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東大寺戒壇院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
東大寺戒壇院
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'''東大寺戒壇院'''(とうだいじ・かいだんいん)は、奈良県奈良市の[[東大寺]]にある日本最古の[[戒壇院]]。日本に初めて正式な戒律を伝えた[[鑑真]]が創建。[[下野・薬師寺戒壇院]]と[[観世音寺戒壇院]]とともに三戒壇の一つ。中世には[[西大寺]]などと元に戒律復興運動の拠点となった。戒壇堂、千手堂、談議所、庫裡がある。庫裡は現在、修二会の別火坊(参籠所)としても使われる。[[東大寺関連旧跡]]も参照。 東大寺での授戒は興福寺東西金堂衆が担った? == 歴史 == 東大寺に迎えられた鑑真は唐禅院に止住し、天平勝宝6年4月と天平勝宝7年に2回授戒。この時は大仏殿前の仮設戒壇を設けた。 同6年5月の宣旨で常設戒壇の設置が始められ、天平勝宝7年10月3日に落慶した。 戒壇堂(受戒堂)、講堂、僧坊などがあり、戒壇堂には1丈5尺の六重塔と四天王像が祀られた。 治承4年の兵火で焼失。重源が再建。講堂、三面僧坊、四面廻廊も再建した。 文安3年(1446)1月2日、焼失。永禄10年の兵火で焼失。 文禄3年(1594)に仮堂を建立。享保16年(1731)恵光が再建が進められ、享保18年2月に竣工した。木造多宝塔と中門堂にあった塑像四天王像が祀られている。 一方で慶長10年(1605)5月、鑑真850年遠忌を記念して千手堂を建立。平成10年5月、焼失。平成14年竣工。 (『東大寺史へのいざない』) == 組織 == ==歴代== 戒壇院長老 ===古代=== *1[[鑑真]](688-763):律宗の祖。 *2法進(709-778):渡来僧。鑑真に随行して来日。天台教学にも通じた。唐禅院も継ぐ。下野薬師寺と太宰府観世音寺に地方戒壇を設置したのは法進の指導によるという。 *5空盛慧雲(654-?):渡来僧。鑑真に随行して来日。[[屋島寺]]を開く。 ===中世=== *1実相円照(1220-1277):戒壇院中興。東大寺大勧進9世。[[石清水八幡宮]]宮寺の[[善法寺]]開山。 *2示観凝然(1240-1321):唐招提寺28世(中興8世)。円照、証玄に師事。華厳を重視。諸宗に精通して『八宗綱要』を著す。示観国師。金山院、法隆寺、矢田寺、室生寺、竹林寺、西大寺、白毫寺、般若寺、小池寺、繁多寺、久妙寺などを巡歴して、講義や著述、伽藍復興などを行った。金山院に葬られた。 *3円戒禅爾(1252-1325):[[久米田寺]]に移る。(略歴は、[[久米田寺#組織]]を参照) *4了心本無(?-1329):東大寺大勧進8世。[[室生寺]]の空智房忍空に師事。[[大和・竹林寺]]に住す。 *5十達俊才(1259-1353):[[京都・大通寺]]、[[東大寺真言院]]を経て、[[東大寺戒壇院]]長老5世。東大寺大勧進25世。晩年、称名寺長老。弟子に照玄、円浄。 *6明智盛誉(1273-1362):東大寺大勧進27世。久米田寺長老。 *7覚行照玄(1301-1358):東大寺大勧進26世。昭玄とも。東大寺戒壇院で本無了心に師事。[[鎌倉・極楽寺]]、東大寺戒壇院、[[京都・大通寺]]を歴任。 *8円浄正為(?-1368):十達俊才に学ぶ。東大寺大勧進28世。極楽寺長老。円成正為。 *9浄心照慧(?-1371): *10性通霊波(1290-1377):相模出身。足利氏。称名寺湛睿に師事。東大寺大勧進30世。1373年(文中2年/応安6年)、称名寺長老6世。 *11覚了普乗(?-1379):東大寺大勧進31世。鎌倉極楽寺で死去。学了普乗。 *12通識総融(?-1386):東大寺戒壇院で性通霊波に戒律を学ぶ。大和龍華院、東大寺戒壇院、東大寺大勧進32世、称名寺長老を歴任。1000巻を超える著書があったという。通識惣融。雪心房。 *13聖地惣深():東大寺大勧進33世。 *14覚乗融存(?-1422): *15通證霊賢(?-1423):東大寺大勧進35世。 *16総円志玉(1383-1463):皇族の末裔という。称名寺で出家して通識総融に師事。融存に学ぶ。1414年(応永21年)東大寺大勧進34世。のち再任して大勧進36世。1417年(応永24年)、明に渡り、皇帝成祖に『華厳経』を講じ、普一国師号を賜った。1422年(応永29年)帰国。融存の死後、戒壇院長老となり、活躍。称光天皇から日本の国師も賜る。足利義教、摂政二条持基に授戒。高山寺に埋葬。渡西、談宗(淡宗)、普一潤山志玉などと名乗った。金春禅竹の美意識にも影響を与えたという。(称名寺、極楽寺、阿弥陀寺、大華厳寺、高山寺、屋島寺に住した?) *17英通惣該():東大寺大勧進37世。 *18英順資胤():東大寺大勧進38世。 *19中蔵能範():東大寺大勧進39世。中叟能範。 *20祥寿玉叡():東大寺大勧進40世。 *21枢芳妙祐():東大寺大勧進41世。 *22周賢令洞():東大寺大勧進42世。 *23珠玄円意():東大寺大勧進43世。 *24玉舜圭範(1393-1471):性継とも。 *25公珍実政:東大寺大勧進44世。 *26長悟継運: *27寿慶叡範:東大寺大勧進45世。 *28等印照海(?-1569):東大寺大勧進46世。等印昭海。[[善法寺]]住職。 ===年預=== 以下の五代は住職を称さなかった。 *1弘秀 *2成秀(?-1610) *3祐秀:弘秀の弟子。 *4順弘:弘秀の弟子。 *5聖秀(?-1638):成秀の弟子。長尊房。真言院11世。 ===近世=== *29俊良浄慶(1608-1680):藤原氏。10歳で新禅院有慶に師事。実の伯父の有深に戒律を学ぶ。有慶と有深の死後は聖秀に従う。1660年(万治3年)、真言院、新禅院に住す。1674年(延宝2年)戒壇院長老となる。新禅院方丈で弥陀号を唱えながら死去。73歳。 *30空爾證海(1621-1695):菊田氏。大和国郡山出身。聖秀に従い出家。聖秀の死後は俊良浄慶に従う。1660年(万治3年)、俊良浄慶が新禅院に移ると、戒壇院の年預となる。1669年(寛文9年)、興福寺僧徒の招請で室生寺住職となる。1680年(延宝8年)8月、戒壇院長老となる。75歳。 *31慶尊聖遍(1624-):畠山源氏。奈良出身。9歳で聖秀の下で出家。聖秀の死後は俊良浄慶に従う。1669年(寛文9年)、兄弟子の空爾證海が室生寺に移ると、戒壇院年預となる。方丈、庫裏、経蔵を建立。1699年(元禄12年)4月6日、戒壇院長老となる。 *亮然重慶(1658-):『伝律図源解集』を編纂。32世?? *33成慶:聖遍に師事。真言院25世。宝生院と号す。(東大寺事典ほか) *慧光(1666-1734):[[霊雲寺]]2世。1725年(享保10年)戒壇院を兼務。1731年(享保16年)、現在の戒壇堂を再建。戒壇院34世?? *智玄暁了(1743-1822):[[山城・西明寺]]27世。 *上田照遍(1828-1907):阿波出身。[[河内・延命寺]]住職。1886年(明治19年)戒壇院長老。円珠庵、叡福寺、教興寺などを兼務。真言宗祖風宣揚会会長。 (31世慶尊聖遍まで『伝律図源解集』) [[category:奈良県]]
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