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西園寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
西園寺
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'''西園寺'''(さいおんじ)は、京都府京都市上京区高徳寺町にある[[浄土宗]]寺院。本尊は阿弥陀如来。現在の[[金閣寺]]の地に、より広大な境内を擁した大寺院だった。[[西園寺家]]の菩提寺。[[捨世派]]の[[称念]]が中興。[[浄土宗知恩院派]]。竹林院。山号は宝樹山。 ==歴史== ===北山に創建=== [[file:Kokudo0246.jpg|thumb|300px|現在の金閣寺(国土地理院空中写真より)]] 家名の由来となる西園寺を開いた藤原公経(西園寺家4代)(1171-1244)の正室は源頼朝の姪。鎌倉幕府が成立して以来、関係を深めて勢力を拡大。 1219年(承久1年)に4代将軍となった九条頼経は公経が自ら養育した外孫である。 1221年(承久3年)の承久の乱で北条家と通じ鎌倉幕府を支持。以後、西園寺家と幕府の関係を確固たるものとし、五摂家を凌ぐ権勢を誇った。 1222年(貞応1年)旧例を越えて太政大臣。1242年(仁治3年)孫娘を後嵯峨天皇中宮とし後深草天皇と亀山天皇を産んで外戚となった。 承久の乱の前年、1220年(承久2年)11月、公経は仲資王([[白川伯王家]]の祖)の別邸を荘園と交換で入手。北山第と共に仏堂を造営し、1224年(元仁1年)12月2日、北白河院陳子、安嘉門院邦子が臨席して[[仁和寺門跡]]による落慶法要が営まれた(百錬抄)。1225年(嘉禄1年)、不動堂と愛染堂を落慶。北山第とは一体的な構成で、4町(440m)四方の広大な敷地だったようだ。『増鏡』は[[藤原道長]]の[[法成寺]]を勝る大伽藍だと評した。1225年(嘉禄1年)に訪れた[[藤原定家]]は滝や池をそなえた景観を絶賛している。2013年(平成25年)までの12回の発掘調査では鎌倉時代の瓦がほとんど出土せず、諸堂諸殿は檜皮葺か柿葺だったとみられる。 ===西園寺家の繁栄と共に発展=== 西園寺公経は1231年(寛喜3年)、出家して覚勝と称し、[[高山寺]][[明恵]]から受戒した。1244年(寛元2年)8月29日、この地で死去した。 中先代の乱で没落するまで鎌倉時代を通じて西園寺家は隆盛を極め、西園寺及び北山第も謳歌を極めた。 専属の僧侶がいたのかどうかは不詳。北山第と一体であり、西園寺家が直接管理していたのだろう。 西園寺では様々な法会や修法が営まれた。[[真言宗]]寺院だったという見方もあるが、[[天台宗]]による修法も頻繁に行われている。 1226年(嘉禄2年)12月10日、西園寺八講(大日本史料DB)。 1232年(貞永1年)3月9日、成就心院で三十七壇愛染王供を修す(大日本史料DB)。 1233年(天福1年)12月8日、西園寺八講(大日本史料DB)。 1239年(延応1年)1月26日、長増心院で[[天台座主]]慈源を招いて五壇法(大日本史料DB)。 1237年(嘉禎3年)11月14日、[[四条天皇]]行幸(大日本史料DB)。初の行幸か。1240年(仁治1年)1月4日にも(大日本史料DB)。 1244年(寛元2年)2月26日、五大堂で天台座主慈源を招いて七仏薬師法(大日本史料DB)。 1246年(寛元4年)11月16日、[[後嵯峨上皇]]が御幸(大日本史料DB)。初の上皇御幸か。 1248年(宝治2年)8月29日、西園寺実氏、西園寺公経の菩提のため西園寺を法華八講を営む(大日本史料DB)。 1249年(建長1年)、1264年(文永1年)の同日にも法華八講(大日本史料DB)。 1259年(正元1年)3月3日、一切経供養を[[御斎会]]に准じる(大日本史料DB)。 1267年(文永4年)2月18日、修二月会(大日本史料DB)。 1281年(弘安4年)6月2日、東二条院公子([[後深草天皇]]妃)が西園寺法水院で父の西園寺実氏の13年忌をを執行。 1284年(弘安7年)7月、[[後深草上皇]]と熙仁親王([[伏見天皇]])が北山第に1カ月滞在。 1285年(弘安8年)、北山第で後深草上皇と[[亀山上皇]]が臨席して北山准后貞子(西園寺実氏正室)の90歳を祝った。 1288年(正応1年)4月6日、普賢延命法(大日本史料DB)。 1302年(乾元1年)閏4月、五大堂より昭訓門院(西園寺瑛子)の産所に七仏薬師を移す(公衡公記)。 1314年(正和3年)10月1日、西園寺公衡が西園寺本願院で法会を営む(西園寺家伝来秘記)。 1315年(正和4年)6月20日、伏見法皇、北山第に御幸(西園寺家伝来秘記)。 1335年(建武2年)、北条時行と共に中先代の乱を起こした西園寺公宗は建武政権に処刑された。以降、西園寺家の繁栄は限りを見せ、西園寺の最盛期も去った。 1347年(正平2年/貞和3年)9月24日、西園寺公衡(竹林院)33回忌を西園寺無量光院で実施。[[光厳上皇]]と広義門院(西園寺公衡の娘。[[後伏見天皇]]女御)が御幸した(大日本史料DB)。 1362年(正平17年/貞治1年)3月13日(2月とも)から4月19日まで近江から帰還した[[後光厳天皇]]が内裏に入る前に北山第に滞在した。太平記によるとこの時、既に衰退が目立っていたという。 1366年(貞治5年)10月19日、後光厳天皇、北山第で妙音講を行わせる(大日本史料DB)。 ===足利義満による没収と浄土宗寺院としての再興=== 1394年(応永1年)、西園寺を含む北山殿は将軍[[足利義満]]が没収し、北山殿及び鹿苑寺を創建した(1398年(応永5年)義満移住)。 西園寺は室町頭(現在の京都市上京区竹園町)に移転。一説に移転年月は没収に先立つ1354年(正平9年/文和3年)ともいう。 1554年(天文23年)縁誉[[称念]]が中興し(蓮門精舎旧詞)、浄土宗に転じ、[[知恩院]]末となる。 1590年(天正18年)、[[豊臣秀吉]]の都市改造で現在地に移転した。 1788年(天明8年)1月の大火で類焼。のち再建。 西園寺家墓地があり、西園寺公経像(法体)を祀る。 (日本歴史地名大系、古事類苑、「考古学からみた西園寺家北山殿」ほか) ==境内== ===北山時代=== 現在の[[鹿苑寺]]は東側に入口があるが、足利義満時代の北山殿は南側に入口があったとされ、西園寺時代も同様だったと考えられている。 *本堂:本尊は[[阿弥陀如来]]。本尊は現存する。阿弥陀堂、北山堂と呼ばれ、また西園寺と言えば本堂を指すこともあった。 *五大堂:本尊は[[五大明王]]か。巨大な仏堂だったらしい。七仏薬師が置かれていたこともある。 *愛染堂:本尊は[[愛染明王]]。 *不動堂:本尊は[[不動明王]]。不動明王は摂津国から招いた生身不動という。 *[[金閣寺不動堂|石室不動堂]]:本尊は不動明王。鹿苑寺境内に現存。上記の不動堂との関係は不明。石室内部からは1342年(興国3年/康永1年)の年記が発見されており、石像本尊と共に鎌倉時代に遡るものとみられている。 *[[白雲神社|妙音堂]]:本尊は[[妙音弁才天]]。本尊像は藤原師長伝来とされ、西園寺流琵琶の秘曲伝授に関わる特殊な信仰を集める。江戸時代には西園寺家邸内に復興し、現在は[[京都御苑]]の中に白雲神社として残る。像も現存する。 *宝蔵: *南屋寝殿:敷地の中央、本堂の近くにあった。 *北屋寝殿:園地北側にあった。現在の「金閣」の北側あたり。 *善積院:本尊は[[薬師如来]]。 *功徳蔵院:本尊は[[地蔵菩薩]]。 *成就心院:妙音堂別当。近世に再興し、[[京極寺]]の僧が兼務した。安井にあった成就心院も後身寺院の可能性があるが不詳。 *法水院:現在の金閣([[鹿苑寺舎利殿]])の位置あったと思われ、連続性が指摘されている。現在も舎利殿の第一層を法水院と呼ぶ。 *化水院:池水院とも。 *無量光院: *本願院:廟堂か。48体の阿弥陀仏を祀っていたという。 *霊鷲寺:[[臨済宗]]。西園寺公宗の菩提寺。 *長増心院: *奥の御堂: *浄金剛院:[[浄金剛院]]?? *三福寺:[[三福寺]]? ===浄土宗時代=== *本堂:本尊は阿弥陀如来。創建以来の西園寺の本尊という。 *地蔵堂:本尊は地蔵菩薩。旧功徳院(功徳蔵院?)の旧本尊という。槌留地蔵。 *開山堂:西園寺公経を祀る。位牌と法体像を奉安するという。 *弁天堂:本尊は妙音弁才天。[[白雲神社|妙音堂]]に由来すると思われるがここにいつから祀られたのかは不明。 *稲荷社: *十三重石塔: *西園寺家墓地: *梨木家墓地:[[下鴨神社]]社家。梨木祐之や梨木祐為など。 ==資料== *『増鏡』 *『古今著聞集』 *『竹むきが記』 *『西園寺家伝来秘記』 *『公衡公記』 *『西園寺家伝』[https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100250739/viewer/] *外山英策1934「西園寺北山殿と義満の北山殿」『室町時代庭園史』 *木村三郎1985「名所と造園その歴史的関連性について」[https://doi.org/10.5632/jila1934.48.262] *川上貢2002「西園寺家の北山殿」『日本中世住宅の研究』 *鹿苑寺編2004『鹿苑寺と西園寺』 *鈴木久男2004「不動堂石室の文字」鹿苑寺編2004『鹿苑寺と西園寺』 *鈴木久男2013「考古学からみた西園寺家北山殿」[https://doi.org/10.24604/chusei.58_25] *鈴木久男2013「西園寺家北山殿の構造:不動堂石室発掘調査成果を中心に」『京都産業大学日本文化研究所報』18 *猪瀬千尋2012「西園寺北山第妙音堂と琵琶秘曲伝授:空間の復元と儀礼の再現を通して」『芸能史研究』197 *山岡瞳2017「鎌倉時代の西園寺家の邸宅」[http://hdl.handle.net/2433/219620] [[category:京都府]]
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