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国柱会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
国柱会
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'''国柱会'''は、'''田中智学'''を開祖とする[[日蓮宗]][[日蓮宗の教団|教団]]。近代の日蓮主義を代表する在家仏教教団。東京都江戸川区に本部[[申孝園]]を置く。 三保に[[最勝閣]]があった。 国柱会の名称は、日蓮の三大誓願の一つ「我日本の柱とならむ」(『開目抄』)に基づく。 機関紙などによる伝道活動を中心としている。 ==施設== ===東京=== *[[東京立正閣]]:東京都中央区日本橋蛎殻町。廃絶。 *[[国柱会館]]:東京都台東区上野桜木。廃絶。 *[[申孝園]]:東京都江戸川区一之江。 *[[妙宗大霊廟]]:東京都江戸川区一之江。田中智学墓。近代の納骨堂では初期の事例。 ===鎌倉=== *香風園:神奈川県鎌倉市扇ガ谷。廃絶。 *師子王文庫:神奈川県鎌倉市扇ガ谷。廃絶。 *[[日蓮辻説法旧跡]]:神奈川県鎌倉市小町。 ===静岡=== *[[最勝閣]]:静岡県静岡市清水区三保の貝島。廃絶。 *鑑石園:静岡県富士市原田。 ===大阪=== *[[大阪立正閣]]:大阪四ツ橋。廃絶。 ==歴史== *1861年:田中智学、江戸日本橋で誕生。 *1870年:東京一之江の日蓮宗妙覚寺で智境院日進を師に得度。[[飯高檀林]]や[[日蓮宗大教院]]で学ぶ。 *1879年:日蓮宗教学が天台教学をベースとすることに疑問を覚えて還俗。 *1880年:田中智学、横浜で'''蓮華会'''を創設。 *1885年:田中智学、東京に移り、日本橋蛎殻町に本部立正閣を置いて'''立正安国会'''と改称。 *1887年:田中智学、仏教結婚式を日本で初めて考案したという。 *1895年:本部が大阪に移転。大阪四ツ橋の立正閣に置かれた。 *1896年:田中智学、鎌倉要山の香風園に'''師子王文庫'''を創設。 *1901年:田中智学、鎌倉の[[日蓮辻説法旧跡]]に記念碑建立。 *1902年:田中智学、『本化妙宗式目』を著す。 *1907年1/21:本部が鎌倉に移転。「正境本尊」も遷座。 *1909年:静岡県三保の最勝閣の地鎮式 *1911年:田中智学、大逆事件を機に「日本国体学」を標榜する。 *1914年11/1:静岡県三保に[[最勝閣]]が完成したのに合わせ、3日'''国柱会'''に改組。 *1916年4月:東京鶯谷に[[国柱会館]]を建設。 *1922年:田中智学、『日本国体の研究』で「八紘一宇」の概念を提示する。 *1923年:田中智学、政治結社'''立憲養正会'''を設立。 *1924年:静岡県原田に[[鑑石園]]を建立。 *1926年:'''明治会'''を設立。 *1928年4/15:田中智学得度の地の一之江妙覚寺の隣接地に[[妙宗大霊廟]]を建立。 *1929年:本部を東京に移転。妙宗大霊廟のある地を[[申孝園]]と名付けて本部所在地とした。 *1930年11/3:大講堂に正境本尊奉安の大式典。 *1931年4月:大講堂落慶法要。 *1939年11月17日:田中智学死去。 *1951年:本部講堂落慶。 *1960年:日蓮聖人門下懇話会に発足と共に加盟。有文館再建落慶 ==組織== ===教主=== 呼称は時期によって異なる。総裁、霊廟賽主、会長と移っているが詳細は不明。現在は賽主。敬称は先生。 *1田中智学(1861-1939):国柱会創設者。1939年11月17日死去。墓所は妙宗大霊廟。法号は師子王院智学日謙大居士。 *2田中芳谷(1884-1973)<1939-1973>:田中智学長男。本名は顕一。1938年(昭和13年)4月、代理総裁に就任。翌年国柱会総裁となり、師子王文庫庫主、明治会会長に就任。1949年(昭和24年)秋から国柱会霊廟賽主となる。 *3田中香浦(1921-1996)<1973-1996>:本名は車一郎。本部に奉職し、国柱会主幹(代表役員)を長らく務めた。1973年(昭和48年)、国柱会霊廟賽主、師子王文庫庫主に就任。翌年、国柱会会長となった。 *4田中暉丘()<1996-2005>:本名は隆一。霊廟賽主 *5田中壮谷()<2005->:本名は勇一郎。 『日本仏教基礎講座』ほか ===理事長=== *中平千三郎 *安中又六 *原田義彦 ==人物== *小菅丹治(1859-1916):実業家。田中智学の初期のパトロン。呉服店「伊勢丹」創業者。最勝閣建設には巨財を提供した。1916年2月25日死去。初代小菅丹治。 *山川智応(1879-1956):仏教学者。田中智学の高弟。国柱会総務、立正大学講師を歴任した。智学の死後、除名されて[[本化妙宗連盟]]を設立。1956年6月2日死去。ペンネームは武田乙若。 *石原莞爾(1889-1949):陸軍中将。辛亥革命に影響を受けて日本改造を志し、1920年に国柱会に入会。1928年、関東軍主任参謀。満洲事変、満洲国創設を主導した。1935年参謀本部作戦課長。東條英機と対立し罷免。右翼団体東亜連盟を指導した。1941年、立命館大学教授。1949年8月15日死去。著書『世界最終戦論』 など。 *宮沢賢治(1896-1933):詩人。童話作家。農村指導者。1920年、国柱会入会。1933年9月21日死去。38歳。文学作品が評価されたのは死後のこと。 *田中沢二():田中智学の次男。政治結社立憲養正会で活動。 *里見岸雄():田中智学の三男。[[立正教団]]や里見日本文化学研究所を創設。 *村山日襄():1938年、大日本立正交成会(のちの[[立正佼成会]])初代会長に擁立される。村山景造。 [[category:団体]]
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