年)7月下旬に観音堂に入る。8月23日死去。 *江ノ島の島井戸 *[[隔夜寺]] *[[光触寺]] *[[薩摩・念仏寺]] *[[上総・称念寺]] 図様は賦算する姿を現した「遊行像」と、合掌像がある。 ==資料== ===古典籍=== *『播州法語集』:14世紀。一遍の説法をまとめたもの。 *『一遍聖絵』:1299年。10周忌に編纂したもので史料としての信憑性が高いとされる。 *『一遍上人絵詞伝』南要本:全10巻。清浄光寺蔵。 *『一遍上人語録』:1763年刊。一海編。 *『一遍上人絵伝』:歓喜光寺旧蔵。12巻。 *『一遍上人年譜略』:神戸真光寺蔵。唯一、生年月日を伝える。 *『遊行上人縁起絵』: ==参考文献== *大橋俊雄『一遍と時宗教団』教育社 *栗田勇編『思想読本 一遍』法蔵館 [[Category:人物旧跡]]
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