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観心寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
観心寺
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'''観心寺'''(かんしんじ)は、大阪府河内長野市寺元(河内国錦部郡)にある[[真言宗]]寺院。[[空海]]の旧跡とされる。[[定額寺]]。[[南朝]]にゆかり深く、[[後村上天皇]]の行在所となった。[[後村上天皇陵]]がある。本尊は[[如意輪観音]]。[[楠木正成旧跡]]。[[高野山真言宗]]の遺跡本山。京都の[[禅林寺]]と深い関係を持った。旧称は'''雲心寺'''。山号は檜尾山。 ==歴史== *701年(大宝1年):[[役小角]]が創建し雲心寺と称した。 *808年(大同3年):[[空海]]が訪れて北斗七星を勧請。 *815年(弘仁6年):[[如意輪観音]]を刻んで観心寺と称した。 *827年(天長4年):実恵の命で弟子の真紹が伽藍を造営した。 *843年:河内国守をもって観心寺俗別当とすることを定める *869年(貞観11年):[[定額寺]]に列格 *883年(元慶7年)9月15日:『観心寺縁起資財帳』編纂。 *1333年:[[後醍醐天皇]]、「観心寺地頭職」を観心寺に寄進 *1334年:[[楠木正成]]が奉行となり金堂の外陣を再建。さらに三重塔を建てようとしたが果たせず「建掛塔」として残された *1336年:楠木正成戦死。首塚が築かれた。 *1340年:[[後村上天皇]]、河内国小高瀬庄領家職を寄進 *1344年:訶梨帝母天堂が焼失。同年再建。 *1356年6月1日:実恵に[[大僧正]]を贈られるように奏上。 *1357年5月:後村上天皇、行幸 *1357年6月7日:後村上天皇、実恵に僧正を追贈 * *1359年12月23日:後村上天皇、[[天野山金剛寺]]より移って観心寺総持院が行宮となる *1360年1月13日:後村上天皇、[[東寺]]仏舎利を観心寺に奉納 *1360年5月8日:後村上天皇、金剛山麓の観音寺に移る *1368年3月11日:後村上天皇、崩御。遺詔により境内に埋葬 *1378年:賢耀という僧侶が参拝し、『観心寺参詣諸堂巡礼記』を記す *1396年:観心寺集会評定事書。集会制度の初見 *1409年:管領畠山満家が寺領寄進 *1439年頃:現在の金堂、再建 *1505年:「山伏道」は禁止されているが下僧の中に「公方の権威」を背景に入峰しようとしたものがいたという。実際にはさかんに行われていたのだろう。 *豊臣秀吉、寺領を寄進 *豊臣秀頼、伽藍再建 *1669年頃:観心寺伽藍寺役僧坊法式控、成立 *天保年間:[[有栖川宮家]]の祈願所となる。 *2005年:「遺跡本山」に昇格(未確認) ==伽藍== {|class="wikitable" |+ !style="width:20%;"|名称 !style="width:10%;"|本尊など !style="width:70%;"|概要 |- |金堂<br>[[ファイル:Kanshinji 013.jpg|200px]] |[[如意輪観音]] | |- |講堂<br>[[ファイル:Kanshinji 001.jpg|200px]] | |恩賜講堂。昭和大礼で使われた建物を移築した。本尊はない? |- |建掛塔<br>[[ファイル:Kanshinji 012.jpg|200px]] | |楠木正成が三重塔を立てようとして途中で終わったと伝える。本尊は不明。 |- |大師御影堂<br>[[ファイル:Kanshinji 014.jpg|200px]] |[[空海]] | |- |実恵御影堂<br>[[ファイル:Kanshinji 016.jpg|200px]] |[[実恵]] |開山堂。本願堂。 |- |実恵墓<br>[[ファイル:Kanshinji 015.jpg|200px]] |実恵 | |- |阿弥陀堂 |[[阿弥陀如来]] | |- |訶梨帝母天堂<br>[[ファイル:Kanshinji 008.jpg|200px]] |[[訶梨帝母]] | |- |(西宮) |[[牛頭天王]] |鎮守として重視され七郷の氏神。空海が創建。明治42/5/12、近くの鳴原神社に合祀。 |- |(東宮) | | |- |(祠) |[[八幡]]、[[熊野]]、[[稲荷]]、[[北野]]、[[吉野]]、五社 | |- |(天満宮) | | |- |弁天堂 |[[弁財天]] | |- |役行者堂 |[[役小角]] | |- |牛滝堂<br>[[ファイル:Kanshinji 009.jpg|200px]] |[[大威徳明王]] |元は威徳院に祀られていた。文久年間に福聚院跡に堂を建て明治初年に堂宇を建立した。明治23年に金堂東隣に移築。昭和6年4月、現在地に移築 |- |観心寺行宮跡<br>[[ファイル:Kanshinji 031.jpg|200px]] | | |- |楠木正成像<br>[[ファイル:Kanshinji 002.jpg|200px]] |[[楠木正成]] | |- |渓山大明神 | | |- |笠松稲荷大明神 | | |- |灌頂院 | |本坊の持仏堂 |- |[[後村上天皇陵]]<br>[[ファイル:Kanshinji 028.jpg|200px]] |[[後村上天皇]] |元は法華堂があったか。 |- |新待賢門院墓<br>[[ファイル:コウボ坂陵墓参考地002.jpeg|200px]] |新待賢門院 |[[コウボ坂陵墓参考地]] |- |[[楠木正成首塚]]<br>[[ファイル:Kanshinji 019.jpg|200px]] |[[楠木正成]] |明治13年修復。大正11年修復。昭和2年、大日本楠公会設立。1936年、600年遠忌。 |- |忠魂碑 | | |- |空海礼拝石<br>[[ファイル:Kanshinji 011.jpg|200px]] | |空海が北斗七星の降臨を拝した場所。 |- |星塚 |[[北斗七星]] |空海が勧請した北斗七星を祀る。七つある。 |- |[[檜尾塚陵墓参考地]]<br>[[ファイル:檜尾塚陵墓参考地001.jpeg|200px]] |新待賢門院 | |- |楠公夫人墓<br>[[ファイル:Kanshinji 032.jpg|200px]] |楠公夫人 | |- |犬尾滝 | | |- |不動滝 | | |} == 子院 == *禅林院:最古の子院。実恵が創建。のち釈迦院と改称。文久に廃絶。 *中院:楠木氏の菩提寺。斉衡2年、真紹が創建。文永年間、楠正俊が移築して中興。大和国朝和村の成願寺の聖観音を移した(のち不動明王を祀る)。楠木正成が幼少の時ここで学んだという。安永年間、焼失。安政5年、不動院を改称して中院を復興した。現存。 *蓮蔵院:宗叡(円覚寺開山)が創建。永禄年間、遊佐新三郎が復興。明治20年廃絶 *蓮金院:沿革不詳。蓮蔵院の誤記の可能性もある。 *総持院:後村上天皇行在所。鎌倉時代の創建か。元応2年、後宇多天皇行幸のときに行在所となる。安永年間に焼失。廃絶。跡地に石碑が建つ。 *五智院:畠山家の菩提寺。寛政年間に中絶して維新前には廃絶した。、 *持明院:南朝時代には行宮の警護役を務めたという。江戸時代末期に廃絶か。 *新蔵院: *中ノ坊:旧称は閼伽井坊。 *善光院:慶長年間に創建。 *西明院: *理趣院:大永年間に創建。明治10年廃絶。 *奥谷坊:文明年間以前の創建。旧称は東南院。天正年間、奥谷坊として再興。 *心王院:応永年間に中興。幕末に廃絶か。 *槙本院:現在の本坊。古代には浄菩提院と称した。文禄年間に秀言(片桐且元のいとこという)が槙本院として中興。天正年間、片桐且元が霊応殿を建立。持仏堂がある。現存。 *不動院:永久年間に虚空蔵院として創建。永禄年間に中絶。慶長年間に不動院として再興。片桐且元の建立という。寺本村の宗門改を管轄した。安政5年、中院復興のために廃絶。 *極楽寺:大字太井にあった。不動院の別院。明治年間に廃絶。 *桜元坊:慶長年間、快音が創建。 *吉祥院: *五大院:寛永年間の創建。 *帰命院:永禄年間、賢祐が創建。寛文年間に延命院と改称。宝暦5年廃絶。 *橋爪坊: *松之坊: *地蔵院:保元年間の創建。宝聚院跡に移転。宝暦年間、宝蔵院と改称。 *地蔵寺:大字小深にあった。地蔵院の別院。永禄年間に独立して融通念仏宗となる。 *宝聚院: *菊蔵院:天文末に長善が創建。寛永10年の大風で被災。 *北ノ坊:当初の所在地は不詳。正平年間、後村上天皇の行在所に当てられたことがあるという。天文年間に復興。天保年間に廃絶。 *最勝院:天文年間に創建。明治初年廃絶。 == 組織 == ===住職=== *「石山寺座主并禅林・観心両寺座主相承次第」[http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=29467] *役小角 *空海 *実恵 *真紹 *宗叡 *光賢(1347-1410)<1407->:内山永久寺。上乗院。1407年、海門承朝から観心寺座主に任命される。 *伊東心教(?-1917)<?-1917>:全国の小学校に楠木正成像を寄贈する。1917年5月6日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/12192848/1/106]。 *永島真龍(1885-1942)<1917-1942>:福岡県出身。1885年生[https://dl.ndl.go.jp/pid/1688437/1/675]。1910年、東寺専門学校卒。兵庫県良元村の宝寿院住職となる。1917年7/11、観心寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/7941652/1/13]。1942年9月1日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/1823359/1/158]。58歳。 *永島行善(1913-1986)<1942-1986>:広島市出身。1913年生。1935年高野山大学卒。1942年、観心寺に入り住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/12220555/1/81]。1986/7/5死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/7943867/1/6]。73歳。 *永島龍弘(1944-)<1986->:1944年生。1970年、高野山大学大学院修了1976年7月、中院住職。1986年9月、観心寺住職。高野山真言宗総務部長。金剛峰寺執行。 *永島全教()<>: == 写真 == <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> File:Kanshinji_003.jpg|門 File:Kanshinji_004.jpg|門 File:Kanshinji_010.jpg|金堂 File:Kanshinji_013.jpg|金堂 File:Kanshinji_011.jpg|空海礼拝石 File:Kanshinji_001.jpg|講堂 File:Kanshinji_012.jpg|建掛堂 File:Kanshinji_014.jpg|御影堂 File:Kanshinji_015.jpg|実恵 File:Kanshinji_016.jpg|開山堂 File:Kanshinji_017.jpg|新待賢門院墓 File:Kanshinji_018.jpg|新待賢門院墓 File:Kanshinji_019.jpg|楠木正成首塚 File:Kanshinji_020.jpg|楠木正成首塚 File:Kanshinji_009.jpg|牛滝堂 File:Kanshinji_021.jpg|後村上天皇陵 File:Kanshinji_005.jpg|中院 File:Kanshinji_006.jpg|中院 File:Kanshinji_007.jpg|拝殿 File:Kanshinji_008.jpg|訶梨帝母天堂 File:Kanshinji_002.jpg|楠木正成像 File:Kanshinji_031.jpg|後村上天皇旧跡 File:Kanshinji_032.jpg|楠公夫人墓道標 </gallery> ==資料== *『観心寺文書』[https://dl.ndl.go.jp/pid/2609619]、河内長野市史4史料編1[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573326/1/52] *『河内長野市史6史料編3』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9574070/1/313] *『観心寺参詣諸堂巡礼記』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9888153] *『観心寺参詣諸堂巡礼記解説』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9888154] *『観心寺縁起実録帳』:群書類従[https://dl.ndl.go.jp/pid/1879811/1/99]、[https://dl.ndl.go.jp/pid/1040603/1/258]、[https://dl.ndl.go.jp/pid/952823/1/131] *「観心寺楠公首墓碑」[https://dl.ndl.go.jp/pid/935960/1/64] *『観心寺阿弥陀仏造像記』[https://dl.ndl.go.jp/pid/952823/1/123] *『観心寺勘録縁起資材帳』[https://dl.ndl.go.jp/pid/952823/1/123] *『観心寺文書』[https://dl.ndl.go.jp/pid/952823/1/130] *「観心寺御陵図」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1138286/1/24] *「観心寺境内図」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9575884/1/20] *『観心寺要録』 **1[https://dl.ndl.go.jp/pid/12205878] **2[https://dl.ndl.go.jp/pid/12208073] *『河内長野市史1下・本文編古代・中世』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576795/1/211] *『河内長野市史10別編2建築・美術工芸』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573328/1/66] *玉島実雅1927『楠公と観心寺』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1094908] *細川亀市1933「観心寺に於ける僧侶集会と寺院」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1272240/1/101] *宇野良雄1936「観心寺の七星塚」[http://hdl.handle.net/2433/167182] *富賀鹿蔵編1936『観心寺史要』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1171465] *1937『大楠公恩師滝覚御房史蹟』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1025444] *鈴木潔1937『楠氏と松尾』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1034230] *川瀬一馬1939『新発見の資料に拠る新待賢門院御陵墓攷』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1685929] *足立康1944「観心寺本尊と観心寺縁起実録帳」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1068835/1/154] *守山聖真1965「観心寺と文観」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2981761/1/253] *水郡庸皓1966「天誅組義挙と観心寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3449007/1/159] *1981『古寺巡礼西国2観心寺』[https://dl.ndl.go.jp/pid/12220555/1/2] *川尻秋生1987「観心寺縁起資材帳について」[https://dl.ndl.go.jp/pid/12533545] *上野勝久1995「観心寺と禅林寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3103290/1/87] *清田義英1996「「衆議」から「集議」へ河内の古刹観心寺の集会」[https://dl.ndl.go.jp/pid/7957245/1/97] *大石雅章2015「中世後期の地域寺院である観心寺の支配」[https://naruto.repo.nii.ac.jp/records/27923] [[category:大阪府]]
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