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平城京
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
平城京
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'''平城京'''(へいじょうきょう)は古代日本の首都が置かれた[[都城]]。[[日本の都市|都市]]。奈良県奈良市。 == 概要 == 和銅3年(710)3月から延暦3年(784)11月まで約70年間使われた。ただし、天平12年(740)12月から天平17年(745)5月までの約5年半の間は[[聖武天皇]]により[[恭仁京]]、[[難波京]]に宮都が一時的に移っていた。また弘仁元年(810)9月6日、[[平城上皇]]が[[平安京]]から平城京への遷都を図ったことがある。 『続日本紀』養老4年(720)8月壬午条によると、平城京には48寺があったというが、実数なのかは不明。官立の寺院である[[薬師寺]]と[[大安寺]]が平城京の中心部に置かれ、中臣氏、蘇我氏の私寺として始まった[[興福寺]]と[[元興寺]]は外京に置かれた。外京はこの2寺のために設置されたともいう。[[東大寺]]が外京に接するように創建され、[[西大寺]]が右京に置かれた。 有力氏族の氏寺が多く、興福寺や元興寺のほか、[[土師氏]]の菅原寺([[喜光寺]])、佐伯氏の[[佐伯院]]、紀氏の[[紀寺]]、大伴氏の[[永隆寺]]などがあり、[[穂積寺]]も穂積氏の氏寺と言われる。 『続日本紀』には隅寺([[海龍王寺]])、紀寺、[[葛木寺]]、[[阿シュク寺]]が登場。『日本霊異記』には、[[殖槻寺]]、[[下毛野寺]]、[[穂積寺]]などが記載されている([[富尼寺]]、[[馬庭山寺]]は京外)。 ==一覧== ===宮中=== *[[平城宮]] *[[賢所]] *[[大嘗宮]]跡(第二次朝堂院跡から3回の大嘗宮跡と思われる遺跡が発掘されている) *[[神祇官神殿]] **[[初宮神社]]:平城京の八神殿の後身という。 その他、[[平安京]]と同じように宮中京中に様々な神々が祀られたと思われる。 ===左京=== *[[大安寺]] *[[海龍王寺]] *[[法華寺]] *[[阿閦寺]] *[[服寺]] *[[姫寺廃寺]] *[[穂積寺]] ===右京=== *[[西大寺]] *[[西隆寺]] *[[菅原寺]] *[[唐招提寺]] *[[薬師寺]] *[[法世寺]] *[[平松寺]] *[[三松寺]] *[[殖槻寺]] *[[禅院寺]] *[[済恩院]] *[[大臣院]] *[[観世音寺]] *[[弘文院]] ===外京=== *[[元興寺]] *[[興福寺]] *[[紀寺]] *[[葛木寺]] *[[佐伯院]] *[[下毛野寺]] ===京外=== *[[春日大社]] *[[東大寺]] *[[秋篠寺]] *[[阿弥陀山寺]] *[[瑜伽山寺]] *[[新薬師寺]] *[[永隆寺]] *[[大和・白毫寺]] *[[岩淵寺]] *[[富尼寺]] *[[馬庭山寺]] *[[香山堂]] ==不詳== *[[福田院]] ==年譜== ===沿革=== ===研究・復元史=== *1906年(明治39年):平城宮址保存会、設立。 *1910年(明治43年):平城遷都1200年祭。 *1913年(大正2年):奈良大極殿阯保存会、設立。 *1922年(大正11年):史蹟 *1952年(昭和27年):特別史跡。 *1959年(昭和34年):奈良国立文化財研究所、平城宮跡を発掘開始 *1978年(昭和53年):平城宮跡保存整備基本構想。 *1995年(平成7年):東院庭園、復元開始。 *1998年(平成10年):朱雀門、東院庭園を復元竣工。世界文化遺産「古都奈良の文化財」登録。 *2001年(平成13年):第一次大極殿、復元開始。 *2010年(平成22年):第一次大極殿、復元竣工。平城遷都1300年祭。 2018年(平成30年)3月:平城宮跡歴史公園竣工。 [[category:奈良県|*]]
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