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瀧山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
瀧山寺
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'''瀧山寺'''(たきさんじ)は愛知県岡崎市滝町にある[[天台宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。[[瀧山東照宮]]別当。[[熱田神宮関連旧跡]]。[[足利家]]ゆかり。薬樹王院と号す。山号は吉祥陀羅尼山。 == 歴史 == [[役小角]]が滝壺から薬師如来を拾い上げて祀ったのが始まりという。吉祥寺と称したと伝える。 平安時代後期、[[比叡山]]の仏泉永救が復興し、[[物部氏]]の協力で、1122年、本堂建立した。 [[熱田神宮]]大宮司の一族が檀那となった。 [[源頼朝]]の外祖父としても知られる大宮司藤原季範(1090-1155)の子の長暹と祐範、孫の寛伝(大宮司藤原範忠の子)が仏泉永救に師事した。 祐範が2世となった。 1140年、藤原季範は寺内に蓮華寺を建立。 藤原範忠は1151年の本堂造営に寄進した。 1200年、源頼朝一周忌にあたり、寛伝は寺内に菩提のため惣持禅院を建立し、本尊の[[聖観音]]の胎内に歯と鬢毛を納めた。 額田郡地頭となった足利義氏は瀧山寺を外護し、1223年の本堂造営を援助した。 以後、[[足利家]]の準菩提寺的な位置づけとなり、一族家臣によって興隆した。 伊勢俊経は、持仏堂西院寺を建立。 1229年、常行堂建立。1257年、[[寿福寺]]から一切経をもらい、経蔵を建立。1261年、板倉泰実が持仏堂弥陀院を建立。 1270年、山門建立し現存。 のち足利義氏の菩提寺として山内に宝幢寺が建立された。 この時、足利泰氏が寺領や法華経などを寄進した。 1301年、足利家時の菩提のための如法堂を建立。 室町時代以後は衰退した。 1605年、[[徳川家康]]、常行堂を修復。 1608年、山王社を修復。 1641年、比叡山行学坊の亮盛が住職となり、青龍院に入った。1644年、[[寛永寺]]にも青龍院を創建し、兼務した。 1645年、徳川家康を祀る[[瀧山東照宮]]を創建。神領200石を含む612石が認められた。 1873年、神仏分離。 (『日本歴史地名大系』) ==伽藍== *本堂 *山門 *日吉山王社:日枝神社とも。 *稲荷神社 *観音堂 *[[瀧山東照宮]] *鬼塚 *仏泉永救墓:宝物殿のあたり。 *歴代住職墓地:弘願寺の裏 ==子院など== *蓮華寺:廃絶。 *惣持禅院:廃絶。 *宝幢寺:廃絶。 *西院寺:廃絶。 *弥陀院:廃絶。 *青龍院:学頭。東照宮別当。廃絶。 *浄心院:廃絶。 *王泉院:廃絶。 *浄蓮院:現存。現在の本坊。 *密厳院:廃絶。 *観量院:廃絶。 *恵日堂:現存。独立。 *弘願寺:現存。独立。[[蓮如]]に帰依して改宗。瀧山寺亮盛が復興。[[真宗大谷派]]。 [[category:愛知県]]
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