ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
河陽宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
河陽宮
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[file:Kokudo0276.jpg|thumb|300px|離宮八幡宮(国土地理院空中写真より)]] '''河陽宮'''(かやのみや)は山城国乙訓郡(京都府乙訓郡大山崎町大山崎)にあった[[離宮]]。跡地は[[離宮八幡宮]]。'''河陽離宮'''。'''山崎離宮'''('''山埼離宮''')ともいう。 == 歴史 == 山崎は古来から水陸交通の要衝で、過去には[[孝徳天皇]]の[[山崎宮]]や[[行基建立四十九院]]の一つ[[山崎院]]があった。[[嵯峨天皇]]がこの地を河陽と名付け、離宮を設けた。『日本後紀』の813年(弘仁4年)2月16日に「山埼駅を行宮となす」とあるのが初見で、『類聚国史』の814年(弘仁5年)2月17日に「山埼離宮」とあり、同書の819年(弘仁10年)2月21日に「河陽宮」とある。831年(天長8年)に淳和天皇が、845年(承和12年)には仁明天皇が行幸している。861年(貞観3年)、第四次山城国府が設置された。866年(貞観8年)閏3月27日、僧21人が大般若経転読(『三代実録』)。908年(延喜8年)に山城国に移管され、離宮としては廃止となった。[[山城・相応寺]]などが付属。南門の先に山崎橋があったらしく、[[行基]]が建てた山崎橋の後身と考えられている。(『国史大辞典』『日本歴史地名大系』) [[Category:京都府]]
河陽宮
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ