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法界寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
法界寺
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[[file:Kokudo0208.jpg|thumb|300px|法界寺と日野誕生院(国土地理院空中写真より)]] '''法界寺'''は、京都府京都市伏見区日野西大道町にある[[薬師信仰]]の寺院。本尊は薬師如来。日野家の菩提寺で、親鸞の誕生地でもある。[[真言宗醍醐派]]別格本山。'''日野薬師'''。山号は東光山。 [[日野誕生院]]が隣接。 ==歴史== 822年、藤原家宗が円仁から最澄作の薬師如来像を与えられ祀った。 1051年、日野資業がその小仏を新たに作った薬師如来像の胎内に納め、薬師堂を建てて法界寺とした。 1173年、親鸞がこの地で誕生。 応仁年間(1467-1469)、香西又六の兵火で阿弥陀堂以外を焼失。 天正年間(1573-1592)、織田信長の兵火で薬師堂焼失。 江戸時代、天台宗から真言宗に改宗。 文化年間(1804-1818)に西本願寺18世文如が宗祖の誕生地を顕彰するために有範堂を建立。これがのちに日野誕生院となった。 (由緒書、『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』ほか) ==境内== *本堂:本尊は薬師如来。本尊は高さ80cmの秘仏で、胎内仏の薬師如来は最澄作と伝える。乳薬師と呼ばれ、安産・授乳の利益の信仰がある。日光・月光菩薩と十二神将も祀る。江戸時代の絵図には小さな草堂が描かれている。現本堂は1904年に奈良県の旧伝燈寺(廃絶。[[龍田大社]]神宮寺)本堂(灌頂堂とも)を移築したもので棟木銘にある1456年頃の造営とみられる。桁行五間・梁行四間、寄棟造、瓦葺で、前方の一間部分を一般参詣者の礼拝の場として格子戸で内部と結界する。薬師堂とも。 *阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。日野家霊屋や、日野資業・日野勝光・日野真夏の位牌などを祀る。本尊は平安時代後期作。像高2.8mの坐像丈六仏。定朝様式の典型例とされ、定朝作と伝える。飛天が舞う光背を背に、定印を結ぶ。寄木造で漆箔を施す。現在の阿弥陀堂は平安時代後期の建立当初のもので有数の古建築。浄土教建築の代表例として知られる。往時の法界寺を伝える唯一の堂宇。1226年以前の造営と推定されている。桁行五間・梁行五間の宝形造の檜皮葺。外周に吹き放ちの裳階と回縁を巡らす。内陣の長押の上の壁間には飛天壁画や阿弥陀壁画がある。内陣四隅の四天柱には金剛界曼荼羅の64尊が描かれている。 *観音堂:廃絶 *五大堂:廃絶。 *弁天社: *[[日野誕生院]]:現在は別組織だが、元は法界寺境内。 *[[日野家墓地]]: *萱尾神社:鎮守。現在は別組織。 [[category:京都府]]
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