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浄金剛院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
浄金剛院
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[[file:Kokudo0051.jpg|thumb|300px|浄金剛院跡地(天龍寺周辺)(国土地理院空中写真より)]] '''浄金剛院'''(じょうこんごういん)は、京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町にあった[[後嵯峨天皇]]離宮[[亀山殿]]付属の[[浄土宗]]寺院。現在の嵯峨[[天龍寺]]のあたりにあった。廃絶。[[浄土宗]][[西山派]]嵯峨流の拠点となった。 後嵯峨天皇は'''道観証慧'''を開山として当寺を創建。天皇は1272年(文永9年)の崩御後、亀山殿別院薬草院で火葬され、浄金剛院に法華堂が建立されて納骨された。その皇子で亀山殿を御所とした亀山天皇も亀山殿裏山で火葬され、同法華堂に納骨された。浄金剛院の古図には法華堂が記されている<ref>天龍寺蔵『山城国嵯峨亀山殿近辺屋敷地指図』</ref>。しかし、足利尊氏による天龍寺創建で周辺は大幅に区画整理をされ、浄金剛院も廃絶し、陵墓は所在不明となった。幕末、文久の修陵に際して、谷森善臣は地名から考証して、陵墓旧地を確定した。同地にあった舎利殿と経蔵を撤去し、新たに法華堂2堂を建立し、「'''浄金剛院法華堂'''」と称した。現在の[[後嵯峨天皇陵]]、[[亀山天皇陵]]である。当寺の鐘が[[妙心寺]]に現存している。698年(文武2年)の銘がある日本最古の鐘で『徒然草』に記述がある。 ==画像== <gallery> File:Gosaga-kameyama-tenno-ryo_002.jpg|後嵯峨天皇陵 File:Gosaga-kameyama-tenno-ryo_004.jpg|後嵯峨天皇陵 File:Gosaga-kameyama-tenno-ryo_003.jpg|亀山天皇陵 </gallery> ==参考文献== *高橋慎一朗、2007『浄土宗西山派史話 人と寺院』 *中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版 ==脚注== <references/> [[category:京都府]]
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